第三十五話「娑婆に出てからの世間の反応」
「達者でなー、アレスさん! 今日中に手紙書いて、明日必着で送らせてもらうからな!
それと、もう戻ってくんじゃねーぞ。二度と悪さすんじゃねーぞ!」
牢獄の出入り口付近からハビエルは大きく手を振り、アレスの門出を祝福した。それは海賊王さながらの彼のモジャモジャな髭がユラユラと揺らめくほどに。
それだけアレスの出所を、看守ハビエルは自分のことのように嬉しいと思っていたに違いない。
「わかったー。短い間だったけど、ありがとうな。別荘、着いたらまた返事出すわー」
アレスはそんなハビエルの思いに応えるかのように、朗らかな笑顔を見せた。
看守ハビエルとは2週間ほどの短い付き合いだったが、A5のステーキの件といい、普段収監されていた時といい、実に色々なことがあった。
例えば小部屋に連れていかされ、唐突にアレスの自伝本の愛読者であることを告白されたり、鬼気迫る顔で事あるごとにぶち殺すぞと言われたり。
獄中でのアレスは当の看守ハビエルからは、このように散々な貶されようだったが、どうやらあの時ハビエルとの別れ際に見せていた彼の笑顔は本心からきているものであったらしい。
ハビエルから背中を向け、噴水広場に向かって歩き出していた時も、変わらずアレスはにこやかな表情を浮かべていた。
これは人によって様々だが、いざ知人と顔を突き合わせていた時は、感情豊かに接していたものの、いざ別れた瞬間、無機質な顔付きになるのはよくあることだ。
それまでは必死に表情を取り繕っていたが、いざその知人が自身の視界から消えた瞬間、表に出さないようにしていた殺伐とした心のうちが、ふと露わになるといった具合に。
まあ何事はあれ、少なくともアレスにとって獄中での日々は良き思い出に昇華されているようであった。
「さてと、今日から人生やり直しますか。第二の人生の幕開けだ」
アレスは1人そう決心を固めたのであった。
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アレスにとっては、久方ぶりの外の世界だった。太陽は高く昇っていて、日差しが目に染みるほどの快晴だった。また雨上がりだったのか、路上では水たまりがいくつも見られ、空には綺麗な虹がかかっていた。本日この日をもって出所したアレスを、まるでお天道様が祝福してくれているかのようであった。
そんなおあつらえ向きな天気に見舞われながら、アレスは噴水の広場を目指し歩を進めている。
その道中、アレスは先ほどハビエルから渡された例の保釈人からの手紙を取り出し、それに目を通していた。
「文面から察するに、おそらくドが過ぎるくらいド誠実な人なんだろうな。
いったいどんな人なんだろ。筆跡とか言葉遣いから見て、きっとこの人は学者か弁護士、医者。もしくはこだわりが強くて真面目そうな、時計職人なのかもしれないな。
……少なくとも、あの気性の荒いハビエルとは大違いだ。
あー、会うのが段々楽しみになってきた」
手紙を見て、勝手に例の保釈人の人物像に想いを馳せるアレスだった。
保釈金500万ゼニーは、以前のSランク冒険者時代のアレスからすれば、取るに足らない額だ。しかしながら一般所得者からすれば、気軽に出せるようなお金ではない。
それでもなお、アレスに対してこれまで一切の関わりのなかった第三者が、高額な保釈金を出してくれたのは、大いに価値のあることだと思われる。
「人生頑張れば、いいこともあるんだな」
冒険者パーティーヒポクラーンの勇退式の後の二次会に、メインゲストであるはずのアレスは全く呼ばれなかった。他にも保安騎士団に令状として“不敬罪”を突き付けられ、国家反逆罪で現行犯逮捕されたりなど、彼のSランク冒険者時代に築き上げた実績を考えると、これらの扱いの数々はあまりにも不憫なものだった。
アレスにお世話になってきた回数も多かったであろう冒険者ギルド関係者も、結局誰一人として面会に訪れなかった。アレスに対して保釈金を出さないことが、冒険者ギルド側のそもそもの決定事項だったにしても、せめてギルド関係者の人を1人くらい、保釈金を出す出さないのを関係なしに、アレスとの面会に向かわせるべきだったのではないかと思われる。
アレスのSランク冒険者時代の頑張りとは裏腹に、いざその彼が窮地に追い込まれた時、冒険者ギルド側は何もしなかった。
仮に冒険者ギルド側から見放されても、彼を助けようと思う人は他にも確かに存在したことを、当の彼はその時噛みしめていたに違いない。
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アレスはようやく目的地である例の噴水広場に到着した。以前、ここ噴水広場にて行われたド派手な金ピカのアレス・ゴットバルト像のお披露目式に、彼は招待され出席したことがあった。
当日のお披露目式の場は、まさにお祭り騒ぎだった。噴水広場は、元々大都会アスピリッサの一大中心地だったのだが、その場所にアレスの像が建つと聞きつけた熱狂的なアレス信者が、この広場一帯に集結したのだ。
広場は軽く1万人近く収容できるほどの広大な敷地面積を有していたのだが、結果的に広場の隅々まで大勢の人々で埋め尽くされる形となった。
『生き神様だ! 生き神アレス・ゴットバルト~!!』
『現代社会の救世主様~! 素敵!』
当日のお披露目式の中で、アレスは特設のスピーチ台に立って演説を行うことになっていた。その流れの中で、彼がスピーチ台にあがる番になると、四方八方から彼を称賛する声が鳴りやまず、一時、彼の演説が中断になるほどの騒ぎとなった。
アレスが演説の第一声を発する度に、特に広場に集まっていた女子供連中からは黄色い声援がひっきりなしにあがり、現場は異様なまでに色めき立っていた。
これもアスピリッサ市民ないし、アレス信者が英雄である彼の魅力にあてられたからだと思われる。Sランク冒険者とは、そんな離れ業を軽々とやってのけてしまうのだ。
また集まりの端の方から演説を聞いていた人らは、壇上に居るアレスの姿が米粒のような大きさにしか映っていなかったと思われる。
そのため中には、噴水広場の周辺の建物によじ登り、とんがりの赤い屋根の上に陣取った人も居たぐらいだった。危険極まりない行為であったが、そこまでしてでもアレスの勇姿をこの目で見てみたいと、強くそう思わされたが故のことだったのだろう。
『アレス・ゴットバルト~♪ 俺達の英雄~♪ 魔獣の喉を切り裂き~、辺りに鮮血の雨を降り注ぐ~♪』
上半身真っ裸で横っ腹の贅肉がたんまりついている色白のおっさんらが、建物の屋根の上で、アレスの自画像がペイントされたのぼり旗を懸命に振っているという奇妙な光景もあった。その旗振りに合わせて、建物の屋根の上に陣取っている人らは、各々肩を組みながら雄たけびをあげ、アレス個人の讃美歌を思い思いに歌っていた。
アレスの熱狂的なファンとなると、ここまで過激になる。まさに命がけなのである。
アレスのスピーチが終了し、彼が特設の台から降りると、一挙に人々が押し寄せ、またまた現場は混乱を極めた。アレスを取り囲むようにして、大勢の人が彼の讃美歌を歌って踊ったりし始めて、瞬く間に収拾がつかなくなった。
それらの光景はまるでコロッセオ(※闘技場)の人気選手が、見事な斬撃でライバル選手を打ち倒し、見事にチャンピオンの座を射止めたその感動的な瞬間と重なるものがあった。
新チャンピオンとなった選手の奮闘を称え、会場が一体となり、スタンディングオーベーションが送られる。まさにスポーツは人々を結び付けるといった雰囲気を、その時の現場からは大いに感じさせたのであった。
それから話は戻り、今現在。
アレスが再び、この噴水広場の地に訪れるのは久方ぶりである。
金ピカのアレス像が広場のシンボルとなってからは、急速に町全体が活気づくようになってきたとのことで、所謂“アレス特需”が始まったとのことだった。実際、それらの模様は度々アレスが、手紙のやり取りをしているアスピリッサ・プぺロス地区の町長から聞いたものであった。
町長からの手紙によると、やれ『犯罪率が減った』とか『大勢の人がこの街に足繁く訪れるようになって、経済が急速に回りだした』とか『観光客が増えて、インバウンド需要が右肩上がり』といった様子で、町の景気がすこぶる良くなっているらしい。
長らくこのプペロス地区に来ていなかったこともあり、当のアレスも町長の手紙に書かれた発展した町のイメージを思い浮かべながら、噴水広場まで足を運んだものの……。彼の目に飛び込んできた光景は、手紙に記された現状とはまるで違っていた。
直面した町の様子に、アレスは思わず以下の感想を呟いていた。
「んっ? あれ? ここ例の噴水広場だよな? 今、お昼時だよな? 人スッカスカじゃん」
アレスの言う通り、人通りは思いの他、まばらとなっていた。町長の手紙に書かれていたような、“アレス特需”で栄えた町の面影はそこには全くなかった。ただただ建物と建物の間に通り抜けた小風がビュービューと吹き荒れる始末で、人が行きかう雑踏の音よりも、目立つのはその小風の音の方であった。
町のあまりの変貌ぶりに驚きを隠せないアレスであったが、さらにそこから追い打ちをかけるかのような光景を彼は目にしてしまったのである。
「んっ? 俺の像は? この町のシンボルになった俺様の金ピカ像は? 確か噴水の中心部分にご立派にそびえ立っていたはずでは?
どうしてねーんだ? ……ひょっとして盗難にでもあった感じ?」
この噴水広場の言わば名物であったアレスの金ピカ像は、彼が言うように、そこには見る影もなかった。確かに先ほどアレスが言ったように、例の像が金目になると踏んで、集団強盗の被害に遭った可能性もあった。
「でも確か、町長からの手紙には“毎日、厳重な警備網を敷き、窃盗を働こうとする不届き者に目を光らせています”って話だったし。……集団窃盗の線はないか」
アレスは前々から交流のある、アスピリッサ市長の手紙に書かれてあった内容を思い出すなり、そう呟いた。
「だって俺が投獄される前に、最後に市長からもらった手紙には、“相変わらずアレス様の金ピカ像は、街の未来を明るく照らしています”って、ポジティブな内容が書いてあったんだけどな。
……でも実際の町の様子と来たら、人はまばらだわ、俺の像はどこにも見当たらないわで、なんだ? 俺、ひょっとして来る場所間違えたか?」
町のシンボル像が忽然と姿を消している事態を気がかりに思ったアレスは、ふと広場の近くを通りすがった男2人組に、以下のことを尋ねてみた。
「そこの青年。ちょいと質問がある。噴水広場にあった金色の像はどこに行ったんだ? 前まで確かにここにあったはずなんだが」
アレスが今は亡き町のシンボルの方を指差すと、男は次のように答えた。
「アレス像ですか? あーあれなら、ちょうど2週間ほど前に撤去されましたよ。なー? ロドリゴ」
「イエスサー。アレス像は撤去ですっサー」
男2人はお互いに目を合わせた後、首を縦に振った。
「撤去!? はあぁ!? どゆこと!?」
どうやらアレスにとっては、中々に衝撃的な発言だったようだ。驚きのあまり、思わず腹の底から大きな声が出ていた。
「確かその時、解体専門の業者みたいな方が来ていて、これっくらいのでっかいハンマーで、頭からつま先にかけて順番に叩いて粉々にしてましたね。
そしてその残骸を工事用の馬車に乗っけて、どこかに立ち去っていきました」
青年は身振り手振りを交えながら、そう説明した。
「な、なんて無礼な! 言語道断だ! それ撤去というか、むしろ取り壊しってやつじゃねえか。
……なぜだ、なぜ町の英雄であるアレス像に、そんなけしからんことをしてやがんだ、おい!」
街のシンボルであるアレス像をあろうことかハンマーでぶっ叩き、粉々にされたことに彼は人生最大の屈辱を感じたのだろう。
アレスは悔しさのあまり、勢い余って青年の胸ぐらに掴みかかっていた。
「いきなり何すんですか。これだからアレス信者は……。事あるごとにアレス様、アレス様ばっかり言って、本当に目障りなんですよね!
いいから、今すぐこの手を離せ! このアレス信者!」
その一言を言われた後、アレスはその青年に思いっきり頬を叩かれた。
それはそうと、当のその青年はアレス本人に向かって、アレス信者と言っていた。少なくとも目の前に居る人が、当のご本人であることに気づいていないのは明白だった。
「痛ってえええ! くー、何しやがるんだ。親父にもぶたれたことないのに……」
頬をぶたれたことで、冷静に我に返ったアレスは一言詫びの言葉を入れた後、そっとその手を離した。
ともあれ青年がアレス本人だと気づかなかったことも、仕方のないことなのかもしれない。そもそもの話、以前までこの噴水広場のシンボルとなっていた金ピカのアレス像は、何というか特に顔面そのものが現実の彼と比べて、とてつもなく美化されすぎていたのである。
現実のアレスの顔とは似ても似つかない。そう、それは全く赤の他人にしか見えなかったのだ。
要するにアレス像の彼の顔はあまりにも端正にしすぎているため、いざ青年がモノホンのアレスと顔を合わせていても、全く気付かないのも何ら不思議ではなかった。青年からしてみれば、そんな彼のことをただの害悪アレス信者としか映っていなかっただろう。
一応参考程度の話ではあるが、当のアレスの顔面偏差値は30から40を行ったり来たりしていると思われる。以前、アレスがSランク冒険者の肩書をフルに使って、女性との出会いに全く困らなかった時期のこと。
ギルド関係者を始め、アレスとのお食事の場に来てくれた女性が、かつては結構な数、存在した。しかしその中には、思ったことを率直に口にするタイプのデリカシーがないタイプの女性も居り、その度に『アレス様って、もっと端正な人だと思ってたー。近くで見ると、ただのガマガエルじゃん。お肌ブツブツで、面長でエラが出っ張ってるし。肖像画の時の顔と全然違うじゃん。ショック~』と中々に辛口なコメントを頂いていた。
そこまでストレートな発言はしない、心優しい女性も居ることには居たが、彼の第一印象をお食事会の会話の流れでそれとなく聞いてみると、返ってくる答えは『それとなくいい雰囲気ですね』とか『タイプな人も居てると思います』とか『清潔感はあると思います』といった無難なモノばかりであった。
故にアレスの顔面偏差値は女性陣からしてみれば、30から40代を行ったり来たりしているものと思われる。
さて話は戻り、アレスからしてみれば先ほどの過去のエピソードしかり、目の前の青年に自身が本物のアレス・ゴットバルトだと気づかれなかったことに苛立ちが募ってたのだろう。
鼻息をまるで闘牛のように荒げながら、アレスは以下のように声を張り上げた。
「クソー! あの町長め! あとで直談判してやるからな! 覚悟しとけ!」
そう言ったアレスは、顔を真っ赤にしながら、そそくさとその場を後にしたのであった。