18 見果てぬ夢③
「月面旅行を体験して頂くにあたっての注意事項です」
実際に月に行くにあたり、ミコトさんは山野さんに書類を手渡した。
「皆さんにも」
何故か、ミコトさんはわたしとマナ、ハルカちゃんにまで同じ注意書きを配った。
月面旅行体験規則
一、探索できる範囲は添付の地図に示す区画のみとする
一、安全のため、魔法補助具を装着すること
一、前項の補助具は入場許可証を兼ねるものとする
一、本体験で知り得た事実は口外してはならない
「ミコトさん、魔法補助具というのは?」
わたしが聞くのを見越してか、ミコトさんは、ケースに収められた銀色のブレスを既にテーブルに用意していた。
「これは安全地帯の魔法と同等の効果を発揮する、魔法の腕輪です。念の為に身に着けておいてください」
「わたしたちもですか?」
言われるまま、腕につけてみる。マナが魔法を使った時と同じような青色のオーラが身体を包み込んだ。
「アヤさん、目的地は地図の通りですので、お客様をご案内頂けますか」
「え?」
わたしは注意書きの裏面を確認した。確かに、『探索可能区画』への道順が示してあるのだが。
「あの、出発点がこのお店になっているようなんですけど」
ミコトさんはニコリと微笑んだ。
店のある湖の畔から森の方へ向かう道。いつも通る帰り道なのだが、地図によると脇道があるらしい。
「ここですね」
知らなければ気づかなかっただろう。道と呼べるか怪しいぐらいの狭い小道が、森の奥の方へ続いている。
わたしが先頭に立ち、懐中電灯で照らしながら、一列になって進む。少し行くと、森の出口に差し掛かる。
「え?」
そこで、わたしは混乱した。森の出口の向こうに、何もない荒野が続いているのだ。それも、ただの荒野ではない。灰色の地平線の向こうに闇が広がっている。
「月面……ですよね」
「……ええ。間違いないです」
後ろでマナがつぶやくと、山野さんがそれに答えた。
森の入口は、淡い青色に光るベールのようなもので覆われていた。そっと手を近づけると、魔法補助具が反応して輝く。
このブレスは入場許可証を兼ねるということだった。わたしは思い切ってベールの向こうに手を入れてみた。魔法に守られている感覚がわかる。
このまま入っていけそうだったので、わたしは先陣を切って森を抜けた。
「大丈夫みたいです」
振り返って手を振ると、ハルカちゃんが駆け寄ってきて、その後にマナと山野さんが続いた。
改めて地平線を端から端までぐるりと確認する。
それを見つけた瞬間、わたしは息を呑んだ。真っ暗な空の中に、青い星が浮かんでいる。あまりにも現実離れした光景に、言葉を失ってしまう。
「……月は、私の夢だったのです」
山野さんは青い地球を見ながら、目を潤ませているようだった。
「子供の頃、父親に買ってもらった望遠鏡で、毎日月を見ていました。いつかあそこに行くのだと、根拠のない自信を持ってね」
彼は少し恥ずかしそうに笑った。
「宇宙飛行士になろうと必死に勉強しました。ところが、選抜試験に受かった矢先に、事故に遭ってしまいましてね。神は居ないのだと、その時は思いました」
わたしは彼の足に目をやった。彼が事故に遭った直後に治癒の魔法を使えたら、彼の運命も変わったのかも知れない。
「それが、こうしてこの星に立って、この光景を見ることが出来るとは」
そう言って、山野さんはしゃがみ込んだ。わたしが手を貸そうとするのを遮って、彼は地面に手を付けた。
「地球から見た月はとても神秘的で、私の知らない鉱物や、宝物が沢山眠っているに違いないと期待していたものですが」
「……違いましたか?」
わたしが聞くと、彼は微笑んで首を横に振った。
「もちろん、気持ちは変わりません。ただ、ここに立って改めて思ったのです。……やはり、私たちの地球こそ美しいと」
「そうですね」
わたしたちはしばらく、地球の青い姿を眺めていた。
わたし達が体験したのは、本物の月面旅行だったのか。店に戻ってから、わたしはミコトさんに聞いた。
「どう感じられましたか?」
「わたし、動画で見たことあるけど、雰囲気はそっくりだったよ」
ハルカちゃんが答える。
「というか、どうして森が月に繋がっているんです?」
「簡単ですよ。貴方がたは初めから月にいらっしゃったからです」
わたしは一瞬、思考が停止した。
「いやいやいや、月ならここから見えてますよね」
窓の外の夜空に燦然と輝く満月。そこで、わたしはある引っかかりを感じた。
「……そう言えばあの月、いつも満月ですよね」
「あれは、月ではありません」
「じゃあ、なんだと……」
わたしが聞こうとすると、ミコトさんは唇に人差し指を当てた。
「月面旅行体験規則の最後の項、お忘れなきよう」
規則の最後の項、そこにはこうある。
一、本体験で知り得た事実は口外してはならない
まさか、このお店があるのは、月の上なんだろうか。わたしが顔をうかがうと、ミコトさんはいつものように優雅に微笑んでいた。