15 瞬間移動の魔法②
契約の間から帰ってきたエマさんに、特に変わった様子はなかった。彼女が残り僅かな寿命を使ってまで、瞬間移動の魔法を得た理由はなんだろう。むやみにお客様のプライバシーを探るわけにもいかず、エマさんの様子をうかがうぐらいしか出来ない。
「これで、わたしは魔法が使えるんですね?」
エマさんは自分の手のひらを見つめながら、ミコトさんに聞いた。
「契約が完了した時点で、瞬間移動の魔法はあなたのものです」
嬉しそうなエマさんと、にこやかなミコトさんを尻目に、わたしだけがモヤモヤしている状況だ。寿命を失ったのに、何故あんなに楽しそうな顔が出来るのだろう。
「ねえ、あなたなら、どこに行きたいですか?」
エマさんがわたしに聞いてきたが、急に聞かれて気持ちが追いつかない。
「ロンドンがいいな」
わたしの代わりにハルカちゃんが答えた。
「ロンドンが好きなの?」
「有名な探偵さんがいるんだよ」
「いいね、行ってみようか」
エマさんはハルカちゃんと右手を繋ぎ、左手をわたしに差し出した。わたしが躊躇っていると、半ば強引に手を握られた。
「いざ、ロンドンへ!」
エマさんの掛け声の後、わたしたち三人は、光る球体に包み込まれた。
地下鉄の駅では世界で最も古いという、ベーカーストリート駅。その駅の外に、右手にパイプをくわえ、鹿撃ち帽を被った探偵の銅像が立っている。お馴染みのシャーロック・ホームズその人だ。
わたしは人並みに知っている程度だが、ハルカちゃんはどうやら相当のファンらしい。銅像の前に立って目をキラキラさせている。
「しまったな、こんなに喜ばれるとは」
その様子を見ていたエマさんは、腕組みをしてつぶやいた。何故か彼女はバツが悪そうにしている。
「良いことじゃないですか」
わたしが言うと、彼女はわたしの耳に顔を近づけた。
「連れてきて言うのもアレなんですけど。わたしたち、入国手続きをしていないので、正確には不法入国中になるわけですよ」
言われてみればその通りだ。趣味の漫画に影響を受けすぎて、その辺りの感覚が麻痺していた。
「ハルカちゃん、ごめんね。色々行ってみたいだろうけど、すぐに帰らないといけないんだ」
エマさんが謝ると、ハルカちゃんは嫌がるどころか冷静にうなずいた。
「大人の事情だよね」
「ホント、ごめんね。ハルカちゃんの方がよっぽど大人だよ」
そう言って、エマさんはハルカちゃんの頭を撫でる。この時点で、わたしは引っかかるものを感じていた。
「では、帰りましょうか」
彼女が再び手を差し出す。聞きたいことがあるが、不法入国で捕まるのは嫌なので、その手を取って、ミコトさんの魔法店に帰還した。
「お帰りなさい。どうでしたか、初めて魔法を使ってみて」
ミコトさんはいつもの椅子に座って、わたしたちを出迎えた。
「まだ実感がわかないですね。せっかくのロンドンも、ほんの少ししか滞在出来なかったですし」
エマさんはハルカちゃんの視線に合わせてしゃがみ込むと、その頭を撫でた。
「今度埋め合わせするから、行きたいところを考えといてね。国内限定だけど」
「うん。わたしはいつでもいいから」
ハルカちゃんは頬を赤らめている。この子が喜んでいるのはいいことだが、それよりも、確かめないといけないことがある。
「エマさん、どうしてハルカちゃんの名前をご存知なんです?」
彼女が来店してから、本人はもちろん、誰もその名を呼んでいない。初対面のはずの彼女が知っているのは妙だ。
「……バレたか。お気づきの通り、中島エマとは仮の姿」
そう言って、エマさんは腰に手を当てると、じっとわたしを見たままニヤニヤしている。
「あの、説明いただけると……」
「わたしだよ、お姉ちゃん」
エマさんはウインクした。わたしの記憶の中には、妹と呼べる人間は一人しかいない。
「……マナ?」
彼女はゆっくりとうなずいた。
マナはハルカちゃんのヘアピンの魔法で姿を変えていた。つまり、ハルカちゃんもミコトさんもグルだったわけだ。
「どうしてこんな手の混んだ事をしたの?」
「だって、今日は……ねえ?」
「うん」
マナとハルカちゃんが視線を合わせて笑っている。壁に掛かったカレンダーを見て、わたしは思い出した。
「誕生日?」
「気づくの遅いよ。後四時間しか残ってないのに」
今日は九月八日だ。ここのところ色んな事があって、自分の誕生日のことなどすっかり忘れていた。
「誕生日、おめでとうございます」
ミコトさんがそう言って、指を鳴らす。ぽんと音がなって、部屋のテーブルの上に、イチゴの乗った大きなケーキが現れた。
わたしは胸がいっぱいになってしまって、すぐにお礼の言葉が出てこない。
「本当はお姉ちゃんの行きたがってた海外旅行を計画してたんだけど、現実は甘くないね」
「魔法とは言え、世の中のルールには従わないといけませんので」
ミコトさんが申し添えた。寿命を測ったとき、マナに耳打ちしていたのはこの件だろう。納得すると同時に、もう一つの疑問が浮かび上がってくる。
「魔法の契約はちゃんとしたの?」
「もちろん」
魔法の契約には対価が必要。マナはわたしのために寿命を縮めたことになる。
「早とちりしないでね。寿命で払うっていうのは演出だから」
わたしが睨んだせいか、マナは慌てて手を振った。それをフォローするように、ミコトさんが書類をわたしに差し出した。
「マナさんの契約書です」
契約書の中身を確認すると、支払い方法の欄の『時間』に丸があり、『労働』と記載がある。
「ごめんね、不安にさせちゃったね」
わたしはホッとして力が抜けてしまった。
「わたしのために、お姉ちゃんがどんなに悩んだのか、ずっと気になってて。だから、実際に魔法の契約をして、同じ気持ちになってみたかったの」
マナはそう言うと、わたしに深々とお辞儀した。
「ホントにありがとう、お姉ちゃん」
「……何よ、急に改まって」
泣きそうになるのを何とか堪えて、わたしは窓の外に視線を逸した。