10 若返りの魔法②
若返りの魔法を使うマナミさんに立ち会うため、わたしは病院を訪れていた。マナミさんのお母さんが市内の大学病院に入院しているのだ。階段で足を滑らせて、右脚の骨を折ってしまったらしい。
「お母さん、具合はどう?」
マナミさんが聞くと、彼女のお母さんはにこやかに笑ってうなずいた。
「痛みも引いてきましたよ。看護婦さんのおかげです」
「……そう、あまり無理をしないでね」
マナミさんはそう言うと、寂しそうにうつむいた。
「あの、この方は看護婦さんじゃなくて……」
わたしがたまらず説明しようとした、その時だ。マナミさんのお母さんはわたしの方をじっと見て、首を傾げた。
「マナミ、ちょっと痩せた?」
一瞬、何を言われているのかわからなかった。
「大学の方はちゃんとやれてるの? ちゃんと卒業して、お仕事に就いてくれないと安心出来ないわ」
彼女はわたしをマナミさんだと思っているらしい。わたしとマナミさんはそんなに似ていないはずだが。
「……いいですか」
マナミさんが耳打ちしてきたので、わたしたちは一旦部屋を出た。
廊下のベンチにマナミさんと並んで座った。彼女は辛そうに視点を落としている。
「母は、記憶が逆行しているらしいんです。父が事故で亡くなった直後、わたしがまだ大学生の頃まで」
マナミさんが大学生の頃なら、丁度二十年くらい前になるのだろうか。
「最近は、あなたくらいの年齢の女性を見ると、わたしと間違えることがよくあって」
「それはわかりましたが、マナミさんが若返ったとしても、根本的な解決にはならないですよね」
「そうでしょうね。でも、なぜ母の記憶が二十年前に戻っているのか、それが気になるんです。二十年前の姿で母と接することで、何かわかるかも知れない」
可能性の為に、寿命を二十年もなげうてるということは、それだけ切羽詰まっているとも言える。でも、その結果、何も得られなかったら。代価はあまりにも重すぎのではないか。見た目が若返っても、彼女の寿命は縮んでしまっているのだから。
「せっかく貰った力ですから、早速使おうと思います」
「……そうですね」
失った寿命を取り戻すことが出来ない今、わたしはそう答えるしかなかった。
魔法の行使の方法は、魔法を得ている本人ならば、教えられなくても認識している。わたしの場合もそうだった。
病院の建物の裏手で、マナミさんと向かい合う。彼女は大きく深呼吸をした。両手を上に向け、目を閉じると、彼女の体が淡く光り出す。少しずつ、彼女の顔つきが変わっていった。肌に張りが出て、目元が引き締まる。
次に彼女が目を開けたとき、見違える程に若々しい表情に変わっていた。若返りの魔法、恐るべしである。
「どうですか?」
彼女が少し恥ずかしそうに聞いてくる。
「もう、どこから見ても女子大生ですよ」
目の前で見せつけられると、流石に心が動く。わたしも五年くらい若返ってみようかしらと。
再び病室のドアの前に立った彼女は、入るのをためらっていた。
「よければ一緒にお願い出来ますか」
「いいですけど、わたしがいたら邪魔になりませんか」
「見届けて頂きたいんです」
彼女が賭けた寿命の重みもある。わたしは少しプレッシャーを感じながら、うなずいた。
マナミさんはドアの手すりに手をかけ、少し間を置いてから力を込めた。わたしも、静かに中に入る彼女の背中に続く。
「……マナミ?」
マナミさんの顔を見たお母さんは、すぐに反応を示した。不思議そうに彼女の顔を見てから、微笑んだ。
「そんな所に立ってないで、こっちにいらっしゃいよ」
「……うん」
マナミさんは、既に泣きそうな顔をしている。きっと、自分を認識してもらったのは久しぶりなのだ。わたしは邪魔にならないように部屋の隅に置いてあった丸椅子に腰掛けた。
「お母さん、欲しい物はある?」
「何も要らないよ」
「遠慮しなくていいんだよ」
「気を遣わなくていいってば。でも、そうねえ、孫の顔が見たいわねえ」
「急に何言ってるのよ」
わたしは少し居心地の悪さを感じていた。極力、気配を消すように努めるしかない。
「マナミ、お父さんの事だけど、いつまでも引きずってても仕方ないのよ」
マナミさんのお母さんは諭すように言った。
「……それはお母さんの方じゃない。仏壇の前に座りっぱなしで、何時間も動かないんだから」
「もう、大丈夫よ。何年経ってると思ってるの。わたしのことはいいから、自分の事を考えなさい。あなたもいい年なんだから」
マナミさんがはっとした様子で顔を上げる。お母さんは優しい笑みを浮かべて娘さんを見つめていた。
お父さんを事故で亡くしたマナミさんは、気落ちしたお母さんを支えて、寄り添うように暮らしてきた。二人のやりとりを見て、少しだけ二十年の絆を感じ取っていた。
「お陰様で、色々と思い出したようです。まだ、完全では無いんですが」
数日後、店を訪れたマナミさんは、穏やかな表情で報告した。
「良かったですね」
目的を果たせた事は何よりだが、やはり失った寿命の事があるので、素直に喜べない。
「そうだ、魔法の契約の事ですが」
急にミコトさんが手を打った。
「マナミさん、実はお詫びしなければならない事があります。お売りした若返りの魔法ですが、契約時に不手際がありまして。大変申し訳ありませんが、ご返品頂けないでしょうか」
「返品……ですか」
マナミさんが首を傾げる。
「代価は頂きませんので、こちらにサインを」
ミコトさんは契約解除の書類をテーブルの上に出した。本来なら、キャンセルも含めた契約変更には代価の二倍の手数料が発生するはずだ。
「契約の際に、契約変更に関する説明を失念していまして。契約は不成立とさせて頂きます」
「はぁ……それは構いませんが」
「では、そういうことで」
ミコトさんはいきなりパチンと指を鳴らした。わたしは不意をつかれてびっくりする。
「寿命の方はお戻ししましたので。お帰りになられて結構ですよ」
マナミさんが狐につままれたような顔をしている。もちろん、若返ったままで。
「この事はどうぞご内密に」
そう言って、人差し指を唇に当て、ミコトさんはいつものキャンディをマナミさんに差し出した。