9 若返りの魔法①
人類の永遠のテーマ。その一つが不老不死である。誰しも一度ぐらいは、ずっと若い姿でいられたらと考えたことがあるだろう。不老不死は不可能だが、若い姿のままでという部分だけなら、解決出来る魔法がある。
店を訪れたその女性は、ミコトさんを見つけるなり駆け寄ってきた。
「あの、ここで魔法を売っていると聞いたんですけど」
「取り扱っておりますよ。どうぞ、お掛けになってください」
座りはしたものの、女性はじれったそうにミコトさんを見た。
「慌てなくても、魔法は逃げませんよ。アヤさん、事典を」
「はい」
わたしは棚から魔法事典を取り出して、テーブルの上に置いた。
「この魔法の事典は、貴方の心の内にある願いを察知して、最適な魔法を示します」
ミコトさんが説明するのに合わせて、ページが勝手にめくれ、とある魔法を示す。ミコトさんはいつものようにカードにペンを走らせた。
ご注文 No・008 若返りの魔法
現金でのお支払い 3万円/日
時間でのお支払い 1日/日
「……若返りの魔法?」
彼女はカードを見ながら呟いた。
「貴方の望みを解決する方法は、大切な方に『過去の姿』を見せること。事典はそのように教えているようです」
ミコトさんの言葉を聞いて、彼女は中空を見つめて考え込んでいたが、急に立ち上がった。
「なるほど、そういうことですね。売ってください、今すぐ!」
ミコトさんが迫力に押され気味の様子で、その顔を見上げている。
「ご説明しますから、ひとまずお座りください」
わたしはなんとかなだめて彼女を座らせ、三通りの支払いの方法を説明する。
一つ目は寿命。未来の時間を代価とする方法。
二つ目は労働。わたしも選んだ、現在進行形の時間を代価に充てる方法。
三つ目は記憶。過去の時間を代価とする方法。
「寿命でお願いします」
彼女はほとんど悩むことなくそう答えた。
「この魔法は、使い切りの魔法です。若返る年数分の寿命を失うことになりますが、よろしいのですか?」
「もちろんです。まだ、二十年程度の寿命なら、残ってますよね?」
彼女は即答した。見た目は四十代くらいだろうか。女性の平均寿命を考えれば大丈夫だとは思うが、心配になる。
ミコトさんは砂が青い方の砂時計を取り出して、彼女に差し出した。
「代価分の寿命が残っているか、確認させて頂きます。これを手のひらの中に握ってみてください」
前に見たときもそうだったが、誰かの寿命を測るという行為は、心の奥がギュッと痛む。
「誰かのために、自分の寿命をなげうつ覚悟、素晴らしいと思います」
ミコトさんがそう言って、優しく微笑んだ。誰かのため、という言葉がひっかかり、わたしはつい、横から口を挟んでしまった。
「あの、それってどういう意味ですか」
「わたしの母、認知症なんです。今ではわたしのことさえわからなくなってしまって」
彼女は、自分と母親の事を話してくれた。彼女の名前は花崎マナミ。母親とは姉妹のように仲が良い間柄だったが、五年前に認知症を患ってしまう。マナミさんは看病を続けてきたが、最近になって症状が酷くなってしまったらしい。
「若返りの魔法で病気前の状態に戻すということですね」
「いいえ、若返りの魔法は病気を治す効果はありません」
「じゃあ、どうやって……」
わたしが首を傾げていると、彼女の砂時計を握っている手から僅かに光が漏れた。
「測り終わったようですね。お返し頂けますか」
ミコトさんが、受け取った砂時計をランプの明かりに照らす。
「結構です。十分な寿命を確認しました。では、契約の間へ参りましょう」
砂時計をテーブルに置いて、ミコトさんはすぐに立ち上がった。その動きがあまりにも早いので、わたしはつい、呼び止めた。
「もういいんですか? もう少し確認した方がいいんじゃないでしょうか」
「何を確認するんですか?」
「いえ……」
ミコトさんはわたしの言葉など意に介さない様子で、マナミさんを促して、テーブルの前に立つ。わたしは慌ててその側に駆け寄った。
「では、参りますよ」
ミコトさんが天井に人差し指を向けて、円を描く。現れた光の輪がわたしたちの頭上から降りてきて、契約の間へと誘った。
銀色のフレームの鏡が置いてある、質素な部屋。この店で働き始めて二ヶ月になるが、ここを訪れるのはまだ二回目だ。最初に入ったのは、わたしが魔法を契約した時。他のお客様は、みんな魔法を契約する前に満足して帰ってしまったのだから、当然ではあるのだが。
要するに、わたしは寿命を対価とした魔法の契約に立ち会ったことが無い。当のマナミさんは少し緊張気味に見える程度だが、わたしは気が気でなかった。人の寿命が目の前で無くなる事に、どうしても抵抗感が拭えない。
ミコトさんはそんなわたしの心配などどこ吹く風で、鏡に向かって祈りを捧げた。
『今この時より、この者に魔導の力を分け与える。契約せしめるは、若返りの力なり』
天井のステンドグラスから降り注ぐ光が、マナミさんを包む。契約が、成されてしまったのだ。