8 運気誘引の魔法②
わたしはアパートの姿見の前で、ミコトさんから借りたネックレスをつけてみた。紫色に光るネックレスは、デザイン的に派手というか、かなり奇抜だった。ひとまずブラウスの中につけることにする。
アパートの五階の部屋を出たとき、最初は霧が出ているのだと思った。遠くの景色がモヤがかかったように見えづらかったからだ。よく観察すると、それは霧ではなく、どちらかというと煙に近かった。幾筋もの淡い紫色の煙が、一定方向に流れている。これがミコトさんの言う、運気なのだろうか。
煙は近くにあるアーケード街の方へ流れている。わたしは煙の流れを追って歩いてみることにした。
どこの街にもある、商店や飲食店が並ぶアーケード街。わたしがこの街に住むようになってから、何度も訪れた馴染みの場所だ。それが今は、煙の立ち込める異様な景色に変わっていた。煙はアーケード街の中心を真っ直ぐ流れていて、途中で枝分かれをしていた。分かれた先は、通りを行き交う人々に繋がっていて、彼らの身体を取り巻いている。
煙の本流を追って先に進むうち、段々と紫色が濃くなっていることに気づいた。いくつかのテナントが入る、商業施設のビルの中に繋がっていた。
馬鹿正直に煙を辿った結果、階段を八階分も登る羽目になった。息切れしていまい、近くのベンチに腰掛ける。運動不足を痛感していると、派手な鐘の音が響いて、どきりとした。煙の向こうから拍手が聞こえてくる。
「おめでとうございます。特賞の大型テレビ、ご当選になります」
福引のコーナーで、幸運な誰かが大当たりを引いたらしい。派手なハッピを着た七三分けの店員が、鐘を振っている。その前で呆然と立ち尽くしている、そのラッキーな人に向かって、霧が激しく流れ込んでいる。よく見ると、キリヤさんその人だった。
「いやあ、こんなことってあるんですね」
キリヤさんは目録を眺めながらしみじみと言った。わたしは、ベンチに腰掛けるキリヤさんの目録をそっと確認した。間違いなく、特賞と書かれている。
「あなたはどうしてここに?」
キリヤさんが不思議そうにわたしを見上げた。
「運気を追ってきたら、あなたに辿り着いたんです」
「ということは、本当に運気の力なんですね」
もちろん、ミコトさんのネックレスの効果なのだろうが、魔法だとしても原理がわからない。今見えている煙が運気だとして、運だけでこんなにポンポンと良いことが起こるものだろうか。
「凄いですよ、これは。僕、宝くじを買っても、当たるどころか、財布を落としたりする可能性の方が高いですから」
「はあ、そうなんですね」
不運を威張られても困る。この人は本気で自分の運に自信が無い、というよりも、不運に自信があるといった感じだ。
「しかし、いいんでしょうか。海外旅行に大型テレビとなれば、数十万円にはなりますよね」
「いいんじゃないですか? そういうネックレスなんですから」
「この後、反動で不幸が起こったりしませんかね」
もしそうなら、不幸のネックレスに違いない。ミコトさんに限ってそんなことはないと思うが。
「大丈夫ですよ。今まで十分不幸だったんでしょう?」
「ええ、それはもう」
彼は爽やかな笑顔で言い放った。
その日の夜、再びキリヤさんが店を訪れた。
「いかがでしたか、運気上昇の効果は」
ミコトさんが尋ねると、キリヤさんは笑いながら頭をかいた。
「驚きましたよ。こんなに幸運が続くなんて。運気とは凄いものですね」
「本来、運気は自ら意識して呼び寄せることが出来るのです。お見受けしたところ、キリヤ様は自らその流れを断ち切っておられるようでしたので」
「確かに、そうかもしれないですね。これはお返ししますね」
キリヤさんはネックレスを外すと、ミコトさんに差し出した。ミコトさんはそれを受け取る代わりに、優雅な微笑みを返した。
「それはあなたに差し上げましょう」
「えっ?」
キリヤさんは驚いた様子だが、後ろにいたわたしも同じぐらい驚いた。
「いや、こんな貴重なものを頂くわけにはいきませんよ」
「ご心配には及びません。安価な量産品ですから」
キリヤさんは改めてネックレスを顔に近づけて観察した。
「嘘をついて申し訳ございません。それは魔法のネックレスではないのです」
キリヤさんはきょとんとしてミコトさんを見つめた。
「でも、僕は確かに、このネックレスのおかげで幸運になったんですよ」
彼が言う事は間違いない。わたしは二度も目撃しているのだから。
「あなたに訪れた幸運は、あなた自身の信じる力が引き寄せた幸運なのですよ。これまで溜め込んでいた運気を、まとめて受け取ったに過ぎません」
わたしは先程見た、運気の流れを思い出していた。
「確かに、キリヤさんに向かって、運気が流れ込んでいくのをわたしも見ました」
キリヤさんは、まさに狐につままれたような顔をして、わたしとミコトさんを交互に見比べた。
「あなたがわたしの店にいらっしゃったのは、ご自身の為というわけでもないのでしょう」
指摘された彼は、驚いてミコトさんを見た。
「どうしてそれを……」
「職業柄、わかってしまうのですよ。誰かを巻き込みたくないという強い思いを感じます」
「……はい。実は五年ほど交際している女性がいまして」
彼の話によると、その女性と結婚を考えているが、自分の不運に巻き込んでしまうのが怖くて悩んでいたということだ。
「全ては自らの考え方次第です。そのネックレスをお守り代わりに、運気を呼び込む練習をされると良いでしょう。あなたなら、自身の力で運を呼び込めるとわたしは思います」
キリヤさんは目頭を抑えて天井を仰ぐと、そのまま頭を下げた。
「……お世話になりました。せめて、お支払いを」
「いいえ、今後のためにとっておいてください。……ああ、そうだ。記念に、こちらをどうぞ」
ミコトさんはいつものように、虹色のキャンディーを彼に渡した。
キリヤさんが帰ったあと、わたしは借りていたネックレスをミコトさんに返した。
「運気の流れは見えましたか?」
「はい、ハッキリと。それにしても、あの人、凄いですね。信じ込むだけであんなに幸運を引き寄せるなんて」
ミコトさんは微笑んだまま、紫色のネックレスを引き出しに仕舞った。
「まだ信じられなんですけど、運気って本当に……」
わたしが聞こうとしたタイミングで、入口のベルが鳴った。お客様かと思って振り返ると、そこには七三分けの男性が立っていた。
「あら、永瀬さん」
ミコトさんが男性に声をかけると、会釈してミコトさんの方へ近づいてきた。
「どうです、上手くいきましたか」
「ええ、それはもう見事に」
「結構、経費も掛かりましたし、上手くいってくれないと困りますがね」
永瀬と呼ばれた男は、ベストの内ポケットから封筒を取り出して、机の上に置いた。ミコトさんは封筒の中から紙を取り出すと、苦笑した。
「あら、こんなに?」
「新製品で8K対応の85型ですからね。もう少し安いものでも良かったのでは」
「その辺りは疎いものですから」
「だと思いましたよ。……また、よろしくお願いします」
彼はミコトさんに軽く頭を下げると、そのまま店を出ていった。何となく、察しはついたものの、わたしは恐る恐るミコトさんの顔をうかがった。
「ミコトさん、今の人、アーケード街で福引を仕切っていた店員さんですよね」
「永瀬さんは我々の業界の人間です。アヤさんの先輩にあたりますね」
「全部、仕組んであったんですか」
「さあ、どうでしょう」
ミコトさんは楽しそうに笑っているが、わたしとしては除け者にされたみたいで面白くない。
「あなたに預けたネックレスは本物ですよ。そこはご心配なく」
「いや、そうじゃなくて……」
ミコトさんはいそいそと奥の部屋に消えてしまった。説明する気は無いらしい。わたしは自分のやっている仕事が何なのか、さっぱりわからなくなってしまった。