第三十一話「別室にて取り調べ」
「入れ、囚人番号151番」
「あっ、はい。お邪魔しまーす」
例の海賊王のような看守に促されるまま、別室に通されたアレス。アレスが部屋に入ったのを見たところで、看守も彼の後を追うように部屋へ入り、内鍵をかけた。
部屋は人が3人入っただけで、すぐに定員オーバーになってしまうようなこじんまりとした所だった。
部屋の中央には鉄製のテーブルが置かれ、椅子は向かい合わせにそれぞれ1脚ずつ。そしてテーブルの上にある2本のロウソクに加えて……そして、どういうわけか骨付きのステーキ肉がドンと2皿が用意されていた。
十分に火が通っていないためか、お肉にはまだ若干赤みが残っている。鉄皿の上でジュージューとまさに空腹を刺激する音を奏でていた。
しまいには皿の横に、ピカピカな光沢を放つスプーンとナイフ。それに加えて年代物と思われるワインと専用のグラスまで用意されている始末だった。
……これからアレスに対する尋問が始まるというよりも、むしろその真逆の真逆。客人をトコトンおもてなしするといった感じが、この小部屋からは漂っていた。
「さあどうぞ、囚人番号151。……じゃなくて、英雄アレス・ゴットバルト。
特別にあんたの分の食事を用意させてもらった。好きに食っていいぞ」
看守は先ほどの威圧的な態度とは打って変わって、やけに物腰が柔らかくなっていた。この小部屋に入室してからはアレスのことを番号ではなく、ちゃんと実名で呼び始めている辺り、どうやら仕事モードが抜けきっているように思える。殺伐とした看守の主任の雰囲気は完全に鳴りを潜めていた。先ほどまでアレスに対して、あれだけの罵声を浴びせた人とは思えない変貌ぶりであった。
まあそのようなことはさておき。当のアレスは、そんな海賊王のような髭をたくわえた彼の変貌ぶりよりも、気になっていることがあったらしい。テーブルの上に置かれている例の骨付きステーキの2皿である。
「くんかくんか。……おおお、これ本物のA5の肉じゃねえか。匂いだけで分かるぞ。ちょっと前までは、毎日のように食ってたからな。なつかしー」
Sランク冒険者だった頃の彼はそれまで生活水準の高い食事ばかり好き放題食べてきた。そのこともあってか、彼はこの小部屋に用意されている肉が、すぐに高級なA5の肉であることを匂いだけで見抜けていた。
現役だった頃の彼はアヒルやキジ、野ウサギやシカといったジビエ肉を始めとした数々の高級料理を、毎朝毎晩のように口にしてきた。故に彼の舌および嗅覚はその辺の庶民より、よっぽど肥えていると言えるのだ。
ちなみに余談ではあるが、そのこともあってか、彼はアスピリッサ随一の美食家としても人々の知るところとなっていた。Sランク冒険者および美食家といった肩書を思う存分利用し、予約2ヶ月待ちの大人気店にも彼は堂々と割り込みで入店することができた。
おそらくアスピリッサの都市内で美食大会が開催されたとしたら、アスピリッサ内の数々の名料理に舌鼓を打ってきた彼が、優勝候補筆頭となるだろう。彼の舌と嗅覚にかかれば、本物のA5の肉かそこら辺の露店で売られている安っぽい肉なのか容易に判別がついてしまうに違いない。
まあ要するにそれだけ彼は、Sランク冒険者としてこれまで酒池肉林の生活を送ってきたということである。
「……おい看守さんよお、これはいったいどういうつもりだ。A5のステーキが2皿って。気味が悪いぞ。まさかお前、この俺をA5のお肉で餌付けしようって言うんじゃないだろうな!?
わざわざこんな高いモノを用意してまで、いったいお前は何を企んでるんだ!?」
そういうアレスの目は入室してから早々、それらのA5のお肉に釘付けだった。瞬きすら一切していないほどに、さっきから目が見開きっぱなしだ。今現在、彼は極度の空腹に加えて、栄養失調に苛まれている。今頃、彼の口内はそれはそれは大量の唾液が分泌されていることだろう。先ほどから彼の喉仏が何度も上下に波打っている様子を見ると、そうとしか思えてならない。
「まさか、それはないない。……まあいいから、そこの椅子にかけてくれ。
あんたと食事を交えて、是非ともお話してみたいと思ってるだけだ。どうぞ遠慮なさらず」
先ほどまでの高圧的な口調からは一転。砕けた口調で海賊王の看守はそう言ってきた。
いったいどういう訳あって、この小部屋にA5のステーキが用意されているのか。おそらくアレスは別室に連れて来られた理由に加えて、尚更理解に苦しんでいると思われる。今まで散々、一囚人として尊厳を踏みにじられる扱いを受けてきた彼にとって、この看守の態度の変わりようは恐ろしすぎてならないのだ。
やはり当のアレスもそう思ってなのか、海賊王のような看守に対して以下のことを言った。
「これまさかとは思うけど、お前、毒を盛ったりしてないよな? 俺を致死性の毒で苦しめて死に追いやってやろうとか、そういう魂胆じゃねえよな! 状況的にそうとしか思えないんだが!?」
アレスは看守に対して明らかに疑いの目を向けていた。これまで散々、青カビの生えたパンに栄養価のない野菜スープしか振舞ってこなかった看守が、よりにもよってこのタイミングで最高級のA5の肉を振舞ってくる。しかもわざわざ別室まで呼び出して、一緒に食事をしようとまで言ってきているのだ。
もはや怪しさを通り越して、確信犯そのものだ。少なくともアレスも内心、そう思っているに違いなかった。
「とんでもない。毒なんて盛ってない。あんたは、あの冒険者パーティーヒポクラーンのアレス・ゴットバルトだぞ。アスピリッサの英雄だぞ。
この街の救世主様たるあんたに、そんな外道な真似するかよ。
……だからそんな心配は無用だ。心置きなく食べてくれ。今日この日のために、俺は給料の半月分丸々費やした。このステーキは、やっとのことで取り寄せられた一品なんだ。冷めないうちに食べてくれよな」
そう言うや否や、海賊王のような看守は部屋から入って手前の席に着いた。席に着くや否や、看守の彼はアレスに対しもう片方の席に座るよう、視線で促す。
「お、おう。良いのか? 本当に? 食っちゃうぞ? A5の肉を」
看守からの突然の客人対応に困惑の表情を浮かべるアレス。先の銀行行内暴力事件があって以降、ありとあらゆる看守から辱めを受けてきた彼。そんな中、思ってもみなかった方向からの看守のおもてなし。
牢獄にぶち込まれて以来、番号でしか呼ばれてこず、人権を踏み躙られてきた彼が違和感を覚えるのも仕方あるまい。何か裏があるんじゃないかと勘ぐりたくなるのも無理はなかった。
「いいですとも。どうぞお気遣いなく。さあさあ召し上がって」
海賊王のような看守はそう言うと、手の平でアレスの分のステーキを指し示す。
「そうですか。……ええい、ままよ。何せ久々のご馳走だ!
仮に毒が盛られていたとしても、最後の晩餐を飾るのにふさわしいご馳走だ。まあそういうわけで、ありがたく頂きます!」
彼は意気揚々とそう述べると、席に着いた。それからテーブルの上に置かれていた真っ白なナフキンを手に取ろうとする。
しかしそうした束の間、彼はふとその際に、改めて自身の手足に拘束具を装着させられたままであったことに気が付いた。
これでは食べにくいことありゃしないと思ったのか、アレスは看守に対し以下のことを述べた。
「それはそうと、看守さんよお。ステーキをご馳走になる前に、まずこの拘束を解いてくれないか。……これじゃあ食いにくいっちゃありゃしない。
……別に拘束を解かれたからといって、しめしめと逃げ出す真似はしないから。頼みますわ」
「ああそれは悪いな。ちょっと待ってろ。今、外してやるからな。じっとしてろよ」
そう言うと看守は制服の内ポケットから、鍵を取り出すと、それからあっさりと手足の拘束を解いてくれた。
もし仮にアレスがずる賢い部類の人間だったなら、これを好機と捉えて、脱獄を図ろうとするに違いなかった。しかし彼はそこまで性格がド畜生というわけではなかった。彼は一度言ったことを忠実に守ろうとする人間であった。
「ありがとう看守さんよお! マジ感謝だぜ!」
拘束が解かれたことで開放的な気分になったのか、テンションがアゲアゲになるアレス。
手足の自由が利いたことで、早速彼は手元に敷かれていた真っ白なナフキンを首に括り付けると、同じく用意されていたナイフとフォークを手に取った。
「ほな、いただきます。感激ー」
生き生きと一言そう言った後、彼は慣れた手つきでA5ステーキを猛烈に切り刻み始めた。
「うんうん。うんめえ、うんめえよお。舌がとろける! これはロストマイヘブンだ! ひゃっほーい!」
A5の肉を次から次へと口に頬張り続けるアレス。久々のご馳走ということもあって、彼の脳内にはさぞかし幸せなホルモンが大量に分泌されていることだろう。極上の肉を口にした時の喜びようが尋常じゃない。えびす顔というか、とにかく満面の笑みだ。また極上の肉を食したことによる嬉しさがあってなのか、彼の口から”ロストマイヘブン”といった、意味不明な発言まで飛び出す始末だった。
「それは何より。あのアレスさんにそう言ってもらえるなんて夢のようだ。給料半月分、支払った甲斐があったぜ」
憧れの対象だったアレスにそう言われ、嬉しそうに笑みをこぼす海賊王のような看守。アレスに感謝の意を伝えられたことに感極まってか、海賊王のような彼は一瞬涙ぐみそうになっていた。そうしてからまもなく、小部屋には若干しんみりとした雰囲気が漂い始めた。
そういった雰囲気を感じ取ったアレスは、場を和ませたかったのか次に以下の発言をしたのだった。
「ありがとよ看守。これだけの肉を恵んでくれて。感謝してもしきれねえよ。
……しきれねんだけど、ただ若干言わせてほしいことがある」
「じゃ、若干? なんでしょう」
看守は神妙な顔で覗き込むように見てくる。
「ああ、若干肉の焼き加減が俺好みじゃねんだよ。個人的にはミディアムというより、ウェルダンの方が好きなんだよ」
「はあ……」
そのアレスの発言を聞いた直後、口が半開きになる看守。
せっかくのご厚意で用意してくれたにも関わらず、辛辣な料理家のようなコメントを残しだしたアレス。図々しいことこの上ない。
アレスは看守の口が半開きになったのを目撃した途端、失言したと理解したのだろう。彼は先ほどの発言を取り消したいがの如く次のことを言った。
「まあでもこれはこれでいいんだぜ、看守さんよお!
……これだけの肉、入手するの大変だったろうし、マジ感謝! 感謝な! 看守さん! いいモン、ご馳走になった!」
急に不自然なまでに早口になるアレス。またそう言ってから間を置かず、彼は机から身を乗り出し、両手で看守と握手を交わそうとしていた。
「そう言ってもらえて何よりだ。ありがとうなアスピリッサの英雄さん。……冥利に尽きる」
そう言ってアレスの握手に応じた看守。当のアレスもさぞかしこれには安堵を覚えたことだろう。