第三十話「虫けらザウルス3世ことアレス・ゴットバルト」
やがて巡回中の看守らが、牢獄前に設置されている燭台のロウソクを取り換え始めた。このフェーズに入ったということは、外の世界は夜を迎えたことになる。アレス自身が今収監されているのは地下1Fだった。したがって窓格子なども取り付けられておらず、牢獄内には時計も置かれていないため、時間の感覚を知る術がほとんどなかった。
このためアレス曰く、
「こんなジメジメしたところに居続けたら、気が狂ってちまう。あと何より、辺りの風景が一切変わらないのも辛いな。
……収監された凶悪犯が、ゴキブリとお友達になりたがる感覚がよくわかるぜ」
時に囚人は牢獄の固い床をカサカサとうごめく某Gに、愛着が湧いてしまうことがある。囚人生活を送る唯一の心の拠り所が某Gとなってしまうのだ。アレスがSランク冒険者だった時は、某Gに愛着が湧くなんてことは一切考えられないことだったが、今となっては某Gに一種の親近感が湧きかける始末であった。
牢獄生活実に恐るべし。囚われの身となったことの精神的ストレスは、おそらく我々の想像を絶するレベルにあるということなのだろう。
ちなみに至極どうでもいいことだが、某Gが活発に活動しだすのも大体夕方の18時以降となっているらしい。これもアレスにとって、牢獄内の時間の経過を知る手がかりの中の1つでもあった。
「クズ囚人ども! 飯の時間だ! ありがたく頂け!」
さて、先ほどまでの某Gの話はさておき。看守の主任の一声を皮切りに、続々と本日の夕飯が地下に運ばれてきた。メニューは朝の時と変わらず、青緑色のカビの生えた平べったいパンに、如何にも栄養価のなさそうな野菜スープだった。
それらの貧相な食事の運搬は、まだ勤続年数が浅そうな若手の看守らが担当のようだ。主任の看守がそんな彼らにあれこれと指示を出しながら、各々の囚人らの前まで運ばせていた。
「そら、さっさと運べ運べ! 後がつかえてんだぞ! テキパキ動け!」
看守の怒号が地下の牢獄内に響き渡る。食事を運搬する若手の看守も、まるで調教された小動物のように、何か言い知れぬ焦燥感に駆られながら必死に作業をこなしていた。
「おいゴラァ! そこのお前! トレイの出す向きが逆だろ! もっと気を張れ!」
若手の看守のうちの1人が、囚人に差し出す食事のトレイの向きに関して、以上のような指摘を受けていた。細かすぎる指示に、若手の看守はビクビクと声に震えを伴わせながら、
「申し訳ありません。以後、気をつけます!」
と主任に向かって、そう答えた。
しかし若手の彼がそうして反省の意を示したにも関わらず、当の主任はまだその彼に対して思うところがあったようで次に、
「以後ってなんだ、以後って! そこは今すぐって答えるところだろ! 言葉に気を付けろ! そういうところに人間性が出るんだ!」
と声を荒げた。
「ひっ! 申し訳ございません!」
若手の彼は泣きそうな顔になりながら、そう答える。
何がどう転んでも、待っているのは主任からのお叱りの言葉。若手の看守にとって、それはあまりにも強烈なカウンターパンチのようであった。以上のような怒涛のご指摘を受けてか、若手の看守の表情には案の定、悲壮感が漂っていた。見るに堪えない光景である。
「ううう……。何かどこかで見たことがあるような光景だ。デジャヴを感じるぜ」
その光景を見て、アレスは思わず小さくそう声を漏らしていた。
きっと今目の前で起こっていることを受けて、アレスの脳裏にはあることがよぎったに違いない。とある青二才のギルド職員のことだ。青二才の直属の上司にあたるアスピリッサ冒険者ギルドのギルド長から、引退パーティー代金の回収の任を仰せつかっていた例のあの件である。
おそらくパーティー代金を回収できなかった青二才の彼は、今頃ギルド長から直々に始末書の作成及び冬のボーナスカットを命じられているかもしれない。他に課されていた仕事に手を取られすぎたあまり、金の回収という肝心のタスクを後回しにしたことによる責任を取らされた形で。
「結局、どこに行っても若手はああやって上司にどやされるモノなんだな……。世の中って何て生きづらいんだろ。
Sランク冒険者も中々大変だったけど、アレの方がよっぽどつれーよ」
アレスはその一連のやり取りを見ている中、ふとそうしたことを思ったようだった。
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やがてアレスの元にも、本日の夕食分が回ってきた。
結局出された食事は朝の時と同じで、相変わらずカビたパンに貧相な野菜スープといったお粗末なモノ。アレスだけ何か別の食事が振舞われるということは、この日も一切なかった。
「おい看守さんよ。ちょっと待ちな」
やはりアレスは、提供されたこれらの食事に今日も不満たっぷりだったようだ。若手の看守に向かって牢獄越しに、鷹のように視線を鋭くさせながら以下のことを言った。
「せめて俺のところには、A5の牛肉を贅沢につかった骨付きのステーキを持って来いよ。カビたパンに栄養価がまるでない野菜スープって、とてもじゃないが元Sランク冒険者様に出していい食事のレベルじゃないだろ、これは」
貧相な食事を出される度、一応彼なりに不平不満を述べてはみるものの、結局どの看守も次のようにしか答えてくれなかった。
「そんなこと言われましても……。これも上からそう指示があったもので。申し訳ございません」
「申し訳ないってなんだよ、申し訳ないって。お前、俺を誰か知ってる? 元Sランク冒険者のアレス・ゴッドバルトその人だぞ。
わかってる?」
アレスはお役所にクレームを言いに来る、訳アリな市民のような言い草でそう捲し立てる。
「申し訳ございません、申し訳ございません」
若手の彼は返す言葉が思いつかなかったのか、まるで呪文のように申し訳ございませんと述べるに留まった。
「申し訳ございません、申し訳ございませんって……。謝って済むなら保安騎士団なんて要らねんだよ。いいから早くお前の上司に即刻話をつけてこい。A5の肉を俺のところに持ってくるようにって。
お前に拒否権ねえかんな!」
「そんなこと言われましても、私の一存では……申し訳ございません」
きっと若手の彼は心が優しすぎるのだろう。アレスがこのようにちょっと物申しただけで、若手の彼は申し訳ございませんと言いながら、まるで寒さに悶える子犬のような弱弱しい表情を浮かべていた。
アレスの身勝手極まりない毒舌の餌食となっていることに、目も当てられない状況だった。
「おい、何してる囚人番号151番! 夕飯を取り上げられてえか!? 俺の後輩に何しやがる!」
そんな状況を偶然目にした、海賊王さながらのモジャモジャの髭をたくわえた年配の看守。若手の彼がいびられていると見るや否や、真っ先に彼の元に駆けつけてきた。
「いい加減にしろ、囚人番号151番! 立場をわきまえやがれ! 看守の俺達に向かって、何て口の利き方だ! 夕飯取り上げられてえか!」
「ひい! 申し訳ございません! それだけはご勘弁を!」
モジャモジャな髭をたくわえた看守の気迫に押され、アレスの口から咄嗟に申し訳ございませんの一言が出た。眉間に皺をびっちりと寄せ、シュンと肩をすぼめながら。比較的立場の弱い人にしかターゲットにしない人間のまさに情けない姿だった。
「なら食え。俺様の気が変わらねえうちにな!」
「わ、わかりました~」
このようにどやされたアレスは、それから何かに追われるかのように一心不乱に夕飯を掻きこみ始めた。カビの生えたパンに栄養価のない野菜スープを苦虫を嚙み潰したような苦悶に満ちた顔を浮かべながら。
Sランク冒険者としてブイブイ言わせ、味付けの濃い食事ばかり摂ってきた彼にとって、これ以上の拷問はないに違いなかった。
それまで生活水準の高い食事ばかり好き放題食べてきた彼にとって、生活水準を落とした食事に慣れるのは中々厳しいものがある。
ちなみに現役のSランク冒険者時代の彼の好物は、アヒルやキジ、野ウサギやシカといったジビエ肉に甘いクレープ、パイ生地にカスタードを詰めたダリオールに赤ワインといったモノだった。言わずと知れた最高級料理である。
このことからも、彼がいかにSランク冒険者としていい思いをしてきたかが、手に取るようにわかるだろう。アレスは庶民の感覚とは完全にズレた食生活を送っていたのである。
「あ、ありがとうございます。副主任」
アレスの毒舌から解放された若手の看守は、そう言いながらほっと胸をなでおろす。
「いいかよく聞け、ロベルト。この牢獄に収監されている犯罪者にはなあ、お情けなんてモンは無用だ。
こいつらは人間じゃねえんだ。ただの魔獣以下の存在、虫けらなんだ。地位もなければ、俺達に渡せるようなロクな賄賂もねえ。こんなその辺に転がっている何の取柄もない石ころ如きに情けをかける必要はどこにもねえんだ。
お前も人を選びな。わかったか」
モジャモジャな髭をたくわえた副主任に彼はこのような言葉をかけられる。
「承知しました。先輩」
先輩の指南を聞いた若手の看守は、目を輝かせ満ち満ちた表情を浮かべていた。よっぽど先輩の指南が彼の心に突き刺さったのだろう。
するとそうしたのも束の間、若手の彼はアレスの方に再び向き直った。
先輩に感化されたのか、突然、若手の彼はいかついゴーレムのような形相を浮かべながら、次のことを言ったのだった。
「おい虫けら。虫けらザウルス3世」
「む、虫けらザウルス3世? お、俺のことか?」
若手の看守からあまりにも突拍子もないネーミングで呼ばれたこともあってか、アレスは目を丸くすると共に、人差し指を自身の顔に向けていた。
「そうだよ、虫けらザウルス3世。お前以外に誰が居るんだよ」
「なんだよその二つ名。お前、人のことを罵倒したことないだろ。言葉のチョイスが少し変だぞ」
アレスが率直に思ったことをそのまま口にする。するとその彼の言葉がかえって若手の看守の逆鱗に触れたのか、まさに世紀のパワハラ上司が乗り移ったかのようにして次のことを言った。
「ああんっ!? お前、誰に口効いてんだ、ゴラァ! 背中ブッ刺すぞ!」
若手の看守は激怒した。さっきまでは寒さに悶える子犬そのものだった彼が見事に変貌を遂げてしまった。
一方彼を指南する立場に居る年配の看守はというと、驚愕して表情が固まるどころか、むしろ我が子の成長を大いに喜ぶ親の目をしていた。
「良い罵倒っぷりだ。ロベルト。ブラボー」
若手の看守ロベルトは先輩から称賛の拍手を送られていた。
それはまさに異様な光景だった。囚人をありとあらゆる言葉で罵れば罵るほど、先輩から寵愛を受けられる看守業の世界。
実に悪しき風潮が蔓延る業界である。
「ありがとうございます! この調子で看守のお仕事、今後も精一杯取り組みます!」
若手の看守は満更でもない表情を浮かべていた。
「よし、その意気だ、ロベルト! ……じゃあ早く、作業に戻れ。残りの夕飯をとっとと運びに行く。手足を動かせ!」
「承知しました!」
意気揚々とそう答え、若手のロベルトは颯爽とその場を去っていったのだった。
看守らによるこれらの一連の教育的指導。こうしたプロセスを日々経ていくことで、看守業界に相応しい人材が育っていってしまうのだろう。何ともいびつである。
「さてさてさて、囚人番号151番」
若手のロベルトの後ろ姿を見届けたところで、先ほど彼に指南していた年配の看守がアレスの方に向き直った。不自然までに頬を引き上げ、不気味極まりない笑みを浮かべながら。
「なんでしょう、看守副主任殿」
不自然なまでの作り笑いに若干戸惑いながら、アレスは言葉を返す。
「囚人番号151番。先ほどはよくも私の可愛い後輩を侮辱し、心にダメージを負わせてくれたな」
看守はさらに口角をつりあげる。その様は、まるでどこぞやの笑うセールスマンだった。
「それがどうした。ただ俺様の置かれている状況に納得がいってないからああ言ったんだ。文句あるか!?」
「あるとも。お前のやったことは俺達に対する侮辱罪だ。これは到底看過できない事態だ。詳しくは別室で話を聞かせてもらう。
ついてこい、囚人番号151番」
年配の看守がそう言うと、牢獄の鍵穴にカギを通した。看守が中に入って、アレスの首根っこを掴み、牢獄の外まで連れ出すや否や、また次のことを言ったのだった。
「お前に課された罪状は侮辱罪。別室でみっちりと事情を聴きだし、隅々まで調べてやる。覚悟しておけ!」
不敬罪の次は侮辱罪。アレスは今回の一件で罪状をさらに増やしてしまったようだった。
「へ、へ~い」
身体から魂が抜けたような弱弱しい口調で返事をするアレス。手枷足枷を装着させられた状態のまま、彼は独房からつまみだされたのであった。