第三話「今夜、蒸発します」
「お母ちゃんには今日もああ言われたけど、もう我慢ならねえ! 夢を捨てることなんてできねえ!
もうこうなったら、蒸発だ! 今夜決行するっきゃない!」
母に都会行きを反対されてから、それからのこと。日課としている畑の見回りの最中、彼は偶然、居合わせた一匹の魔獣を、己の魔法でサクッと氷漬けにしていた。
そうして彼の手によって、氷漬けにされた魔獣を、今晩のご馳走として背中に背負い、家に戻っていた道中に、彼はついに蒸発する決心がついたのだ。
"一生生きがいも、やりがいもないこの農作業を続けるぐらいだったら、都会に出て冒険者を死ぬほど頑張って、Sランクに昇り詰めるといった都会ドリームを追っている方が、数百倍マシ"
"そしてゆくゆくは、都会の一等地に畑と山を買い、お店にいる極上の女の子と手を繋ぎ、あわよくば、店外デートをしてみる方が人生有意義"
都会行きの切符は、度重なる母親の反対もあって、完全に潰えてしまったと、彼は勝手にそう思っていた。しかし彼は、「そんな悠長なこと考えている暇はねえ。一刻も早く、手を打たなければ、人生乗り遅れちまう」と、この時そう思ったのだ。
母の意向に従うばっかりでなく、自らの道は、自らで決めなければならない。彼はそのようなことを、畑に侵入した不届き者(魔獣)を、己の氷結魔法で成敗していた時に、そう思ったのである。
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"毎日毎日、父さんやお母ちゃんの代わりに、畑を荒らしに来た野生の魔獣達の群れを(家の畑に生えている野菜を勝手にむさぼろうとしてくるならず者)相手にしてきた俺なら、都会の魔獣とやらものも、楽々と撃破できるはず"
彼はSランク冒険者になるのに、十分な資格を有していると、本気で信じていた。
実際、それだけの力を持っていると自負しているからこそ、彼は、外の世界でこの力を思う存分試してみたかったのだろう。いつまでも田舎の閉鎖的な空間で、才能あるこの実力を、くすぶらせたままにしたくなかったのだと思われる。
「もう俺も、今年25だ。魔獣とまともにやりあえる年齢も、ピークはだいたい30かそこらって言うし」
要するに、年齢という衰えが、30かそこいらの歳になるとやってくるのだ。
世間では30から40にもなってくると、魔力や戦闘力が、急速に衰えだすと言われている。ごく一部のレジェンド魔法使いやレジェンドアタッカーは、その歳になってもなお、第一線でやっていけているが、大抵の冒険者は、だいたい30かそこいらの歳でピークが過ぎ、適齢期を迎えると冒険者としての実力が、その時期を境に急速に衰えてくる。最終的に大半の冒険者は、30歳から40歳の間で、引退を余儀なくされるのだ。
超一流のSSランク冒険者になれるのも、彼は、今年がラストチャンスだと思っている。今年を逃してしまえば、年齢的にも冒険者として第一線で活躍できる可能性は、限りなく低くなってしまうと思っているが故に、今夜、蒸発する決心がついたのだと思われる。
「……よし、みんな寝たな。それじゃあ支度、支度っと」
そんなわけで彼は深夜、家族が全員寝静まったのを確認したところで、急いで荷物をまとめ出した。彼はとうとう禁断の果実に手を出したというべきか、本気でこの日をもって蒸発するつもりでいるのだ。
彼は、あの頑固なお母ちゃんをこの先も説得できるとは思っておらず、アスピリッサ行きを実現させるためには、最早こういった手段しか残されていないと思っているのだ。
「えっとまずはこれとこれ。それにこれとこれも。……よし!」
一週間分の食料に着替えの服、お金、錆び付いたダガーナイフ、ちゃんと足元を照らしてくれるか、よくわからないホコリにまみれたランプ。
彼は、それらの荷物を簡単にまとめ終わったところで最後、家族全員に宛てた手紙を書き、家の玄関にそっと置いた。手紙の内容は、以下の通りである。
“お母ちゃんごめん! 俺、やっぱりアスピリッサに行って、冒険者になる夢諦めきれねえわ! どうしても都会の一等地で、畑と山を買ってみたい!
だから今夜、俺は家出を敢行しました。どうかこんな身勝手で、親不孝者の息子の行いをお許しください。
一応、家出後も生存報告も兼ねて、手紙は月に一回、送ることにします。心配しないでください。手紙が途切れるようなことは、今後絶対にありませんので、何卒、その辺はご安心を。必ずいっぱしの冒険者になってみせます。
また近い将来、Sランク冒険者になって大金を手にしたら、我が故郷に戻ってこようと思います。その時は、家族一緒においしい料理でもたくさん食べて、一家団欒の時を過ごそうではありませんか。そしてその余ったお金で、この周辺の土地をありったけ買い占めてやりましょう。お金に物を言わせて、お互い優雅な余生を送ろうじゃありませんか。
……それまでしばしのサヨナラ。元気でいてください。お体をお大事に! 弟のことも頼みます!“
手紙は、ざっとこういった内容だった。
彼は別に、これから家を出ていくからと言って、何も家族の縁まで断ち切ろうとまでは、思ってはいなかった。むしろ家族のことは恋しい。ワンチャン、大都会アスピリッサに行ったが最後、ホームシックを引き起こしまくるのではないか、といったのが彼の心情だった。
だからこそ彼は、月に一回、手紙を送る旨を記していたし、きっと遠い異国の地に居ても、家族とは何かしらの形でも、繋がりを持っておきたかったのだろう。家族と遠く離れても、心は一つ。家族とは結局、そういう腐れ縁みたいなものであるといったのが、彼の心情だったに違いない。
「さあ、出かけよう! お金に非常食のパンにダガーナイフ、あとランプ。これだけあれば余裕っしょ!」
彼は、そんな独り言をブツブツと呟きながら外に出た。今から彼は、この手元のランプの明かりだけを頼りに深夜の中、大都会アスピリッサに向かって、歩み始めなければならない。きっと不安でいっぱいだったはずだ。
「さよならバイバイ、お母ちゃんにお父さん弟よ。俺、絶対にアスピリッサで一攫千金の夢を掴んでくるからね」
今まで母親の言いつけ通り、門限の7時半までには、必ず家に帰っていた律儀な彼。しかし今日という今日は、ついにその言いつけを破ったのだ。出された食事もお米一粒残したことのなかったそんな彼が。
彼は最後に幼い頃から、ずっと住み続けた生家に別れを告げ、そうしたのを最後に、大都会アスピリッサに向かったのである。
(後日譚)↓~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
そしてその蒸発決行から、ちょうど1年経った頃。
結論から言うと、彼は、そのわずか1年の間で、飛び級でSランク冒険者まで昇り詰めることができた。
それはあまりに異例の速さだった。通常Sランク冒険者に認定されるまでに要する月日は、一般的に10年そこらだと言われているのだが、彼は、それをわずか1年で成し遂げてしまったのである。まさにフィクションのようなあり得ない展開を、彼はやってのけたのだ。まさに、最近流行りの“俺TUEEE”小説みたいな物と言えよう。
Sランク冒険者になってからの彼の生活は、一変した。まず彼の念願だった、街在住の極上の女の子が、"おもてなし"とやらをやってくれるお店に、毎晩のように通えるようになった。他にも高級雑貨や高級ブランドの衣服、一面鏡張りの大豪邸に住むことができるようになっていた。
また彼が街中を歩いている際に、通行人に対し、「俺様が通る。道を開けろ!」と言えば、すんなりと道を開けてくれるようになった。それらの光景は、まさにこの国の王様にでもなったようなモノだった。
また彼が、行く先々の土地で、Sランク冒険者の肩書を利用して女の子をナンパしたとしても、ほぼほぼ100人中100人の女の子が、彼とサシで飲みに行ってくれるようにもなっていた。
それだけ今の彼は、世界中のありとあらゆる極上の女の子を魅了する、世界のスーパースターとなったのだ。わずか1年足らずで、彼は地位や名誉も名実ともに手にし、完全に有頂天となっていたのだ。
「人生チョロいもんだぜ、うはははは」
彼がこのように鼻高々になってしまうのも無理はないだろう。
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……だがしかし、この時の彼はこの後、自身の身に降りかかることになる悲劇を知る由もなかった。
Sランク冒険者として、ブイブイいわせていたのも束の間、まさかとある依頼を遂行中に、某女神様と出会ったことがきっかけで、一気に転落人生を歩むことになるとは、この時の彼は全く思わなかったのである。それまで世界のスーパースターだった彼。あの出来事をきっかけに、一気に転落し、それ以降、誰からも見向きもされない存在になってしまうのだ。
今後、全く別の形で、新たな冒険者キャリアを歩むことになるとは、この時の彼は思ってもみなかったに違いない。