第三十四話「看守副主任ハビエルからの出所祝い」
看守ハビエルの後に続き、しばらく地下牢の長い廊下を歩いていたアレス。
廊下を挟んだ両側の牢獄には、数々の凶悪犯罪に手を染めてきた、まさにいわくつきの悪人達が大勢収容されていた。身体だけでなく、顔にまでびっしりと刺青が入った強面の囚人ばかりが収容されており、本能的に危険な香りがプンプンと漂ってくる。
「うわー、おっかねえ……」
元Sランク冒険者のアレスも、これには委縮していた。ましてや現在、アレスはクソ女神の加護によってステータスオール1のデバフ効果を受けている身。
おそらく今のアレスの状態で、彼らに目を付けられようものなら、命がいくつあっても足りないだろう。精神的にも物理的にも、強面の凶悪犯らには遠く及ばないその事情も相まって、彼の中では一層恐怖が倍増しているに違いない。
「おい、そこの下っ端。てめー、今月の上納金はどうした? 全然足りねーじゃん!」
地下牢一帯は昼夜を問わず、地獄絵図そのものだった。牢獄の世界は常に空気が重たい。
牢獄の至る所から魔獣の咆哮のような品のない言葉が飛び交い、特に新入りや下っ端の囚人にとっては居心地があまりにも良くない。収容年数が短い囚人は、収容年数の高い人達のグループからありとあらゆる”かわいがり”を受けるのが、ここ牢獄界隈のしきたりのようだ。
幸い、アレスは雑居房ではなく独居房に収監されたこともあって、この種のかわいがりを受ける機会はなかった。だが仮にアレスがこれらの人らと同じ房に収監されていたとしたら、ほぼ間違いなく収容年数の高い人達から目の敵にされ、ただでは済まされなかっただろう。
きっと毎朝毎晩、一睡すらできず終始怯えながら過ごすことを余儀なくされていたに違いない。徹底的に”かわいがり”の対象として弄ばれ、アレスはさらに絶望の淵に叩きのめされていたことだろう。
「いったい、いつまで続くんだよ。このデスロード……」
アレスは現在、圧倒的弱者な分、おそらくいわくつきの彼らと目を合わせたくない心境であるに違いない。アレスは地下牢の長い廊下を歩いている最中、ずっと目線が下の地面を向いていた。
アレスは特別、凶悪な犯罪に手を染めたわけでなかったが、まるでこれから罪を償う受刑者かのような浮かない表情を浮かべていた。
そうした中で、凶悪犯が渦巻く雑居房のエリアを横切っていたアレス達。
するとそこの住人である囚人の彼らは、アレスの姿を見るなり、牢獄の至る所から次々とかわいがりの声をかけていった。
「おい、そこの落第騎士! これから娑婆の世界に出られるからってよお、調子に乗んじゃねえぞ!」
「どうせお前はすぐに戻ってくる。お前はすでに俺らと同じ、汚れちまった身だからな!」
「盗み癖は中々治らないぜ、アレは病気だからな。病気持ちのお前さんは、きっとすぐに戻ってくる。ガハハハ」
「おめえよー、何だんまりを決め込んでやがる。ちょっとこっち来いや! 拳で語り合おうぜ?」
収容されている彼らは、アレスと看守の2人の表情や雰囲気を見て、これからアレスが娑婆の世界に出て自由の身になることをそれとなく察したのだろう。
ここぞとばかりに牢獄の至るところからやっかみの声があがっており、それらの声は留まることを知らなかった。
「まあ、戻ってきた時はたっぷり可愛がってやる。楽しみにしとけ」
「娑婆の世界よりも、ここに居る方が楽だって。アットフォームな我が社は、あなたの帰還を首を長くして待っております~。ガハハハ」
ちっとも笑えない牢獄ジョークを浴びせられながら、アレスは引き続き表情を1つも変えぬまま、地上に通じる道へ向かう。こういう時、もし何かの拍子で彼らと目を合ってしまったら最後だ。何を言われるかわかったものじゃない。おそらくアレスも同じ思いを抱いているに違いなかった。
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大勢の凶悪犯が渦巻く危険地帯を抜け、ようやく地上に出られたアレス達。その間、終始気が張り詰めっぱなしだったアレスは、ここに来て緊張の糸が切れたのだろう。力が抜けて、ヘナヘナと地面に尻餅をついていた。
スタミナのステータスもオール1であるアレスにとっては、地下牢の長い廊下もぬかるみの多い山道を歩くのと同じ労力を要するみたいだ。
「よく頑張ったな、アレスさんよ。ご苦労様」
看守副主任のハビエルは、後方で尻餅をついていたアレスに優しくそう声をかけた。地上1Fにあがったのと同時に、ハビエルの先ほどまでの鬼看守さながらの鬼気迫る表情は急に鳴りを潜め、またあの小部屋の時のプライベートモードハビエルさんに戻っていたのだ。
それからハビエルが、後方に居る彼の方に向き直おると、恥じ入った表情で以下のことを言った。
「朝方は大変失礼なことをした。こうしないと仕事の立場上、周りに示しがつかなくてな。すまねえ。
お前さんの釈放はわが身のことのように嬉しい。心から祝福するよ。おめでとう」
「あ~、そりゃどうも」
アレスは生返事でそう答えた。
「どうしたよ、アレスさんよお。久々の娑婆の空気だぜ? もっと心の底から感情を爆発させろよ。嬉しくないのか?」
何とも気乗りしない返事に、ハビエルはやや表情を曇らせる。
「そりゃ嬉しいっちゃ嬉しいよ。けど何というか、今はドッと疲れが押し寄せてきてそれどころじゃないんだ。……少しここで休ませてもらっていいか?」
そう言うと、アレスは尻餅をついた状態からそのまま仰向けに倒れ込んだ。よっぽど疲労困憊だったのだろう。ただ凶悪な囚人らが集うまさにデスロードを数分かそこら歩いただけなのだが、彼からしてみれば、まさに魔獣との激闘を終え、全ての力を出し切ったような表情を滲ませていた。
その様子を見た看守ハビエルは、また彼の中で何かのスイッチが入ってしまったのか、みるみるうちに額に青筋を浮かべ出した。
「おい、囚人番号151番! てめえ、誰の許可で仰向けでくつろいでいいと言った! 即刻その場から立ち上がれ! ぶち殺すぞ!」
「ひぃぃ~、大変恐れ入ります~」
先ほどまでの困憊ぶりが嘘であったかのように、アレスはすぐさまその場から立ち上がった。まさに厳しい訓練を受けてきた一人前の兵士そのものを彷彿させる姿だった。
上官の命令とあれば、例え火の中水の中でもすぐに飛び込んでしまえかねないほどの条件反射っぷりであった。
「おおっと、すまねえ。また仕事の時のアレが出ちまった。いきなり怒鳴り散らしちまって、悪りぃ」
ハビエルは申し訳なさそうな顔で、謝る。
「はぁ~、そうですか。もう別に謝らなくてもいいですよ。そんなに気を遣わないでください」
アレスは気落ちした表情でそう述べる。
ここ数週間のハビエルは、実に情緒不安定に陥ったかのように感情の起伏がとにかく激しかった。ある時は気さくで話しやすいとびきり良い人なのだが、ある時は烈火の如く何かにつけてはすぐに怒鳴り散らす、まさに人の心を失った悪魔のような人間に変貌する。
そうした一面をハビエルは持ち合わせているため、おそらくアレスは彼に対してとっつきにくさを覚えているに違いない。以前の時と比べて、アレスはハビエルに対してよそよそしくなっているように見える。まあ、これも仕方のないことなのかもしれない。
「ありがとう、アレスさんよお。これも職業病っちゅうもんでよ。他の人達からは度々、俺のことを気性の荒い人間だと受け取られるんだが、決してそんなことはないからな。
……本来の俺は心の優しい人間ったい!」
したり顔で堂々とそう述べるハビエル。
「はあ~、さようですか」
しかしアレスの反応は、やや冷ややかであった。
おそらく彼の心境としては、”お前さんが心の優しい人間って……。そんなわけあるかい!”といったものであったに違いない。
ハビエルにぶち殺すぞとか散々言われてしまったら、いくらあのアレスとはいえ、そう思ってしまうのも無理はないだろう。
その後、ハビエルは懐から何やら包みを取り出し、サッとそれをアレスに手渡した。
「出所祝いというわけじゃねえが、俺からはこれを渡しておく」
「なんだこれ? 中に何が入ってんだ?」
アレスは綺麗にラッピングされたその包みを振ってみるなり、片目を瞑って覗き込むようにして見るなりをする。
「中には最近巷で流行っている”バームクーヘン”という甘露なお菓子が入っている。あとは現金5万ゼニーだな。
ちなみにそのバームクーヘンは今朝、買ったものだ。バジリスクの胴体レベルの長い行列だったぜ……」
「はあ~、わざわざそんな労力をかけてまで……。ありがとうございます、ハビエル副主任」
アレスは気のない返事でそう言うと、包みのラッピングを剥がし、中身の物を確かめようとした。
するとその様子を見たハビエルは、また彼の中で何かのスイッチが入ってしまったのか、烈火の如く次のことを言った。
「おい、囚人番号151番! てめえ、誰が勝手に包みを開けていいと言った! 単独行動は辞めろ! ぶち殺すぞ!」
ハビエルが仕事モードに戻った途端、アレスは慌てて手を止めた。怒りの沸点がどこにあるのか、実にわかりづらい相手である。
「おーすまねえ。ついつい、仕事の時の俺の顔が出ちまった」
一言詫びの言葉を入れた後、ハビエルは続けて以下の説明を続けた。
「改めて言うがこれは俺からの出所祝いだ。中身はここを出てから確認してくれ。看守が囚人にモノを渡すところを別の誰かに見られでもしたら、てーへんなんだ。こういうのは完全にご法度なんだよ。
……これもせめてもの俺の気持ちだ。受け取ってくれ」
「わ、わかった。大事にするよ」
ハビエルからの思いも寄らないプレゼントに若干困惑するアレス。
アレスは改めて周りに誰もいないことを確認してから、サッとその包みを上着の内ポケットに忍ばせた。
「あとその5万ゼニーについてなんだが、それは馬車の運賃代だと思ってくれ。
馬車は、ここから10分ほど歩いた先に噴水広場があって、その場所で拾うことができる。
正直、2~3万ゼニーもあれば、アレスさんの別荘まで十分足りるとは思うんだが、まあ余った金は好きに使ってくれ。
噴水広場の近くの市場には、味付けが濃くて美味しいモノがたくさんある。ここのところ随分と腹を空かせているだろ? ……これもせめてもの俺の気持ちだ。受け取ってくれ」
「ど、どうも。感謝します」
無難にそう言葉を返したアレス。ここから何か余計に言葉を付け加えたら、再びハビエルの中で何かしらのスイッチが入ってしまう事態を恐れたのだろう。それ以上の言及はアレスの方からはなかった。
ちなみにハビエルが言っていたその噴水広場は、噴水の中心にアレス・ゴットバルトその人の像が建てられているアスピリッサ随一の人気な広場のことを指している。ド派手に輝く金ピカのアレス像が実寸大サイズでそびえたっており、アスピリッサ市民らからは「黄金のアレス広場」として広く認知されている。
そのため市民からは、定番の待ち合わせスポットとして、しばしば活用されているのが現状だ。
また黄金のアレス像が建ったことから、市場の景気が右肩上がりとなっているため、大いに栄えているエリアでもあった。
「また手紙を送るよ。いつでも屋敷への招待状、待ってるぜ。あと身の回りのことで、何か困ったことがあればいつでもかけつけるからな」
アレスとのお別れが近いこともあってか、ハビエルは彼の背中を強く叩いた。
牢獄の外の世界まで、あと扉1つ隔てた先のところまで来ていた。
「ははは、またこちらから連絡させていただきます。ではでは」
「度々、仕事の時の俺が無礼を働いちまったな。本当にすまなかった。長いこと看守を続けてると、ついつい人様を怒鳴りつけたくなっちまうんだよ。ごめんよ」
「ははは……。看守って色々と大変なんすね。同情します」
あの部屋で談笑していた時とは違って、乾いた笑いを浮かべるアレスだった。




