5 時戻しの魔法①
タイムマシンで昔に戻れたら。誰しも一度は考えた事があるのではないだろうか。そんな夢のような魔法が存在する。魔法事典でその魔法を見つけたとき、心がときめいた。その名も『時戻しの魔法』。ただし、過去を変えることはできず、戻っていられる時間も僅かな間だけ。結局のところ、少しだけ過去の夢を見られる魔法という程度のものでしかない。さらに、この魔法は人生で一度しか使えないという縛りまである。解説を読んで、わたしのときめきも急速にしぼんでしまったのだが。
ある日、ひとりのお客様が店を訪れた。年齢は七十代は超えていそうなおじいさん。ソフトハットを被り、ジャケットを羽織った、素敵な紳士だ。
彼がゆっくりとミコトさんの前に座ると、魔法事典が『時戻しの魔法』を示したのだ。ミコトさんは、黙ってカードにペンを走らせた。
ご注文 No・017 時戻しの魔法
現金でのお支払い 1億2千万円
時間でのお支払い 5000日
ミコトさんの後ろからカードを目の端に捉えて、わたしは内心驚いていた。文字通り、桁が違う。
「お支払いの説明に入る前に、こちらの魔法の説明を致します」
ミコトさんは、時戻しの魔法の制限事項を彼に説明した。
「時を戻した先での体験は、あくまでも貴方の中にしか残りません。それでもよろしければ、お売り致しましょう」
体験するだけの魔法なのに、この価格設定はどういうことなんだろう。わたしなら諦めるところだが、彼は前のめりになってうなずいた。
「ぜひ、詳しいお話しを聞かせて頂きたいですな」
「承知致しました」
ミコトさんはいつものように、支払いの方法を彼に説明する。彼は時間での支払いを望んだ。
わたしは契約書をテーブルの上に置いて、ミコトさんの代わりに、時間での支払いについて説明した。
一つ目は寿命。未来の時間を代価とする方法。
二つ目は労働。現在進行形の時間を代価に充てる方法。
三つ目は記憶。過去の時間を代価とする方法。
彼は黙って説明を聞いていたが、優しい眼差しでわたしに問いかけた。
「寿命で払うとしたら、私の場合はどうなりますか」
わたしは言葉に詰まった。明らかに高齢のお客様に対して、寿命の話をするのは流石に憚られた。わたしが視線で助けを求めると、ミコトさんは引き出しから小型の砂時計を取り出した。以前、記憶の量を測るときに使った砂時計と同じ物だが、この前の物は砂の色が銀色で、こちらは青い。
「これを手のひらの中に握って頂けますか」
彼は砂時計を受け取って、言われた通りに右の手のひらの中に砂時計を握りしめた。
「その砂時計は、貴方の寿命が代価に足るか測るものです。当然ながら、貴方がお知りになりたくない事に触れる可能性がありますが」
ミコトさんが言うと、彼は動じた様子もなく、うなずいた。
「結構です。むしろ、残り時間がわかるのなら有り難い」
砂時計が測り終えるまでの時間が、わたしにはとてつもなく長く感じられた。自分の事ではないとはいえ、目の前の人の寿命を知ることになると考えると、冷静ではいられなかった。
「よろしいでしょう。お貸し頂けますか」
ミコトさんが、彼から砂時計を受け取って、ランプの明かりに照らしている。わたしは心臓が高鳴ってくるのを感じた。
「確かに、五千日分の寿命を確認しました。こちらでお支払いになりますか」
ミコトさんが聞くと、なぜか彼は寂しそうな顔をした。
「そうですか、まだそんなに残っていましたか」
この場合、少なくとも彼は十三年以上は生きていられる事を意味する。ひとまずホッとしたが、同時に彼の答えが気になる。彼の顔をうかがうと、何かを悟ったような表情で、ミコトさんを見据えた。
「寿命で支払おうと思います」
その答えを聞いたミコトさんの顔から微笑みが消えた。
「本当によろしいんですね? 代価に足るとは申しましたが、お支払い後の寿命の残りは、決して長くはありませんよ」
真剣なミコトさんの表情に対して、彼は穏やかに微笑んでいた。
「人の生き方いうのはね、長さの問題ではないんですよ」
彼が言うと、ミコトさんがうなずいた。
「その通りです。では、魔法をお渡し致しますので、契約書にサインを頂けますか」
彼が差し出されたペンで名前を書き込む。真中アキオというのが彼の名前らしい。本人が納得した上の話とはいえ、十三年もの寿命と引き換えにする目的とはなんなのか。それ以上に、彼が寿命を失う事に対する抵抗感が拭えなかった。
「『時戻しの魔法』は、少々扱いが特殊な魔法です。一度しか使えない特性上、ご使用に際してサポートをさせて頂くことになっております」
「はい、よろしくお願いします」
彼が頭を下げると、ミコトさんは後ろの棚から帽子を二つ取り出して、片方をわたしに被せた。意味がわからず、ミコトさんを見る。
「これは、三分間だけ時を遡る魔法の帽子です。実際に魔法を使う前の予行練習を致しましょう。被ってみて頂けますか」
「あの、ミコトさん、なぜわたしまで」
わたしが聞くと、ミコトさんはにっこり微笑んだ。
「貴方はタイムキーパーです。これを持っていてください」
ミコトさんは金色の懐中時計のようなものをわたしに持たせた。
「その時計が丁度三分を指したら、竜頭をひねってください。こちらに戻って来れますので」
わたしは訳がわからないまま、彼が帽子を被るのを見守る。
「それでは、始めますよ」
ミコトさんが両手の人差し指を彼とわたしの帽子に向けると、浮遊感が襲ってきて、そのまま意識が遠のいていった。