第十九話「戦力外通告」
「アレス。ヒポクラーンの一番の功労者にこんなことを言うのは酷なんだが……明後日をもって、このパーティーから脱退してくれ」
プロポリスの自室に呼び出されるや否や、アレスは早速そのような宣告を受けた。
アレス自身も薄々感じていた通り、プロポリスに告げられたのは冒険者パーティーヒポクラーンからの戦力外通告だった。
「すまねえ。本当のところ、パーティー創設当初からのメンバーのお前にこんなことは言いたくはなかった。許してくれ」
涙がらにそう語るプロポリス。
どうやら今回の決定を下すまでに、彼の中で葛藤があったようだ。
「近く、俺達のパーティーはクラレタリス公国の方に向かう。
何でも公国近海から巨大なタコが現れたようでな。それを退治してほしいとのことだ。報酬もかなり破格だ。今まで受けてきたどの依頼よりもな。
そいつの討伐をついさっき、ギルドを通じて、公国側の使者から直々にお願いされたところだ」
クラレタリス公国。確かここアスピリッサから遠く離れた港湾都市のことだ。
近年の目まぐるしい造船技術の発達で、ここ最近海上交易が一大ブームとなっていた。クラレタリス公国もそんな海上交易で栄えた都市の一つである。
公国随一の港湾都市カタルンゴでは、東方世界の珍しい物品が数多く集まる。
コショウ、陶磁器、ゴム、紙など、どれもこちらの世界で高値で取引されるものばかりだ。
おそらくそのような都市から直々に依頼を受けたってことは、それはもう相当な依頼料を提示されたに違いなかった。
「それに公国の使者が提示してきた金額がな、アレス。驚くことなかれ。
耳の穴かっぽじってよく聞け……何と10億ゼニーだ」
「10億ゼニー!? 嘘だろ!? 桁違いじゃねえか! まるでオイルマネー……じゃなくて、ペッパーマネーじゃねえか!」
アレスが言ったように、10億ゼニーはまさに破格な依頼料だった。
今まで世界各地で数え切れないほどの討伐依頼を受け、多くの報酬を得てきたアレスからしてみても、目玉が飛び出そうになる額だった。
さすがペッパー(コショウ)で栄えてきた国なだけのことはある。
(10億ゼニー……。Sランク冒険者冥利に尽きるな! いったいどんな討伐対象なんだろうか)
そのような高額なクエスト料を聞いて、彼の中のSランク冒険者の血が騒ぎだすのを当然、止められるはずがなかった。ましてや10億ゼニーのペッパーマネークラスの討伐依頼料。彼は単純にその額の大きさよりも、そこまで多大な額がかけられている討伐対象の存在が気になっていた。おそらくアレス達が今まで対峙してきたどの魔獣よりも、手強い存在であるに違いない。
(俺も是非、そのタコ魔獣と手合わせ願いたいところだ)
この話を聞いてアレスは、自身が女神の加護でステータスがオール1となっている事実を抜きに、純粋にその巨大なタコと手合わせしてみたいと、そう思った。彼としては是非とも、パーティーに同行させてほしいという気持ちでいっぱいだったのである。
「おい、プロポリス! 是非俺も、クラレタリス公国に……」
アレスが、勢いでそのようなお願いをしようとしていたその時。
「おい、待てよアレス。なんでそうなる」
プロポリスは彼のそんな気持ちを暗に察したのか、サッと自然に手で制するなり、以上のことを言った。
「無茶言うなアレス。クラレタリス公国に行くには、この先アヒラ高原、マワタビ山脈、エレスガント洞窟、ユッチャワ雪原を越えなくてはならねえ。
お前もよく知ってるように、これらのエリアにはな、俺らメンバーでも手を焼くような魔獣ばかりが生息してんだぜ?
ステータス1のお前を庇いながら、クラレタリス公国を目指すなんて自殺行為もいいところだ。
それにお前が女神の加護を授かってから、もう1か月少々。一向に解除される気配もない。本来なら、もう2か月、いや3か月か4か月ほど、お前の完全復活を待っていたかったが、状況が変わったんだ。
悪いがそんなわけで、今のお前をクラレタリス公国まで連れていくことはできない。
……いいかアレス? これは急ぎの用なんだ。悪いがお前はここで船を降りてくれ。
パーティー1番の功労者にこんな非情な宣告するなんて、本当はとても心苦しいんだ。
でもわかってくれ。俺達には生活がかかっている。どうかお前には現実を受け入れて欲しい。この通りだ。アレス。……もちろんジュリー達も俺と同意見だ」
プロポリスはそう言うと、また一段と頭を下げてきた。
彼がステータス1になったことで、つい1か月ほど前からリーダー代理となり、”ヒポクラーン”を率いているプロポリス。
立場が完全に入れ変わった者の前で、アレスは彼のその言葉に従う以外の選択肢がなかった。無理を押し通してまで、一緒に連れて行ってほしいなどと、今のアレスが要望を出したとしても、受け入れられるはずがなかった。
「適性試験の後、俺達は出会った。それからたくさん冒険したよな。ホント、命がいくつあっても足りないほど、怖い思いもたくさんしてきた。
……でも楽しかった。俺達はSランク冒険者として、多くの魔獣を討伐し、一攫千金の夢を実現させることができた。
クエストついでに世界の名所も色々回ることもできた。名産品も死ぬほどたくさん食うこともできた。旅の疲れを温泉で癒して、自然の神秘を感じて……うう涙が出そうだ。お前ともっと冒険したかったぜ」
プロポリスの目は、すでに真っ赤になっていた。
見るからに、感情が爆発しそうになっている。
それを見ていたアレスまでも、もらい泣きしそうになっていた。
「おいよせよ、プロポリス。泣くな。お前漢だろ。見っともないぞ」
アレスは、今にも咽び泣きそうなプロポリスに対し、励ましの言葉をかけた。
「……アレス。俺は泣いちゃいねえ。これはただ目にゴミが入って、悔し涙になってるだけなんだ! うおおおおん!!」
感情がこんがらがっているせいなのか、プロポリスの言っていることにあまり要領が得ないアレス。ただそれでもプロポリスからの熱い想いが伝わり、アレスはそれ以上の言葉をかけることができなかった。
……そんなプロポリスの胸中がどうであれ、正直泣きたいのはアレスの方だったに違いない。
女神の加護でステータスをオール1にされ、リハビリがてらに通っていたビギナーズエリアでは、多くのアマチュア冒険者に馬鹿にされ続けた。
晩年は、そんな悲しき境遇を送る羽目となってしまったアレス。地位も名誉も失墜してしまった彼の末路は悲惨だ。同情に値する事態である。
……まあそんなことはさておき。とにかくプロポリスはこのように情に厚い奴だった。
まさに熱き漢。熱血漢というやつである。ただ脳みそが筋肉だけで出来ているありがたい奴ではなかったのだ。
「明後日、帝国ギルドの集会場で、お前の引退パーティーを開こうと思う。
このパーティーの最大の功労者を何の形もなしに、送り出す真似なんてしねえ。盛大に準備してやるからな」
「プ、プロポリス……。お前、俺のためにそこまでしてくれるのか?」
「おうよ! 何せお前は元Sランク勇者だからな! お前は今まで俺達のピンチを幾度となく救ってくれた。
そんな功績大なお前に、たかだか引退パーティーを開くことぐらい造作もないことだ。
……ってなわけでアレス。お前のヒポクラーンからの引退セレモニー。
とにかく盛大にしてやっから、2日間だけ時間をくれ。その間、帝国ギルドには決して、立ち寄らないでほしい。
とにかく盛大なサプライズパーティーにしてえんだ。各国から要人を集めたり、エンターテイナーを呼ぶ段取りもあるから、よろしく頼む」
最後にプロポリスはそのようなことも言ってくれた。
「あい、わかった。じゃあよろしく頼むよ、プロポリス。お前が企画、立案したパーティー楽しみにしてるぞ」
「おうよ! 任せとけ! ……じゃあな、アレス。明後日に開催されるパーティー楽しみにしててくれ。心の友よ」
部屋を出る直前、アレスはそのような言葉をかけてもらってから、自室へと戻っていった。アレスにとって、今までプロポリスのことは、ただの生粋の筋肉馬鹿だとしか思っていなかった。
だがここに来て、そんな彼はアレスの引退に対して、あそこまで感情を露わにしてくれた。これはアレスにとって、思ってもみなかったことだった。
「毎日、筋肉のことしか頭になかったあいつがな……。泣けるぜ」
そうしたことを思いつつ、アレスはプロポリスの部屋から出ていったのである。
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結局この日、アレスはプロポリス以外のメンバーに惜別の言葉をかけてもらうことはなかった。先ほどプロポリスからは惜別の言葉を、わざわざアレスを自室に招いてまで伝えていた。
しかし一方のジュリー姉妹らは、ついさっきアレスと廊下ですれ違った際も、一言声をかけただけで、それから込み入った話をすることもなく、そのまま各々の自室へと帰っていった。それから数日経ってもなお、ジュリー姉妹が特別アレスに何かをしてくれたことはなかった。
ジュリー姉妹本人たちがアレスに対して、どう思っているかは定かではない。が、少なくともアレス本人からしてみれば薄情極まりないというか、まるで無関心といった印象にしか映らないことだろう。共にパーティーを組んでいる手前、ジュリー姉妹も表面的にはアレスと接してくれた。しかし本当のところ、アレス本人のことなど、最初から最後まで心底どうだってよかったのだろう。その事実がアレスにとって、何とも物悲しいことであった。
あの時、彼にクソな加護を授けた女神が、今どこにいるのか分かるはずもない。世界はこの上なく広大であり、何の手がかりもなしに、かの女神をアレス1人で探しようもなかった。
仮にこの先、アレスが何かしらの手がかりを得られたとしよう。しかし現状のステータスオール1の彼の有様では、女神の元にたどり着く前の段階で、頓挫してしまうのは目に見えている。
「はあ……」
アレスが今考えていることは、冒険者を引退した後のことだった。この状態では当然、冒険者稼業を続けることは、極めて困難だ。ステータスがオール1では護衛任務も満足にこなせない。アイテムを採集しに、魔獣達の生息するエリアにも足を運ぶこともできない。
「もう一層のこと、故郷に帰って農業をするしかないか……」
そのため、彼は前職の農夫に戻る他ないと考えていた。母の元に帰って、おとなしく実家の農業でも継いで、余生を送ろうと思っているのだ。
「……はあ。それしか選択肢ねえよな」
彼は明後日、勇者パーティー"ヒポクラーン"から引退する。全盛期は短かった。
せっかくSランク冒険者になることができたのに、こんな形であっけなくパーティーから除名されてしまった。それまでは田舎の一農夫であった彼。やっとの思いで都会に出て、一躍世界最強のSランク冒険者へと上り詰めた。一時は、一攫千金の夢を叶え、思い通りの人生を歩めていた。
しかし、そんな彼であっても、思い残したことがたくさんあるに違いなかった。その悔しさは、到底計り知れないだろう。
「ううう、ちくしょう。現実はなんて儚いんだ……」
そんな彼はホテルの自室に戻るや否や、早速ベッドに横たわり、ひとしきり枕を涙で濡らしたのであった。