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月明かりの魔法店  作者: 神楽一斗
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1 魔法の代価

 森を抜けた先の湖の畔に、赤茶けた屋根の小さな店がある。窓から淡い光が漏れていて、ずっと見ていたくなるような不思議な感覚に陥る。

 わたしは、月明かりの夜にだけ現れるというその店の噂を聞いて、この場所を訪れた。湖があることは知っていたが、こんな場所に店があるなんて、この目で見るまで信じてはいなかった。

 洒落たドアノブを握ってそっと引くと、チリンと鈴の音がした。

「いらっしゃいませ」

 柔らかで、頭の中に響いてくる声だった。店主らしき女性が、正面のテーブル奥に座っている。長い黒髪がキャンドルライトに照らされて、美しく輝いている。同性から見ても見とれてしまう美人だ。

「今日はどのようなご要件ですか」

 彼女は優しく微笑んで、わたしに尋ねた。どう答えたらいいのか悩んでいると、彼女はわたしに目の前の椅子を指して勧めてくれた。

「あの、こちらで……魔法を売ってもらえると聞いて来たんですが」

 わたしは意を決して聞いた。普通なら、こんなことを正面から聞くなんて考えられない。しかし、今は藁にもすがりたい思いなのだ。

「取り扱っておりますよ。どの魔法をご所望でしょう」

 彼女は辞典ほどの厚さの本をテーブルの上に置いた。誰も手を触れていないのに、表紙が勝手に開いて、ページがめくられていく。本はパラパラと音を立て、全体の真ん中程のページまでめくられたところで止まった。

「なるほど、治癒の魔法ですね。お支払いはどのようになさいますか?」

 彼女はテーブルに備えてあるカードを一枚取ってペンを走らせると、わたしに差し出した。


 ご注文 No・266 治癒の魔法

 現金でのお支払い 480万円

 時間でのお支払い 200日


「こんなに高いんですか」

 わたしは多少は高くつくことを想像していたが、予想を遥かに上回る価格だった。

「魔法とは、人智を超える力ですから、それなりの代価が必要になります」

「時間での支払いというのは?」

 わたしが聞くと、彼女は笑みをたたえたまま、わたしに顔を近づけた。

「文字通り、あなたに定められた人生の中から、相応の時間を頂くという事です」

 わたしは考えた。480万円に比べれば、200日なんて大した事はないのではないか。

「時間でのお支払いをお考えでしたら、いくつか注意点がございます。こちらをご一読ください」

 店主は、テーブル上の本の背表紙裏を開いてわたしに示した。そこには、箇条書きでこう記されていた。


 一、寿命を以て代価に充てる場合、十分な寿命が残っていない時は契約不成立とする。


 一、労働を以て代価に充てる場合、自身の生命活動の維持、生理的現象の解消に費やした時間は代価として認められない。


 一、記憶を以て代価に充てる場合、いかなる条件下でも、代価とした記憶の復元は認められない。


 一つ目は、残った寿命が足らない時は駄目だということだろう。二つ目の注意は、普通の労働基準に近いものだと推察する。最後の注意は、記憶で払ったら、二度と元には戻せないということだろうか。

「ご理解頂けたようですね。それでは改めて、お支払いはどうなさいますか」

 わたしは考えた。寿命を200日程度失っても、そう大したことではないかも知れない。しかし、万が一その200日すら、寿命として残っていないことを知らされたら。あるいは、失った200日の間に、とても大切な事があると分かっていたら、死ぬ間際に後悔しないだろうか。

「焦る必要はありません。よくお考えになってお決めください」

 そう言うと、店主の女性は席を立って隣の部屋に入り、数分ほどしてティーセットを持って戻ってきた。他に従業員がいる様子はなさそうだ。

「リラックス効果があるハーブティーです。よろしければ召し上がってください」

 わたしの前に、高級そうなティーカップが置かれた。わたしは少し恐縮しながら、口をつけた。フルーティーな香りが鼻を抜けたあと、じわっと胸が温まる。

 ここでの選択は、わたし自身の人生を大きく変えるはずだ。判断を間違えないようにしなければならない。わたしは一度深呼吸をして、彼女に向き直った。

「いくつか質問をしてもいいですか?」

「もちろんです」

「まず、本当に魔法が使えるようになるのですか? 失礼だとは思いますが、やはりこの目で見てからでないと、信用が出来ないというか」

 彼女はわたしに微笑み返すと、頷いた。

「大抵の方はそうおっしゃいます。大きな代価を支払われるわけですから、そう疑問を抱かれるのは当然です」

 彼女はテーブル上の本に手をかざし、さっきまで開いていたページを見せた。

「この治癒の魔法は、外的要因による身体の外傷、欠損などに効果を発揮します。お体で実際に体験されてみますか?」

 わたしの体に傷をつけて治す、という意味だろうか。わたしがためらっていると、彼女はわたしの右腕を指さした。

「失礼ですが、右腕の内側に痣をお持ちではないですか? 幼少期についたものと推察しますが」

 わたしははっと息を呑んだ。確かに指摘された通りの痣があったからだ。記憶にはないのだが、二歳の頃、沸騰したやかんのお湯を浴びてしまい、火傷を負ったのだ。幸い大事には至らなかったが、割と目立つ痣が出来ていて、コンプレックスの一つでもあった。長袖のワンピースを着ているのに、彼女はそれを見抜いたことになる。

 わたしは右腕の袖をまくって、肘の裏側にある痣を彼女に見せた。

「後天的に出来た肉体の変化は、治癒の魔法で元の状態に戻すことが出来ます。老化のような、自然発生的な変化には効果はありませんが」

 彼女は痣の上に手をかざし、目を閉じた。彼女の手のひらから淡い光が溢れてきて、わたしの痣を包み込む。少しずつ痣の輪郭がぼやけてきて、薄くなっていくのがわかる。一分もかからないうちに、痕跡すら残さず痣は消えてしまっていた。

 わたしはここが魔法を扱う場所だと聞いてやってきた。だから、こういう体験をするだろうことも頭の中では予想していた。しかし、実際に目の当たりにしてしまうと、理解が追いついてこない。

「いかがでしょう。アヤ様の願いを叶えるに足る魔法であることは保証致しますよ」

 そう言うと、彼女はまた優しく微笑んだ。この人はわたしのすべてを理解している。そのとき、わたしはそう確信した。

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