第三十三話「仕事モードに逆戻り」
「さっさと歩け、囚人番号151番。ぶち殺すぞ」
「へ、へ~い」
再び手枷足枷を装着させられたアレスは、力ない返事でそう答える。
あの部屋での談笑の時間が終わり、完全に仕事モードに戻った看守副主任の彼ことハビエル。
先ほどまでの温和な態度は消え失せ、完全に鬼看守へと逆戻りだ。
プライベートモードの時の彼はアレスの自伝本の愛読者であることを告白したり、他にも自身の過去の話を気分上々で話していた。アレス本人もそんな彼と、完全に意気投合したモノと思い込んでいたことだろう。
だが不意に部屋のドアがノックされ、ハビエルの部下が入室してきた瞬間からは、何か彼の中でスイッチが入ってしまったと思われる。今となっては、アレスに対してぶち殺すぞと堂々と言ってのける始末である。
そうしてまたまたアレスはハビエルの手によって、手枷足枷をかけられ、再びあの小部屋から外へ連れ出された。背後から看守ハビエルの怒号を浴びせられながら、ひたすら前を歩かされるアレス。その様はまるでリードで繋がれ、調教される馬のようであった。
「よーし着いたぞ! ここがお前のお家だ! とっとと入りやがれ!」
罵詈雑言を浴びせられながら、自身の牢獄へ乱雑にぶち込まれるアレス。
「ちょっとハビエルさん。乱暴すぎるって。そんなに強く引っ張られたら、手足がもげるって! もっと俺様を丁重に扱いたまえよ!」
懇願するような目つきで、看守ハビエルにそう訴えるアレス。
しかし当のハビエルは、アレスの訴えを聞き入れることはなく、無情にも外から鍵をかけた。
それからハビエルは、まるで拷問請負人のような鬼気迫る表情で次のことを言った。
「囚人番号151番。たかが囚人の分際で、気安く俺様の名前を呼ぶんじゃねえ! ぶち殺すぞ! 馴れ馴れしく接してくるんじゃねえ!」
「えええ! 何だよそれ!」
アレスはハビエルのそのあまりの変わりように動揺を隠せない様子だった。親友の突如の変貌。開いた口が塞がらないとはまさにこのことで、アレスはすっかり呆然としていた。
またハビエルはアレスに対して、追撃をかけるように以下のことを言ってきた。
「ありがく思え、囚人番号151番。明日の朝食もいつも通り、あの野菜スープにパンがセットでついてくるぞ。
浸して食ってみるのもあり、口にスープをたっぷり含みながらパンをグジュグジュにして、水気たっぷりに食ってみるのもありだ。
せいぜい明日のモーニングも楽しみにしてるんだな! 以上!」
それだけのことを言い残し、颯爽とその場を後にしたハビエルであった。
「お下劣な……。ったくひどい変わりようだぜ、看守って奴はよお。二面性がありすぎるぜ」
何て行儀の悪い食べ方を教えてくるのだろう、とでも言いたげな困惑した表情を浮かべたアレスだった。
せっかくハビエルと意気投合したように思えたアレス。だが看守の彼はあまりにも、仕事とプライベートの時の姿があまりにも両極端であった。
きっとアレスの胸中には、上手くハビエルに取り入れば、毎朝毎晩の食事も改善の兆しが見られるといったものがあったに違いない。
しかし仕事モードに戻ったハビエルの鬼教官ぶりを見れば、それは望み薄であると痛感したことだろう。
この監獄の世界においては、囚人からの賄賂といい、おべっかというモノは通用しないとアレスは改めて思い知らされたに違いなかった。
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アレスが看守ハビエルからA5の極上のステーキを振舞ってもらった翌朝のこと。
昨日の看守ハビエルの通告通り、アレスの元まで運ばれてきた食事は、いつものあの栄養価がまるでない野菜スープと、カビの生え散らかしたパンであった。
昨晩に提供された食事とのあまりの格差に、たまらずアレスは食事を運んできた若手の看守に対して、次のようなクレームを言った。
「おい、看守さんよお。いい加減にしろよ。何だよ、この腐ったパンに味のしない野菜スープは。
俺を栄養失調にさせたいとしか思えないんだよなー。違うか!」
昨日の段階では、看守ハビエルの懐に上手く入り込めたと言えるアレス。しかし残念なことに、看守副主任の彼との関係性が良好にはなったものの、毎朝毎晩の食事の質まで改善されることはなかった。さぞかしフラストレーションが溜まっていたことだろう。彼の発言には中々棘があった。
「囚人番号151番。我々の提供する食事に関するクレームは一切受け付けておりません。食い終わったらいつも通り、トレイを戻しておくように。以上」
アレスの毎朝毎晩の食事に対するクレームは、看守間で最早お決まり事となっている模様だ。
どうやら”またいつものことか”と、看守間で認識されているようで、まともに取り合おうとする態度が見られない。看守側の人間からしてみれば、アレスのクレームなぞ近所を徘徊しているおっさんのたわごとにしか感じていないと思われる。
「もしこれ以上、クレームを申し入れる場合は、また副主任のハビエルさんに言いつけますからね。それでもよろしいですか?」
このようにアレスのクレームに慣れっこなのか、看守は淡々と言葉を返してきた。
「ひぃ! それだけはご勘弁を……」
若手の看守にハビエルの名前を出された瞬間、アレスは激しく身震いした。二面性を持つハビエルに、すっかりトラウマを覚えてしまっている様子だった。
「よろしい。ではでは」
若手の看守はそう言って、その場を去った。
他の看守連中が各々の囚人に食事を運び終え、全員上のフロアへと戻っていく。アレスは看守連中がこの一帯に誰もいなくなったのを見計らったところで、腹の底から以下の独り言を言った。
「畜生! 全員、揃いも揃って、お役所対応しやがって。そういう心がこもっていない、上辺だけのやり取り。俺、大嫌いだからな! そーいうのやめてくれや!」
牢獄に囚われたことによる屈辱を始め、内々に相当溜まっていたモノがあったのだろう。あまりにも虚しさを感じる心の叫びであった。
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「もう夕方の18時か。はあ~、早くあの頃に戻りたい」
アレスが収容されている牢獄内を、某Gがカサカサと活発に動き始めた時分のこと。特に何もすることがなかったアレスは、牢獄内の冷たい床の上を某Gがうごめいている様をじっと眺めていた。
長い獄中生活を経てどうやらアレスも、他の囚人連中と同じく某Gに愛着が湧くようになってしまったらしい。この時のアレスの心情は分からないが、おそらく某Gを観察することを通じて、生命の神秘やらものに感動を覚えているものと思われる。
そうしてアレスが感慨深さに浸っていると思われた、そんな最中のこと。不意に看守副主任のハビエルがアレスの収監されている牢獄の前にやってくるなり、次にこう告げたのだった。
「囚人番号151番! 出ろ!」
ハビエルが声高々にそう告げると、牢獄の施錠を解き、中に入ってきた。
「えっ? 出ろ? 出ろってどういう?」
アレス自身がこの牢獄にぶち込まれて以来、これまで体験したことのなかったケースだった。約2週間にもおよぶ獄中生活の中で、アレスは食うことと寝ること以外の一切の自由が許されていなかった。
運動の自由も囚人同士の私語も厳禁であった過酷な環境下で、今一度、看守のハビエルに牢獄の扉を開けられ、”出ろ”と言われても、アレスにとっては何が何だかといった状態だった。
「そのまんまの意味だ。いいから出ろ! それ以上でも以下でもない!」
ぐずついているアレスに苛立ちを覚えたのか、ハビエルも声を張り上げる。
「はっ! ……このパターンはひょ、ひょっとして! 俺、これから処刑台に連れていかれちまうってことか!? 全アスピリッサ市民の前で、俺の首が公開処刑されちまうってことか!?」
どうやらアレスは看守ハビエルの態度を見て、自身が断頭台に連れていかれる様を思い浮かべたらしい。アスピリッサ市民の前でギロチンにかけられ、無残にもさらし首にされるその光景を。
「ハビエルさん、よしてくれよ! 俺はね、まだ死にたきゃねーんだよ!」
焦燥に駆られたアレスは、迫り来るハビエルの腕を振り払いながら、抵抗の意志を見せた。
「おとなしくしやがれ、囚人番号151番。俺様にたてつくとはいい度胸だな。ならばこうしてくれようか? んっ?」
埒が明かないと思ったのかハビエルは突然、アレスに対して拳を振りかざしてきた。アレスの襟首をギュッと掴みながら。
「おい、ハビエルさんよお。いい加減、この腕を離してくれよ! 俺をお迎えに来させようといったって、そうはいかないからな!? この、この!」
執拗に暴力で訴えようとするハビエルを見て、アレスはあがき続けた。彼からしてみれば、本人の許可なしに無理矢理、断頭台まで連れていかれ、挙句の果てにアスピリッサ市民の前でさらし首にされる。元Sランク冒険者として栄華を極めた彼にとって、こんな最期を迎えることは己のプライドが許さないだろう。
アレスはハビエルの腕を掴み、あの手この手を使って引き剝がそうと試みていた。
「未来あるこの若者を手にかけるなんて! 冗談じゃないよ、ハビエルさん。この世の中は本当にとち狂ってる! 俺を死地に誘うなんてどうかしてるぜ!」
その様はまるで目をカパッと見開き、半狂乱に陥った獣のようであった。
そんな奇声を上げ、野性的な暴れ方をするアレスを見たハビエルは、アレスの背後に回ってヘッドロックし動きを封じるなり、次のことを述べた。
「何を勘違いしてる、囚人番号151番。よく人の話を聞け。むしろ、その逆だ逆。喜べ、今日からお前は自由の身だ!」
ハビエルはアレスの首元に巻き付けた腕を、より一層強めながらそう述べた。
当のアレスは、ハビエルの華麗なヘッドロックに成す術なく、あわや窒息死寸前の状態となっていた。そんなアレスは苦悶の表情を浮かべ、詰まりそうな声を出しながら次のように述べた。
「へっ? 自由の身? どういうことだ、ハビエル!? ……うっ、息が苦しい。ギブギブ」
アレスはあまりの苦しさにハビエルの腕を何度もタップし続けていた。また看守ハビエルから”今日から自由の身”と言われても、アレスはいまいちピンと来ていない様子だった。強烈に首を絞められ、頭に酸素が充分行き渡っていない影響があったものと思われる。
アレスの腕が次第に力なくだらんと垂れてきたところで、ハビエルはそっと彼から離れた。
「釈放ってことだよ。囚人番号151番は今日から娑婆に出られるってことだ。ユーアンダースタンド?」
ハビエルは丁寧な口調でそう述べた。
「しゃ、釈放? 娑婆に出られる? ユーアンダースタンド? ……つまり俺は死なずに済むってことだな!?」
ヘッドロックから解放されて、酸素が頭に行き渡るようになったこともあってか、ようやくアレスは彼の言葉に合点がいった様子だった。
「おうよ。お前に保釈金を出した人物が居てな。ありがたく思え!」
「マジか! ようやく俺、好きなだけ外の空気が吸えるようになるんだな。ありがてーや、ありがてーや」
アレスにとっては、まさに青天の霹靂の出来事に違いなかった。何せ、元Sランク冒険者のアレスのために保釈金を出し、わざわざ娑婆の世界に出られるよう取り計らってくれる人が居たのだから。さぞかし、喜びもひとしおであることだろう。
「いやー実にありがたい。早速ハビエルさんよお、保釈金を出してくれたその人と会わせてくれや。一秒でも早く、そいつの顔を拝ませてほしい。さっきからお礼を言いたすぎて、うずうずしてるんだ。頼むよ」
居ても立っても居られなかったのか、強くそう懇願するアレス。
「待て待て早まるな、囚人番号151番。保釈人との面会の件なんだが、そのご本人様から、1枚手紙を預かっていてだな」
そう言うと、ハビエルは懐から封筒1枚を取り出し、中から便箋を1枚引き抜いた。
「えっと内容は以下の通りだ。読み上げる」
便箋を広げると、ハビエルは手紙に書かれた内容を読み上げた。
『こんにちは。アスピリッサの英雄アレス・ゴットバルト様。私はジョエル・カロリントンと申します。元冒険者でもなければ冒険者ギルドの関係者でもありません。ごくごく普通の労働者です。
さて、早くも本題に移らせていただくのですが、つい2週間ほど前に、あなた様はとある事件を起こされ、牢獄に囚われの身となったようですね。
あなた様に関するニュースは瞬く間に全アスピリッサ市民の知るところとなり、街中に衝撃が走りました。アレス様の一連の逮捕劇には、様々な憶測が飛び交いその真偽のほどはわかりませんが、少なくとも私はアレス様の味方です。
そんなあなた様を救い出すべく、今回、あなた様に設定されていた保釈金500万ゼニーを捻出し、先ほどお支払いを済ませてきました。
あなた様はアスピリッサの生きる伝説。間違っても囚われの身になっていていい人間ではありません。私はあなた様の古くからのファンでした。是非ともこの機会にあなた様に一度お会いさせていただければと思います。牢獄内にある面会室じゃ場所もあれですから、比較的落ち着いたところでじっくりとお話をさせていただければなと思います。
もうじきアレス様は釈放され、自由の身になると思われますが、その後、手紙の末尾に書かれた場所までその足で来ていただけないでしょうか? アレス様とお会いできる時を楽しみにしています。場所は下記の通りです。よろしくお願いします』
ハビエルが全文を読み終えると、便箋を封筒の中にしまった後、封筒ごとアレスに手渡した。
「ちなみに保釈人が指定してきた場所は、ちょうど囚人番号151番が所有している別荘周辺だ。アスピリッサ郊外に建てている例のあの」
「マジか。ここからだと歩いて半日かかる距離じゃねえか。なんでそんな辺鄙な所をわざわざ指定してくんだよ、この保釈人ってやつはよ。わざわざ遠いところを集合場所にしなくてもいいだろうに」
アレスは若干、不満げな様子だった。場所を指定するならするで、移動に困らない所、たとえば牢獄近くの喫茶店でいいだろといったのが、きっと彼が思った意見であるに違いなかった。
「まあ保釈金を出してくれた恩人の言うことだ。ちょっとばかし思うところはあるが、素直に従うしかねえか。
一時はもう一生監獄暮らしだと思ってたが、神様はまだ俺のことを見捨てなかった。感謝してもしきれないってもんだぜ、アーメン」
アレスはそう呟くと、突然まるで祈りをささげる教会のシスターのような格好で、その場にひざまずいた。
「改めて感謝します、神様! もうダメだ、お終いだと思ってこの2週間、ずっと絶望に暮れてましたけど、今日から人生やり直してみようと思います。この再生の機会を授けてくださったことに感謝、感謝! 臭い飯から解放されるなんて、何てありがたいことや!」
自由の身となれるその事実にアレスは、神のご加護なるモノを感じ取ったのだろう。
胸元に手を合わせ、天を仰ぎだしているのを見る限り、よっぽど、囚人生活から解放されることに、満ち満ちた気持ちになったものと思われる。
「おい、囚人番号151番! 誰の許可でひざまずいていいと言った! 誰も許可してないよな! ぶち殺されてえか!」
「は、は~いぃぃ。申し訳ございません」
早速、ハビエルから怒号が飛んだことで、慌ててその場から立ち上がるアレス。
「祈りなんか捧げてないで、早くついてこい。囚人番号151番」
そう言うとハビエルは手枷足枷を外し、それから目配せをして、ついて来いと言わんばかりに奥の廊下を歩きだした。
「わ、わかりました。看守副主任殿……」
喜んだのも束の間、アレスはまたしてもどやされ、しょんぼりと肩を落としながらゆっくりとハビエルの後についていったのだった。