第三十六話「市長への直談判……と思いきや」
「腹減った……。直談判は後回しだ」
アレスはそれまで町の象徴であったゴットバルト像の取り壊しの件について、市長に直談判するつもりでいた。
しかし彼は市長宅までの行く道中、突如、極度の空腹に襲われてしまい、すっかりその気が削がれてしまったようだ。当初“市長に直談判する”という意志はダイヤモンドより硬いと思われたが、いくらあの気の短いアレスと言えども、空腹にはどうしても抗えなかったらしい。
獄中生活でロクに栄養価のある物を食わせてもらってなかったこともあってか、アレスはひとまず近くの商店街で塩分濃度高めの物を食べて、一旦英気を養おうと決心したのであった。
「にしても腹の虫がおさまらないぜ。牢獄生活の時、ろくな物食わせてもらえなかったからな。
……もう、あんなところ、仮に1億ゼニーをもらえたとしても、二度と戻りたくないぜ」
空腹でイライラが治まらなかったのか、アレスは商店街へ行く道すがら、ひたすら文句を垂れていた。
味付けしかり、腹一杯食わせてもらえなかった諸々の辛い出来事が、ここに来て思い起こされたが故に違いない。
さて、アレスは出所前にハビエルから貰った5万ゼニーのお金を握りしめ、早速、噴水広場を離れて、アーケード付きの商店街“プぺロス・バルカーニュ”へと向かった。
プぺロス・バルカーニュはアーチ状の列柱が立ち並ぶ、アスピリッサ随一の商店街の1つである。バニラ色の石柱がアーチ状に形成され、それらが支柱となってその柱と柱の間にお店が組み込まれる造りとなっている。それらのお店の数々が南北に渡り断続的に続いているのが、この商店街の特筆すべき特徴だ。さらにアーケードの天井部分は一面ガラス張りとなっており、高級感漂う日中の広々した空間を生温かく照らしている。
外観どれをとっても、ため息が出るほどの芸術性を誇る商店街だった。
だがしかしそのように美しきアーケード商店街も、その外観とは打って変わり、中の人通りは思いの他少なかった。商店街の入口に足を踏み入れ、眼前に広がる閑散したこれらの景色を前に、アレスは以下の感想を述べていた。
「マジか。こんな真昼間な時に、どの店も軒並み臨時休業だ。いったいこの町、どうしたってんだ。まるで魔獣の襲撃に遭って、荒廃した町のようになってるぞ」
以前、アレス・ゴットバルト像のお披露目式の前日に、彼は一度この商店街をプぺロス市長を始め、市役所の幹部の方々と共に視察しに来ていた。市長が先陣を切って、様々なお店が軒を連ねるこの周辺を順繰りに回らせてもらっていた。その視察当時はどの店も活気があった。
客が入れ代わり立ち代わりにお店を盛んに出入りし、陳列されたどの商品も飛ぶように売れていたのが、彼にとって記憶に新しい光景だった。嗜好品や娯楽品を前にして、興奮冷めやらぬ様子で、どれにするか選びあぐねている人々の様子は、田舎育ちの彼にとって実に印象的だったに違いない。
そのように絶えず人々の交流があった、ここプぺロス・バルカーニュ商店街だったが、今となっては最早、その見る影もなくなっていた。店先には臨時休業の張り紙が多く目立ち、どこもかしこも固く扉を閉ざしている。
今では、あの頃の賑わいぶりが嘘のように、寂れに寂れ、過疎化が進んだ商店街と化していたのであった。
「なんか別世界に来ちまったみたいだ。前までは、やかましいくらい人がウジョウジョ居たのにな」
商店街の奥へ奥へと進んでいく度、舗装された道路を踏みしめる彼の靴の音が高く鳴り響く。それは実に悲しい響きだった。
そうしてしばらく道なりに進んでいくと、軒並み臨時休業の張り紙が貼られている中で、唯一1軒だけのれんを上げているお店があった。
軒先で純白のターバンを巻いた黄金色の肌をした男の店員が、店前で立ち並んでいるお客さんにケバブを売っていた。カウンターには大きな肉の塊が、天井から吊るされた一本の鉄製の棒に、言わば串刺しに遭った状態のようにしてぶら下がっている。
その肉の表面を、ターバンを巻いた店員がノコギリのような形をした長包丁でもって、丁寧に5枚ほど切り削いでいく。最後に割と薄めの生地のパンに、野菜と切り削いだ肉等々を包めたところで、店前で待機するお客さんに手渡していた。
「もうこの辺に他の店はなさそうだし、あそこにするか」
アレスが言うようにそのお店を除き、他に営業している店は見渡す限り、どこにも見当たらなかった。
他に選択肢はなさそうである。彼はすぐに、ケバブ屋に足が向いたのであった。
「すんませーん、ケバブを1つおねしゃす」
アレスは、純白のターバンを巻いた男の店員にそう話しかける。
「はーい、毎度ありがとうございます。……えっ? アレス・ゴットバルト?」
アレスと目が合った瞬間、店員の表情は瞬く間に固まった。それまで応対していたお客さんに対しては皆、接客スマイルで応対していたものの、肝心の次のお客がアレスだと認識した瞬間、一気に笑顔が吹き飛んでしまったらしい。口元も真一文字となり、店員の顔全体もまるで石膏で固められたように強張り始めた。
当然ながら、元Sランク冒険者アレスその人と知っての反応だった。
よっぽど驚きの来訪だったのだろう。
それからも店員はアレスに対するお客様対応を忘れ、ずっとその場に立ち尽くしたままだった。
しかしその店員の顔の強張り方は、有名人と偶然鉢合わせたことによる嬉しさから来たものではなかった。むしろ同じパーティー会場で、顔を合わせたくもない相手とバッタリ遭遇し、怒りが込み上げてくる時の感情と似ていた。世間からバッシングを受けた人に対する、一般市民の反応としては至極真っ当なものなのかもしれない。
依然として店員の方から、何らアクションがないことにしびれを切らしたのか、たまらずアレスは次のことを言った。
「いかにも俺は勇者アレスだ。まあとりあえず、君、早くケバブの注文をよろしく。お腹を空かせてんだよ、こっちは」
ターバンを巻いた黄金色の肌をした若い店員を君呼びにしながら、アレスは注文を急がせる。やけに店員に対して、横柄な態度だった。
「……ケバブ1つですね? かしこまりました。少々お待ちください」
店員はやけに気まずそうにアレスから視線を外すと、早速ケバブの作成に取り掛かったのであった。
そういう店員の声のトーンは低く、何ともつれない態度であった。店員の態度からは終始、ピリッと重い雰囲気が漂っていた。
「なんだよ、この店員。感じ悪いぞ、ったく」
アレスは店員に聞こえないような声量でボソボソとそう述べる。横柄な態度を取っているのはアレスの方であるにも関わらず、いったいどの口が言ってんだか……。
思わず声を大にして言いたくなってしまうのも無理はなかった。
少し前までのアレスなら、道を通る度に人々から羨望の眼差しを一身に浴びていた。通りすがりの一般人がアレスだと分かるや否や、すぐさま彼の元に押し寄せ、果敢に接触を図ろうとする。彼にとって、それがごくありふれた日常であった。
だがそれも今となっては過去の話だった。
以前までのアレスが店を訪れようものなら、店員がすぐさま彼に駆け寄り、『うちの商品はどうですか?』とか『お味はどうですか? 試食した感想は?』など、目をまるで宝石のように輝かせながら、矢継ぎ早に話しかけてきたものだった。こちら側から何かを話しかけずとも、向こうの方から自然と話しかけてきてくれるのだ。
特に今時の女性店員ならば、アレスの姿を見た瞬間、口元に手を当て、みるみるうちに顔を紅潮させる。そして嬉しさのあまり、その場をぴょんぴょんと、まるで活きのいい魚のように飛び跳ねていたものだった。
それは見ず知らずのごくごく通りすがりの人であっても、同じような反応を見せていた。
Sランク冒険者時代の彼は、言うなれば英雄クラスの扱いを受けていたこともあって、周囲もそんな彼に対して、至極好意的だったのである。
だがしかし、それも今となっては過去の話だった。目の前に居るケバブ屋の店員の態度からも見て取れるように、銀行内で暴力沙汰を起こし、マイナスイメージがついていたと思われる彼に対し、あからさまに塩対応となっている。ケバブ屋の周辺は、まるで夜の静けさのように静まり返っていた。
そんな気まずい沈黙が流れているこの状況を嫌ってか、アレスはケバブ屋の店員に次のように話しかけた。
「いつからこの辺に、ケバブをオープンさせたんだ?」
すると店員は抑揚の一切ない、か細い声でこう述べた。
「……さあ、1年前くらいじゃないですかね?」
「へえーそうなんだ。他に従業員は?」
「僕とお母さんと妹の3人ですね」
「そうなんだ。この肉って何の肉なんだ?」
「鶏もも肉です」
「へーそうなんだ。まるでバジリスクの尻尾みたいにぶっといんだな」
「そうなんですね」
「バジリスクって、主に砂漠地帯に生息する蛇型の魔獣なんだ。全長は10メートルで、ちょっとやそっとの斬撃じゃ、簡単に刃こぼれを起こす。それだけ討伐難易度が高めの魔獣なんだが、君、知ってた?」
「知りません」
店員も黙々とケバブを作るのみで、そこから話を広げようとすることもなかった。踏み込みたくもなければ、踏み込ませたくもないかのような絶妙な距離感を、その店員からは大いに感じさせた。その様はまるで完全に脈なしの女性から取られる、素っ気ない態度そのものだ。
会話はそれを境に完全に途切れてしまった。店員がアレスに対して、まるで興味を持っていないのは明白であった。
アレスも店員のつれない態度に、ばつが悪そうに表情を曇らせる。
以前までの彼なら、このようなとりとめのない話であっても、ごく自然と話に華が咲いたものだった。
例えばアレスが、とある娘と母が二人三脚で営んでいたアップルパイ専門店に訪れていた時のこと。アレスが別に聞いてもいないことを、その場の自然な流れで向こうから勝手に教えてくれたりもしていた。
『アレス様。聞いて驚いてはいけませんことよ。このアップルパイの隠し味はですね、なんとカボチャですのよ』
『お母さん! そんなこと口走っちゃダメでしょ! 企業秘密でしょうが!』
『きゃー! ついつい口を滑らせてしまったわー。いっけなーい』
『もー、いくらアレス様だからといっても、言っていいこととダメなことがあるでしょ!』
その時の娘は今後の不用意な発言の戒めのためか、母親の頭をげんこつでコツンと殴っていた。
こういった些細な話であっても、アレスぐらいの人間ともなれば、いとも簡単に会話が弾むのだ。それはアレスの方から、特別何か話を振らずとも、自然な流れでそうなる。要するに、Sランク冒険者という大きな看板が、自ずと周りに良い影響を与え、周りの人達の心も開きやすくさせるのだ。
だがしかし今となっては、最早そのような光景も過去のモノとなりつつあった。Sランク冒険者としての看板を失った彼が、いくら興味を持って相手に話しかけようとも、周りの人達から一切の関心を示されなくなっていたのだ。
やがて店員がケバブを完成させると、それをアレスに手渡した。
「1,000ゼニーです」
アレスは代金を支払った。そのやり取りの間も、例の店員はずっとぶっきらぼうだった。
店内飲食のスペースも店の奥にはあった。中から話し声が、ちらほらと聞こえてくる。
しかしアレスはこれまでにあった諸々の出来事を振り返り、思い悩んだ挙句、結局中に立ち入ることはなく、その場を後にしたのであった。
おそらくその時、彼の中で一種の危機信号が働いたものと思われる。
現在、スキャンダルの渦中に居る人間が、いざ他の人の目がある中で店内飲食すると、アレスも含めその場に居る一般人までも居心地が悪くなる。そう思ったが故の彼なりの行動の選択だったと思われる。
◇◇◇◇
「さてと。こいつを食べ終わったら、市長宅に乗り込むとしますか」
ケバブを頬張りながら、アレスは再び来た道を戻る。一旦、噴水広場まで戻ってから、彼は市長宅に向かうつもりでいた。
その道中、アレスは通りすがりの際に何名かの人とすれ違った。すれ違う度、こちらに全く気付かない人も居れば、アレスその人だとすぐさま気が付く人も居た。
「見ろよ、アレスゴットバルトじゃないか。犯罪者だ」
「あいつ白昼堂々、金品を掠め取ろうとしたらしいぜ。
勇者様だからといって、許されることと許されねーことあるよな」
「あんな事件起こしといて、よく人目のある場所を歩けるよな。神経疑うぜ」
そしてアレスだと気づいた人はほぼ例外なく、腫物でも見ているかのような殺気立った目を彼に向けていた。少なくとも敬意が込められた眼差しではなかった。
それらの様は、まるで不祥事を起こして市民からの支持を失い、議員資格の剝奪まで追い込まれた元老議員と似たものがあった。
道中、ひっきりなしに冷ややかな視線を向けられて、精神が参ってしまったのか。アレスはすっかり気落ちした様子で次のことを言った。
「方針変更だ……。さっさと馬車乗り場に向かって、我が別荘に帰るとしますか」
一旦、商店街で腹ごしらえしてから、市長宅に乗り込む算段だった彼。しかしどうやら市民からの痛々しい目線を向けられたせいで、その気も失せてしまったらしい。
やがて噴水広場の近くの馬車乗り場に到着したアレス。
たまたま停車していた1台の馬車に乗り込むと、アレスは御者(運転手)に住所と目的地を伝えた。
「わかりました、ゴットバルト邸ですね。出発進行」
御者が手綱を叩くと、馬車は早速走り出した。
アレスは出発した馬車の中から、かつて繫栄していた噴水広場を物憂げな表情で見つめる。
「スキャンダルを起こしてから、一気に大衆の支持を得られなくなってしまった国王様の気分ってこんなもんなのかな。嫌な経験しちまってるぜ」
Sランク冒険者として、バリバリ活躍してた時は生き神ように崇めたてられていたアレス。人気絶頂からこうも人々に干されるという経験は、実に胸を締め付けられるものに違いない。当のアレスも、今回のことはかなり堪えた様子だった。
彼は世界中を飛び回る中、都に押し寄せてきた凶悪な魔獣をも撃破し、アスピリッサの未曾有の危機を何度も救ってきた。疑いようもなく大功労者だ。
しかしそんな圧倒的な実績を有する彼をもってしも、市民からのマイナスイメージを払拭することは困難なようであった。