ACT93 撃たれた代議士【佐井 朝香】
赤い絨毯を照らしてた夕暮れの陽が陰り出したのは、菅さんが一通りの意見を言い切った、そのすぐ後だったわ。
つるべ落とし、なんて良く言ったものよね。今の時期はほんと、日が暮れたと思えばほら……もうこんな夜。昇降口から冷たい風が吹き込んできて、さっきまで籠ってた熱気をいっぺんに吹き散らした。
「さむいわね」
あたしはゾクゾクする両肩を自分自身で抱きしめた。変ね、遠くで……フクロウの鳴き声がしたような?
「誰かエアコンのスイッチ入れてくれない? まさかここ、暖房とか無い?」
黙ったまま周囲を見回す黒服たち。総理もしきりに天井を見上げて首をひねってる。そうそう、寒いも寒いけど、やたらと暗いのよ。ぜんぜん明りが付かないの。それどころか、窓から来る外の光――街頭とかオフィスの明りも入ってこない。
時々パシャッと差し込む強烈なライトは報道陣のフラッシュ。そのたびに男たちの横顔がパッと闇に浮かんでは消えて、やだ不気味。
「どうして照明つけないの? 中が丸見えになっちゃうから? 」
なんて呟いたそんな時、廊下の向こうから駆けてくる足音がしたの。
「総理! 本館、官邸、その他永田町や霞が関一帯の電源が落ちています!」
そっか、どおりで変に暗いと思ったわ! なんて思いながら、声のする方を見たら……なんか様子がおかしいの。
廊下の向こうはホント真っ暗で、そいつは只のぼやけた人型にしか見えないんだけど、息切らしてハアハアしながら、あたし達から距離を取ったまま近づこうとしないの。
「君は誰かね? 顔を見せたらどうかね?」
なんて総理が訊いても、顔を背けてみたり手で顔を覆ってみたり、怪しさ満点。そんな彼に、黒服達が一斉に銃を向けた。パッと両手を上に上げた男が口を開く。
「待ってください! 私は――」
たぶん彼が名乗ろうとした、その瞬間だったわ。眩しいフラッシュのライトが、彼の姿をパッと照らし出したの。流石のあたしもぎょっとした。だって。だってね? 男の顔は傷だらけの血まみれで、しかも耳と鼻が削ぎ落されていたんだもの!
「撃てええ!!」
誰かの指示が飛んで、あたし、咄嗟に自分の耳を塞いだわ! だってさっきあたしを撃った時と全然違う、サイレンサー無しの一斉射撃! 議事堂って廊下の天井がとっても高いし、すぐ傍は中央の大広間があるから? 火薬の炸裂音がすっごく良く響くのよ!
んもう! 手で塞いでんのに凄い音! ていうか、たった一人にそこまでする?
唐突に音が止んで、あたしはやっと耳から手を離した。どうなった? 男は?
指示を出していたリーダー格の男があたしに向かって合図したから、あたしはじっと睨み返した(このあたしを顎で使うなんて!)。
でも……そうね。医者としてやるべきことはしなくちゃね。
むせかえるような硝煙の煙には、血の匂いが混じってて、ゆっくり進むとさっきの男が仰向けに倒れてる。集中的に胸部を狙ったのね。心臓なんか跡形もない。けどその他の部位の損傷はほとんどない。
ペンライトによる瞳孔の反応はゼロ。虹彩の色は濃い茶色。。体温はまだ36度くらい。そして……やっぱりね。首回りはまったくの無傷。仕立ての悪くないスーツの襟もとには血に染まった臙脂の議員バッジ。
「噛まれた痕は無いわ。血の色や体温から察するに、この人は人間。代議士の一人だったみたいね」
「……」
険しい顔であたしを見つめる総理。黒服達の表情も硬い。
……そうよね。ただの人間、しかも議員の一人を殺してしまった。
「これって……どうなるの? 緊急時のどさくさって事で済むの? 済まないの?」
「済むまいね。無論、居合わせた私の責任だがしかし……事は収束には向かうまい」
「え?」
あたしは総理の視線を追って絶句した。硝煙の煙が立ち込める廊下の向こうに赤く点灯する眼が見えたの。それが一歩前に進み出た。その大柄な人物は、あたしも知る人だった。
「何のつもりですか? 田中さん」
その人に向けられたその声に、あたし、ハッとなって振り向いた。
いつの間に入ってきたのかしら! 外に居たはずの報道陣やら議員やらが大勢居て、その真ん中に、両手を拘束されたままのハムくんが立っていた。