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ヴァンパイアを殲滅せよ  作者: 金糸雀
第2章 伯爵編
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ACT92 田中氏の過去【麻生 結弦】

 じっとこちらを見つめる瞳から眼を逸らす。ヴァンプなら多かれ少なかれ持っている「魅了」の力に負けそうな気がしたから。

 銃身の上にそっと置かれた厚ぼったい手。その重みに任せて銃を降ろしました。優しく笑った田中氏がくるりと背を向ける。僕は絶対に自分を撃たない、そんな自信がその背にあった。


「この私が何者だれか。つまりはこの正体が知りたいと、そう……問われましたな?」


 え? いえ僕は何となくその場の流れでそんな風に言っただけで、正体・・とまでは。

 でも田中氏のその挑戦的な笑み。この人、実はよほどの有名人なんでしょうか。もちろんあの会社の社主だって事は周知だから、たぶんそれとは別の顔。……誰もが知る歴史的人物とか?


「初めてですな。齢を聞く者はあっても、それを直に言葉にした者は居りません。あの伯爵様ですら」

「……解る気がします。貴方を見ていると聞いてはいけない(・・・・・・・・)、そんな気が。一体おいくつなんですか? ご出身は?」


 僕は何を前のめりになっているんだろう。こんな事、悠長に聞いてる場合じゃないのに。

向き直った田中氏がうっすらと眼を細める。


「生まれは大永2年。齢じき500に成り申す。堺の町に居を構える魚問屋に産まれ、後継となり、手広い商いをしておりました」

「大永……」


 大永元年が西暦何年に当たるのかなんて覚えてない。けど、でも500歳近いって事は……


「織田信長より10歳ほど年上ですか」

「ほう? 信長様の生まれ年をご存知とは、史実にお詳しいですな?」


 細めていた眼をカッ! っと見開いた田中氏。

 ……いえ、たまたま僕、信長が出て来るドラマにハマってて、生きてたら何歳か、なんて計算した事あっただけなんです。


「ではすでに答えは出ておりますな。私は名を偽っておらぬ故」

「え!? 田中って本名なんですか!?」


 戸惑いを隠せない。信長関連の書籍を漁ったほどの僕が、その名を聞いた事が無いなんて。

 でも待てよ? 昔の人って幼名があったり、格が上がると上の人から名前貰ったりしてたよね? ちゃんと考えてみよう。


 1500年代。

 西洋はルネサンス音楽の最盛期。

 その頃の日本。

 下剋上、戦国の世、その頃の文化と言えば?

 堺の商人……問屋で手広く……なら豪商だ。同朋衆どうぼうしゅうの1人とか? 同朋衆は芸事にも通じる人達だ。名前の下に「阿弥あみ」のつく人達。あの有名な観阿弥世阿弥もその1人だけど……田中なんて名前は聞かない。


 そう言えばさっき、信長に様をつけてなかった? 信長にゆかりのある人物?

 信長は新しいもの好きで、キリスト教を奨励したり鉄砲を積極的に取り入れたりしていた。一方で相当の目利きでもあった。銘入りの絵や書、茶器の値踏みは天下一品だったとか。茶器……茶の湯? 信長って茶の湯にハマってなかったっけ?


 堺商人? 茶の湯?


 あはは……そのワードにヒットする超有名人、居ますよね? 信長だけじゃなく、太閤秀吉をも唸らせた当世隋一の名人が。同期を抑え、当時の茶道の筆頭に立った天下の茶頭さどう。秀吉に切腹させられた悲劇の茶人。確かに良く知られているあの名前は居士号だ。本名じゃない。

 でもそこまで有名な人? しかも名前、田中だったかなあ。

 ……与四郎? うーん……でもここまで当たりを付けたんですから、ここは思い切って。


 僕は姿勢を正した。一度深く息を吸う。


「貴方は千利休せんのりきゅう、その人でしょうか?」


 眼を閉じ、満足げに口元を緩ませ、ゆったりと頷く田中氏。

 僕は壁に背を預け、しばし茫然とその居住いを眺めた。

 ……当たった。当たりました。まさか田中氏があの千利休!


「驚きました。散々ヴァンプ達を狩ってきましたが、ここまで有名な人物に出会ったのは初めてです」


 こんなの誰が予想しただろう。心が浮き立ってしまっている自分がここに居た。ハンターがヴァンプに心を動かされるなんて許されない事だけど、でも千利休・・・ですよ? 表千家とか裏千家とか僕にはさっぱりだけど、でも戦国ドラマとかに良く出てくるし、この人を題材にした読み物も結構ある。大名にもファンが大勢居たらしいじゃないですか。秀吉に「公儀は秀長、内々《ないない》は利休に」とまで言わせた人ですよ? そんな人がどうして生きていて、どんな経緯いきさつでヴァンプなんかになったのか、気になるじゃないですか。いやむしろ聞かなきゃダメだ。この人の目的、どんなつもりで伯爵を補佐してるのか。


 僕は腰につけた無線のスイッチをONにしました。音声をリアルタイムで魁人に伝える為です。


「教えてください。我々人間をどうするつもりなのか」

「……どうする、とは?」

「貴方が秀吉にされた仕打ちを思えば、人間を憎む悪鬼と化すのが自然です。伯爵の『共存案』に賛同するとは思えない」

「なるほど。世間では太閤が私に腹を切らせた事になっとりますからな」


 田中氏が顎に拳を当て、何事か懐かしむ顔をする。


「……違うんですか? 秀吉の朝鮮出兵に反対してその怒りを買った、そんな風に記憶してましたが」

「死を賜ったは事実ですが……なに、単なる意地の張り合いですな」

「意地の張り合い、ですか?」

「然様。あのめいは太閤の本心ではあらなんだ。頭を下げろ、されば許すと仰せであった」

「一体何を謝れと?」

「あの方はあれでいて機微に聡い御人よ。この儂が心内こころうちではかしずかぬと気付いとられた。故に心よりの平伏を望まれたまで」

「では銘器を高値で取引した事や、大徳寺の木像が原因というのも?」

「はははは! 確かにそれも面白くは無かったでしょうな! 罪科として挙げるにはうってつけだったのでしょう。無論、私には只の言い掛かり、されど太閤の意も手に取るよう解り申した。この利休を師と仰ぐ武将もあまたなれば、いちいち物申す茶坊主はさぞ腹に据えかねるこぶであったでしょうからな!」


 高く笑った田中氏は、とても500歳とは思えないほど屈託のない笑顔を見せて、そして――ゆっくりとその腹を撫でた。


「あの日の朝は忘れもしない、押し寄せた黒雲が朝の日の出を覆い隠す、ほの暗き未明。上空にて唸る風が椿の枝をひどく揺らしておりました。屋敷を取り囲む兵達の気配、灯籠に打ち付ける雨音も激しく。立会と介錯に訪れた侍が濃茶を啜る中、かねてより支度していた吉光よしみつの、あのすらりと伸びた白刃を眺め――ようやくに慄然と致しました。いやはや……人を殺めるやいばは……あらためて眺めるに恐ろしいもの。それを見て取ったのでしょう、見届け役の蒔田殿が思いとどまられよ(・・・・・・・・)と申された。今からでも遅くはないと」


「え……?」


思わず僕は口を挟む。


「そこで思いとどまっていれば、『千利休』は死なずにすんだという事ですか?」


 そんな僕に、田中氏は笑顔を向けたまま。


「かも知れませぬな。しかし儂は答えた。この死がいずれ我が茶を崇高なるものにしようと。所詮儂も麻生どのと同じ、数寄者すきしゃであったという事よ! 己が道の為に死を選んだのです」


「待ってください、貴方と僕の何処が同じなんです?」


 そうですよ、どうしてそこでが出てくるんですか!?


「おや? 貴方も殉じようとなされたではありませんか。自らの米神にその銃口を押し付ける姿、なかなかの見物でしたぞ?」 


 この人はあの日のことを言っている。サーヴァントになってしまったと気付いたあの日、ハンターにもピアニストにもなれない、ならば死のうと決意したあの日のことを。


「柏木も実に良い弟子を持ったもの。ときにあの……如月と名乗りし若者」

「魁人ですね」

「左様。なかなかの腕に強き眼光」

「えぇ、腕は僕も保証します。性根がとても真っ直ぐな、年下ですが昔気質の友人です」

「ほう……真っ直ぐ……」


 言葉を詰まらせた田中氏がクルリと背を向けました。急にどうしたんだろう。


「……かつて……儂にもそのような弟子がおりましてな、名を宗二と申しました。歯に衣着せず、見たままを伝え、思いの丈をそのままに口に出す、そんな男でした」


 ため息をつく田中氏。どうも魁人に生前・・のお弟子さんを重ねたらしい。


「彼がどうかしたのですか?」

「お気になさるな。口にしても詮無きことなれば」

「解ります。とても辛い記憶だと。でも話して下さい。誰かに話す、それだけでも気が楽になることもあります」


 背を向けたままの田中氏が天を仰ぐ。何故そんなことを訊きたくなったのか、僕自身解らない。口に出せない程の辛い記憶。それを共有したかったのかも知れない。

 もう一度深く、長く、溜めた息をゆっくり吐いた田中氏は、ポツリと一言。


「落とされました」

「え? 何をです?」

「首を、です。宗二は太閤の怒りを買い、我が目の前で首を落とされた。まこと……辛いものですな。我が身よりよほどこたえました」

「そんな……何故そんなことに?」

「その口が災い致しました」

「秀吉の悪口でも?」

「左様。真っ向から太閤の見立てを否定いたした。耳と鼻を削がれ、それでも彼奴きゃつこびなんだ。殺すなら殺せと。決して曲げぬと。儂は地に額を擦りつけ、助命を乞うたが叶う筈も無く。……耳を済ませば今この時も迫ります。刃が空を過る鋭き。南瓜が落ちるかの……重きおとが」


 電源は落ちたまま。非常灯にぼんやり照らされた田中氏の姿。

 人の死を目の当たりにした、しかもそれが大事に思う人の死ともなれば……それはもう思い出したくない記憶でしょう。解ります。とても良く。


「たとえヴァンパイアでも辛いことは辛いのですね」

「そうですな。しかし貴方の仰る通りでした。話せばいくらか楽になる。同じ経緯いきさつを持つ同士ならば尚更に」


 ゆるりと振り向いた、その顔色は伺えない。まっすぐに僕を見下ろす二つの眼は闇にたたずむフクロウに似ている。


「伯爵様は貴方のをこよなく欲しておいでです。もし貴方が仲間となればお悦びになりましょう」

「貴方ほどの人が何故『伯爵様』と? それほどの器を持っているのに?」

「ははは……儂など……今も昔も、只の『同朋』以上になれぬは承知。なれば我が役目は木守り」

「木守り?」

「左様。一族を救い、率いる御方を見出し、見守るが我が務め。いまの伯爵様は正当なる法を以て我等と人間の共存を成そうとされておいでです。人と我等の共存、それが実現するとなれば、我等が道も更なる高みへと昇りましょう」

「我等が道とは、つまり芸の道、という事でしょうか?」

「然様然様。正義を探るが法学者、真実を探るが科学者とするならば、美なる物を飽くなく求めるが芸術家。この3者が揃ってこそ、人の世も成り立つというもの」

「……美なるもの……」

「美しき旋律にて、美しき景色にて、或いは美しき仕草にて人を癒すが我等が務め」

「……人を……癒す」

「私と貴方は同類。儚き者達への癒しのため。その為に……共に伯爵様の御許へと」


 僕は逃げなかった。肩を掴む、その動作にむしろ従った。耳元でするこの音は……犬歯がわずかに伸びる音。

 熱い息が耳元から喉元に降りてきて牙の先が僕の喉元を捉えた時、初めて知りました。吸血の際に犠牲者を襲うのは苦痛でも恐怖感でもない、凄まじい快感だって事を。痺れるような稲妻が背筋を駆け抜け、この身体を支配する。硬直する手足と、ともすれば手放したくなる意識。


 おそらくそれに委ねた瞬間に……人は隷属するのでしょう。血によるものではない、精神的に相手を「主」と認めてしまう。


 僕は身を委ねようと、でもまさにその時聞こえて来たんです。桜子と共に弾いた、ラ・カンパネラの旋律が。

 基調となるEフラットの音。

 Eフラットじゃない、Dシャープでしょう?

 いつも笑って君は言ってたね?


 僕は息を吸った。

 喉と舌をある位置に固定し、とある音を声にする。


 田中氏の顔色が変わったと思った。

 引き抜かれる牙と引きはがされる身体。

 僕の眼を一心にみつめる田中氏の眼は、一見して闇の色だったけど、でもたぶん違う。緑光のもと、「赤」が「黒」に見えるだけだ。吸血中のヴァンパイアの眼の色は須らく赤。例外はない。


「いま……何を?」


 田中氏の声には狼狽の色。


「何をされた? その声……音?」


 パラリと振りかかる何かは、剥がれた天井の塗装だろうか。


「話が違う! 協力すれば話をつける約束だったじゃないか! この私を……次期幹事長の候補に……」


 足元で喚き、何処かへと駆けていく、その声は宮野のもの。その言葉の意味を考える余裕はすでに無い。大量に落ちてきた瓦礫。急ぎ伏せた僕の上に、誰かが覆いかぶさった。

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