第二十九話「囚人番号151番ことアレス・ゴッドバルト」
「おい、囚人番号151番。今日の朝飯だ。ありがたく頂け」
今朝、アレスの元に牢獄の看守が持ってきた食事は、パンに野菜スープといった大変お粗末なモノであった。パンは表面の生地が非常にペコペコしていて腹持ちが悪く、かつ苔むしたような青緑色のカビが生えている。野菜スープの方は、まるで台風が過ぎ去った後に増水した川の水のような薄汚れた色合いだった。そのスープの色合いを見るだけで食欲が一気に消え失せる、そんな悪魔的な色合いのした野菜スープだったのだ。このようにアレスは、先のアスピリッサ中央銀行内での暴力沙汰があって以降、毎朝毎晩、とても人様が食えるようなレベルにない食事を提供されていたのであった。
「なんだよ、今日もこれかよ。看守さんよお、もっと味付けのしっかりした食事を持って来てくれよ。このパンといいスープといい、味が全くしねんだよ。
俺様の舌が味覚障害を引き起こしたみたいになってんだよ。わかる!?」
「うっせえぞ、囚人番号151番。そんなの知ったことかよ。お前さあ、俺様らの出した飯にケチをつけようって言うのか? いい根性してんな、ゴラァ」
アレスの発言に対して、そのまま言葉で返してくる看守。それから怒りの感情赴くままに、看守は目の前の鉄格子を思い切り蹴り上げてきた。アレスの減らず口がよっぽど癇に障ったのだろう。鉄柵は振動するように大きく揺れ、これでもかと言うほど甲高く牢獄内に響き渡っていた。
今しがた看守が行なったこれらの脅し。大抵の人間なら、このような脅しをされた時点で即刻、看守に対して口答えしなくなるだろう。しかし当のアレスはというと、そのような看守の脅しに一切屈することなく、引き続き以下のように言葉を続けた。
「その通りだよ、バカ野郎。お前、俺を誰だと思ってんだよ。
元とは言えども、冒険者パーティーヒポクラーンのリーダーアレス・ゴッドバルトその人だぞ。今や囚われの身だからといってもだな、Sランク冒険者様に対する扱い方というものがあるだろ? 違うか!?」
現役のSランク冒険者として名を馳せていた頃の彼は、それまで一流のシェフから毎朝毎晩、塩分濃度濃いめの高価な食事ばかり提供されてきた。そのような経緯もある中で、おそらく服役中の身である彼の元に運ばれてくる食事の質の低さに、彼は納得がいっていないものと思われる。
彼からしてみれば看守が気を利かせて、パンとは別にバターやブルーベリーにハチミツといった調味料を持ってくるとか、他にも15時のおやつとして、クッキーを始めとした焼き菓子の数々や今流行りのスイーツを差し入れるといったことを当然のようにやるべしだと本気で考えているに違いなかった。
しかし現実問題、看守はかつてSランク冒険者だったアレスに対しては徹底的に塩対応を貫いており、特別待遇など一切していなかった。
「違うね、囚人番号151番。今のお前は元Sランク冒険者でもなければ、もはや人間ですらねえ。魔獣以下の存在、歴とした犯罪者だ。異論は認めないからな、囚人番号151番!」
看守は乱暴な口調でそう捲し立てると、さっさとアレスの食事を牢獄の前に置くなり、その場から立ち去って行った。まともにアレスと取り合おうとする態度はまるで見られなかった。
このように今や囚われの身となり、看守から毎朝毎晩、辱めを受けているアレス。彼が現在身を置いているこの牢獄の世界では、彼のSランク冒険者時代の理は一切通用しなかった。牢獄の外の世界では行く先々でチヤホヤされていた彼だったが、塀の中の世界だと魔獣以下の醜い存在に成り下がっていたのだ。
「待ちやがれ、貴様。何て口の利き方だ。ここから出たらお前のこと、役所のお偉いさんに言いつけて、社会的に抹殺してやるからな! 俺、その人とコネクションがあるんだぜ? ビクビク震えながら眠れ!」
アレスは目の前に立ちはだかっている鉄格子に顔を押し付けながら、精いっぱい声を張り上げていた。
「あっそうですか。俺は社会的に抹殺されちゃうわけですか。面白いことを言うな、囚人番号151番。まあ、せいぜいビクビク震えながら眠らせていただきますわ。ガハハハ」
看守はアレスの言葉など聞く耳を持たず、その後、他の囚人の食事のトレイをある程度の枚数分、回収してから、そのまま上の階へと戻っていったのだった。
「クソ待て! ……俺が悪かった! 俺が悪かったから、せめてものお願いだ! 早く俺をここから出して開放してくれ! 絶対に悪いようにはしないから、おーーい!!」
アレスは力任せに鉄格子を揺り動かしながら、必死にその旨のことを訴え続けた。しかし看守からは何の返事も返ってこない。Sランク冒険者時代の時のアレスは一言一言何かしらのことを発するたびに、大半の民衆はその彼の言葉をまるで神様からのありがたい御言葉のように熱心に耳を傾けてくれていた。そして彼の言葉の通り、忠実に行動に起こそうとする。
仮に彼が冗談で『お前、罰として街中をおパンツ一丁で徘徊してこい』と言ったとしても、おそらく大半の人達は何の躊躇もなくおパンツ一丁となっていたであろう。いくらアレスがおパンツ一丁で街中を徘徊という無茶な要求を突き付けたとしても忠実に従わせてしまうぐらい、このアレス・ゴッドバルトという人間は民衆からの支持がとても根強いのである。それだけアレスは強烈なカリスマ性を持ち合わせた英雄と言えるのだ。
「クソ野郎! フルしかとかよ! いい根性してんな、看守さんよぉー。おーーい!!」
アレスが必死に呼びかけるも、結局看守らからの反応は一切なかった。
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このように今の彼は金もなければ、地位も名誉も完全に失墜し、ただの犯罪者へ成り下がってしまった。それも彼が金銭トラブルをきっかけに、アスピリッサ中央銀行内で暴力を振るってしまったためである。
それはそうと彼がこの牢獄にぶち込まれて、ちょうど今日で2週間以上の月日が経過していた。元はといえども普通彼ぐらいの人なら、この辺りのタイミングで面会を申し出てくる人が居てもおかしくはない。だが未だになってもなお、彼に面会を申し出てくる人は全く出てこなかったのである。
かつて所属していた冒険者パーティーヒポクラーンのメンバーも、かつてお世話になった武器商人やギルド関係の人達も誰一人としてである。
前にアレスは、かの青二才のギルド職員から「あなたには人望がない」と指摘されたことがあった。確かにアレス程の実績がある人なら、普通1人ないし最低でも2人以上は面会を求めてくる声があってもいいはずだと思われる。
「畜生! どいつもこいつも、俺をこんな劣悪な環境に置いてけぼりにしやがって……。そもそもここのトイレ、水すら流れねえんだぞ!」
彼の言うように牢獄に備え付けられていたトイレは、水が一切流れなかった。それもそのはず、この牢獄のトイレの様式は汲み取りタイプのポットン便所だったのだ。普通ポットン便所は、街の郊外とか山奥にでも行かない限り、まず中々お目にかかれない様式の便所だ。
まあ要するに、この牢獄ではまさに前時代的なトイレが採用されているという訳だ。近年、アスピリッサでは大規模な排水システムが構築され、水道管がまるでスパイダーの糸のように地下に張り巡らされている。そのためポットン便所は完全にここアスピリッサにおいては過去の遺物と化していたはずだった。
しかし残念なことに、この牢獄はその新しい時代の波にどうやらついていけてなかったらしい。
「クソ! 牢獄のトイレがポットンとか最悪だろ! ちょっとばかし風が吹いただけで、アンモニアの臭いがグワッと鼻にくるんだぞ! こんなの生き地獄だろ!」
牢獄の外は今世紀稀に見る大寒波に見舞われているからか、廊下伝いに風がビュービューと少量の雪の粒と共に寒さを運んでいた。このように寒いし、臭うし、ひもじいしの三重苦に見舞われるこの劣悪な環境に、アレスのストレスは極限まで達している様子だった。
「さっきからうっせえぞ、新入り! 喚き散らすんじゃねえ! 安眠の妨げになるだろうが! 殺されてえか!」
アレスがどうにもならない不平不満を叫び続けていたところ、顔の見えない遠くの牢に収監されている先輩から注意が入った。
「ひいい! すんません! 俺様が悪うございました! お許しを!」
アレスは条件反射で以上のように言葉を返した。
「だからうっせえって言ってんだろ、新入り! いい加減、口を慎め! 次、叫んだら真っ先にお前のところに行って、しばき倒すからな! 以上!」
そう言ったのを最後に、例の先輩からの声は止んだ。
「ううう……しょ、承知しました」
アレスは絞るような声で、先輩に対してそう答えた。再び牢獄内は静寂の時が戻った。
この牢獄の世界では何年服役しているかどうかで、どうやら囚人間のヒエラルキーが決まるようだ。量刑というか単に司法から言い渡された刑の重さだけで、この牢獄における階級が決まるわけではない。世の組織人と同じで、この牢獄の世界においても勤続年数が物を言うようだ。
まあ要するにアレスは、この牢獄社会においては新入りでまさに最弱の存在と言えるのだ。よって服役年数が上の囚人に対して口答えすることは許されないし、決してその方の機嫌を損なってはいけないのだ。少しでも機嫌を損なってしまえば最後、先ほどのように焼きを入れられてしまうのである。
アレスがかつてSランク冒険者だった頃はもちろんのこと、このような理不尽な仕打ちを受けたことはなかった。
だが今となっては、そんな彼も今や牢獄に囚われの身。この場においては、アレスは肩身の狭い思いで生きていく他なかった。
「畜生、どうして俺がこんな目に……。絶対抜け出してやる、この劣悪な環境から!
俺はこんなところに居て良い人間じゃねえんだ!」
思うことは山のようにあったと思われる。
しかしアレスのその思いの丈も、この牢獄社会においては口を慎むべきことなのであった。