ACT86 自分なりの戦い【菅 公隆】
「皆様、どうかお静かに願います。質問にお答えしましょう」
左手首を掴む右の手に力を込め、両の足を肩幅大に開いて姿勢を正す。
一度閉じた目の奥に強く力を籠めつつ、ゆっくりと瞼を上げる。眼に入ったのは黄金一色に染まる景色。
そう。これが答えだ。一番最初に受けた、「貴方は本当にヴァンパイアなのか?」っていう質問のね。
凍り付く空気。一心にこの眼を見つめる、瞬きという行為自体を忘れてしまったかの人間たち。
避難勧告が出たんだろう、議事堂周囲を取り囲むいつもの喧騒――行き交う人の会話や靴音、車の走行音の類は一切しない。その中で、歩行者用の信号機の音だけが、はるか遠くで囀っている。
ゴクリ……とそばに立つ記者が喉を鳴らす。兵が手にするライフルがカタカタと震えだす。
わたしは力を抜いて、虹彩を人間のそれに戻した。過剰に刺激したりしてハチの巣にされるのは御免だからね。
「信じて下さい。わたくしは決してあなた方の敵ではありません」
父から学んだ発声法と雄弁術。決して急がず、低くボリュームのある声質かつ出来得る限りの親しみと誠意を籠めて。順繰りに相手と目線を合わせる事も忘れずに。まずは皆の心を捕えないと。
「次の質問はあれでしたね、わたしをヴァンパイアに変えたのは誰か」
記者達が一斉に頷く。その素振りには少なくとも敵意はない。
「答えは『Not anyone』。誰でもない。わたくしは生まれながらのヴァンパイア、いわゆる真祖と呼ばれる者です。わたくしの周囲にヴァンパイアが居る訳ではない。この議事堂に出入りする者の中に同族を見かけた事もありません」
ペンを走らせる記者たち。戦闘員らはじっと様子をうかがったまま。広場中央、黄金色の馬に乗る如月だけが、こちらとその周囲に眼を光らせている。おそらくは沢口が大まかな指示を彼に送り、兵の指揮をさせている。
「では今までの公務についてはいかがですか?」
「と仰いますと?」
「被災地の訪問、法案作成とその決議、その他すべての公務を執行する上で……その……」
「貴方がた人間の不利になるよう画策しなかったか? と?」
記者たちが頷く。わたしは正直に答えたよ。ヤマしい事なんかほんとにありゃしないんだ。
「わたくしは誠心誠意、国の為に尽くしてきました。いやむしろ、政治家としては綺麗なくらいだ。
真祖であるわたくしはほぼ不眠不休で仕事が出来、日々の食糧を必要とせず、身体の汚れを気にする必要もなく、故に着の身着のまま数日間外を出歩く事が可能です。ヴァンパイアであるが故に、暴力を以て近づく輩の脅しに屈する必要もない。政治家としてこれ以上の適材はないのではないかとすら思える」
「では吸血鬼被害対策法については?」
「吸対法? もちろんあれは世の為人の為に作った法律ですよ。ヴァンパイアに対する扱い、弱点、有事の際の支援機関からハンター協会の細かな運営規定に至るまで、記載は正確です。いまこの場に設置された対策本部も、詰めている自衛隊もSATも、すべて吸対法に基づくものです。わたくしは決してあなた方に取って、不利となる仕事はしていないと断言いたします」
「ではご自身の進退については如何ですか? 辞職の意思はありますか!?」
「とんでもない。辞職するつもりなどありません」
「ヴァンパイアに議員、まして大臣になる権利などないのでは?」
焚かれるフラッシュ。流石にこれには辟易する。
「それについては面白い説を耳にしました。我々ヴァンパイアが……あなた方と全く同じ、人間だと言うのです」
水を打つ会見の場。しかしすぐに騒ぎとなった。一部のアナウンサーなど自局のカメラに向き直り、「ヴァンパイアが人間とはいったい!?」などとまくし立てている。
沢口が「何を言い出すんだ」って顔をしてる。彼はわたしに指示していたからね。潔く辞職し投降する旨を伝えろ、その上で仲間達に「この場に来い」と言えってね。わたしが画面に大写しになっている姿を見て、各地のヴァンパイアはどう思うか。助けなければと思い焦るだろうか。否だ。捕まった個体に用はない。次の伯爵は誰にしようなどと考えるだけだ。だが「命令」となると話は違う。ヴァンパイアに取って「上」の存在は絶対。その命令には本能的に逆らえない。
だから「命じろ」と言ったのさ。そうすれば少なくとも浅香の命は保障するってね。馬鹿だね。このわたしが――同族の命を預かる伯爵ともあろうものが、女一人の命を優先するハズがないじゃないか。
「大臣! その説に根拠はあるのですか!?」
「無論あります。一度噛まれた人間がワクチンにより治癒した事例を3例耳にしています」
「ワクチン!? ヴァンパイアは何らかの病原体による感染症だという事ですか!?」
「その通り。ヴァンパイアは狂犬病と良く似たウイルスによる伝染病であり、我々は伝染病に侵された患者、つまりは人間です」
「それは証明できますか!?」
「今この場では出来ませんが、じきわたくしの秘書が証拠を持参するでしょう」
いちいち大げさに反応する記者達。沢口が凄い顔してこっち見てるよ。悪かったね、君の言うとおりにしなくてさ。
『菅さん……これ以上余計な事を言ったら……解ってますよね?』
耳打ちしつつ、チラリと彼が昇降口に視線を送る。微かな悲鳴と、空を裂く発砲音。記者達に見える位置ではない、サイレンサー付きの銃声は彼らには聞こえない。
『今彼女の腕を撃ち抜いた。次は足だ』
眼の奥が熱い。焼けつくような手枷。だがまだだ。今はまだ「その時」じゃない。
『命じて下さい。ヴァンプ達にここに来いと』
『沢口、君は大きな勘違いをしてるよ』
『……え?』
『彼女は確かに大事な人だ。心底そう思っているからこそ、血も吸わなかった。けどね? わたしは「伯爵」なんだよ。同胞たちを導き、守る義務がある。彼女の命など天秤にかけるにすら値しないんだ』
ギリっと歯噛みする音が耳に入る。そりゃあ悔しいだろうね。
『どうする? この場でわたしを殺すかい? モニターを通して大勢の目が向くこの場で、世にも無惨な残酷ショーを、子供達に見せるのかい?』
『……ピンチなのは貴方の方だ。自由も利かず、たった一人で何が出来る!?』
『出来るさ。わたしなりの戦い方でね』
さらに一歩、前に出る。大きく息を吸い、静かに吐く。
「先ほど、我々は人間であると申し上げましたが、人間に取って我々が脅威である事には違いありません。そこで提案があります。わたしはヴァンパイアと人間が手と手を取り合い、豊かな社会を構築する共同体と成り得ると考えています。この国は法治国家です。ですからその為の第一歩、施行済みの吸対法を廃棄とし、新たなる法案を提出したい」
遠くの歩行者信号が鳴り止んだ。陽が沈むまで……あと少し。