第二十七話「銀行内で暴力沙汰」
待ち時間の間、アレスは例の青二才君と他愛のない話を交わしていた。お互いのこれまでの経歴のこと、遠く離れた故郷のこと、アスピリッサ近辺に出没する魔獣の情報のことなど、別にこれといった大した話をしていたわけではなかったが、不思議と話は弾んでいった。
最初、アレスから見たこの青二才君の印象は最悪そのものだった。青二才君は元Sランク冒険者のアレスに対して目覚まし代わりに冷水をぶっかけ、さらにアレス自身が2次会にお呼ばれされなかったことに対して、遠慮なしにド正論をぶちまかしたりなどなど……。アレスにとって、決して良い風には映らなかったに違いない。
だがこうしてお互い、銀行の待合席にて膝を突き合わせて喋っているうちに、アレスもどこかこの青二才君に対して、案外可愛いところがあると思えるようになったのかもしれない。
アレスのこの時の心境は分からないが、きっとそんな彼は青二才君のこれまでの無礼も許せているかもしれない。当の青二才君も、パーティー後の撤収作業が思うように進まず、少々気が張っていたこともあったのだろう。だからアレスに対して、あの時、きつい物の言い方になっていたのかもしれない。
そうした経緯を踏まえた上で、改めて今の2人を見てみると、すっかり打ち解けられたように思えた。
「お待たせしました。アレス様、窓口までお越しください」
そうこうしているうちに、アレスが銀行の職員から呼び出しを受けた。アレスは青二才君との話を切り上げて、窓口の方に向かう。
「そいじゃ、ちょっくら行ってきますわ。職員から金受け取ったら、すぐお前に渡すからな」
「ありがとうございます。何て言葉を言ったらいいのか」
青二才君は嗚咽混じりにそう答える。彼の上司ことギルド長のことが、やはり脳裏によぎってやまないのだろう。あまりにも可哀そうで、見ていられない気持ちになってしまう。
「いいってことよ。もう何も言うな。……むしろ何も言わんでいい。
お前は金だけ受け取ったら、いの一番にギルド長の元に向かえ。いいな?」
アレスも彼の心情を察してなのか、それだけを言うに留めた。きっとこれ以上、彼に気を遣わせたくないと考えてのことだと思われる。
「わかりました、アレス様。よろしくお願いします」
青二才君は首を縦に振って、窓口へ向かうアレスの背中を見送った。
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「お待たせしましたアレス様」
「おうよ、銀行のあんちゃん。随分長かったじゃないかー」
「はい。少し確認作業に手間取ってしまいまして、申し訳ありません」
そう言って窓口の職員は、深々と頭を下げた。その彼の表情はやけに険しかった。
そもそもの話、アレスが頼んでいた100万ゼニーの現金はその場で用意すらされていなかった。いったい何があったのだろう。
「ん? おい、銀行のあんちゃん。金は? 100万ゼニーはどこだ?」
アレスはこの事態にかなり不満げな様子だった。眉間にシワどころかV字の深い谷ができるほどに。彼がこれほどまでの表情を見せるのは、実に珍しいことだった。
散々待たされた挙句、肝心の金は一銭も用意されていないこの事態に案の定、彼は、
「おい! あんちゃん! あんちゃんの耳は節穴か!? 俺は今さっきなんて言った? リピートアフタミー!? セイ!!」
と言うと突然、右手を自身の耳の横に当てだした。銀行のあんちゃんもアレスから突拍子もなく耳を傾けられ、すっかり驚いてしまったのか、手をあたふたさせていた。
当のアレスは、目の前の銀行のあんちゃんが、客である自分の話をちゃんと汲み取れていないと感じたのだろう。やけに語気が強かった。
「ひゃ、100万ゼニーを引き出してほしいっと。アレス様はそうおっしゃってました」
一音一音言葉を選びながら、銀行のあんちゃんは恐る恐るそう答える。
「ザッツライト、あんちゃん。わかってるじゃねえか」
その返答を聞いたアレスは指をパッチンと鳴らす。それから片目でウィンクするなり、次のことを言った。
「じゃあ、そういう話だ。とっとと100万持ってこい。いいな? カモンカモン」
そう言うと、アレスは銀行のあんちゃんに向かって、両手で手招きをしだした。アレスが先ほどの耳の横に手を置きだしたことといい、片目でウインクすることといい、なぜ突然このような奇行に走り出したのかは理解に苦しむ。
きっと当の銀行のあんちゃんの心労は計り知れないものとなっているに違いない。アレスの挙動があまりにも異次元すぎて、おそらく今頃彼の胃はズキズキと痛みを増していることだろう。
アレスが今、やっていることはアスピリッサ冒険者ギルドの館長の鉄拳制裁ほどではないにしろ、本質的には何ら変わらないような気が個人的にはしてならない。
心中お察しする。
「アレス様、これには訳があってですね……」
気を取り直して、銀行のあんちゃんはもう一度、事の経緯を説明しようと試みる。
しかし当のアレスは、彼の言葉を途中で遮り、
「言い訳するな、あんちゃん! 訳もクソもないだろ。これって、ただのあんちゃんの業務的ミスだろ?
別に俺はそれを責めているつもりはない。ただ俺は、金を頂きたいだけだ。だから早く100万ゼニーをここにカモンカモン!」
そう言って、再び両手で手招きをしだした。聞く耳をまるで持つ姿勢がなかった。
「あのですね、アレス様」
「言い訳は無用! とっとと金をよこせ」
「少し冷静になって話を聞いてほしいんですが……」
「おだまり!」
「早い話、100万ゼニーはですね……」
「とっとと持ってきなさい!」
「用意できないんですよ」
「へっ? なんだって!?」
埒が明かないと思ったのか、銀行のあんちゃんはアレスの言葉をかぶせながら、正確にその事実を伝えた。
100万ゼニーは用意できない。このようなことアレスにとっては前代未聞の事態だった。いったい全体、どういう風の吹き回しなのだろう。
その事実にふと我に返ったアレスは、彼に対して以下のことを言った。
「ダメだよ、ダメだよあんちゃん。そんな訳の分からない言い訳ついちゃあ。自分のミスを素直に認めなよ。今までこんなこと、俺がSランク冒険者になってから1回もなかったぜ?
ユー、認めちゃいなよ? 認めちゃった方が楽になるってもんだぜ?」
アレスは唇を突き出しながら、人差し指を立て、横にフリフリする。まるで自身の非を認めたくない、保安騎士団が冤罪の人に対して、悪徳な誘導尋問を行うのと同じことを言っていた。
当の銀行のあんちゃんはそんなアレスの誘導尋問に引っかかることなく、冷静の次のことを言った。
「ミスでもなんでもないですよ、アレス様。だってそもそもの話、アレス様の預金口座、2日前から抹消になっていて残高を引き出せなくなってしまったのですから。
そのため100万ゼニーがご用意できない状態なんですよ」
「へっ? 100万ゼニーが引き出せない? 口座抹消? はあっ?」
アレスは何かの聞き間違えかと思ったのか、急に目が点になった。全く状況が飲み込めていない様子だ。
「……おい、あんちゃん。あんたじゃ話にならないし、信用ならん。窓口失格だ! 責任者を呼んで来い! これだから今の若い者は」
アレスは現在27歳。まだ目の前の銀行のあんちゃんを、これだから今の若い者はと言うには少々気が早すぎると思われる。
まあそんな話はさておき、実に耳を疑う出来事だった。口座が抹消。アレスもその言葉を聞き、ある程度時間が経ってからようやく事態が飲み込めたのか、まるで呆気にとられ口をパクパクさせている川魚のような顔をしていた。
銀行のあんちゃんは、アレスの口座が抹消になった理由を、一つ一つかいつまむように以下のように説明した。
「こちらの記録によりますと、2日前に名義が変更になりまして、それと同時にアレス様の銀行口座は抹消。アレス様の口座にあった預金、10億ゼニーは現在使用できない状態となっております」
「はあっ? 使用不可!? どゆこと? どうしてそうなった!
事の経緯をつまびらかにしろ!」
「はい、2日前にアレス様の代理人と名乗る者が、そのような手続きを進めて欲しいと依頼がありまして、アスピリッサ中央銀行として正式な手続きを踏ませていただきました。
よって、アレス様の要求していた100万ゼニーも、引き出すに引き出せない状態となっているわけであります」
「待て! おい、代理人って誰だよ! そもそも俺、そんな奴雇った覚えが微塵もないんだが!
そもそも誰だよ! その俺の代理人って名乗るやつは!? 教えろ! 今すぐに」
「お言葉ですが、アレス様。他者の個人情報の開示は禁則事項なのです。第247条プライバシーの侵害で、禁則となっているため、開示できません」
「ふざけるな! 俺様の許可を得ずに、勝手に口座を抹消させた奴だぞ! 俺様にも知る権利があるだろ! 開示請求を要求する!
ましてや元Sランク冒険者の俺様なら、なおのこと開示できるだろ! 違うか!?」
「そうは言われましても……。これも禁則事項なので、いくらアレス様と言えども開示はできません」
「クソったれ!! アスピリッサ中央銀行! 俺のお金で弄びやがって! こうしてくれる! この、このぉぉぉ!!」
アレスは代理人の存在とアスピリッサ中央銀行の定める禁則事項にふっしがたい怒りを覚えたのか、感情赴くままに、アレスは銀行の職員のむなぐらを掴みかかっていた。
「ちょっとアレス様! 離してください! 乱暴はよしてください!」
「うっせえええ! 乱暴も何もあるか! 黙ってられるか! だって口座抹消だぞ!?」
「そうは言ってもですね、アレス様。暴力はダメ絶対。怒りを鎮めてください、今すぐに」
「だってよお、預金が引き出せなくなったんだぞ!? 俺が人生をかけて、やりたいこと全てを犠牲にして、やっとの思いで稼いできた金が、あんたらの言う口座抹消とやらもので、全部パーってことだろ?
俺何をした? なにか悪いことでもしたんですかねー!? なあああ!??」
興奮がおさまらないのか、アレスの狼藉は収まる気配がなかった。ひたすら銀行のあんちゃんの胸ぐらを揺すり続けている。当のあんちゃんも実に息苦しそうだった。
「それ以上の狼藉は保安騎士団案件ですよ、アレス様。早くこの手を放してください。さもなければ、身柄を引き渡しますよ」
「うっせえー、知ったことか! 俺は、Sランク冒険者アレス・ゴットバルトその人だぞ!? 保安騎士団とか、俺の敵じゃねえ!
つべこべ言ってないで、お前はさっさと100万ゼニーを引き出してこい! おらおらおら!」
アレスは職員の言葉を無視し、再び暴れに暴れだす。
「ちょっと誰か! 助けてください! お客様が行内でご乱心です! 早く保安騎士団に通達を!」
たまりかねたのか、銀行のあんちゃんはそう言って後方で事務作業をしている他の銀行員に向かって声を張り上げた。
「先輩! お客様が! お客様がご乱心です! 早く、保安騎士団を呼んでください!」
「わかった! 今すぐ呼んでくる!」
窓口の奥の方から彼の先輩と思われる人の声が、こだまする。
「おい、銀行のあんちゃん! やりやがったなあ! このこの!」
アレスが以上のような暴挙に出たこともあって、アスピリッサ中央銀行内は一時そうぜんとなったのであった。
※令和6年1/21 テキストの一部を修正しました。