ACT80 柏木の本性【菅 公隆】
午後3時30分。
若干の日の翳り。今日の日の入りは4時20分だったか。つまりヴァンパイアの行動開始時刻まであと1時間弱。
沢口はなにしてる? そろそろ来ないと日が暮れるよ?
「あの沢口って人、あたし達をどうする気かしら」
外の様子を目で追っていた先生も、それが気になったんだね。
「朝香が人間である限り手出しはしないよ。ここに来るとこ、マスコミに見られたんだろ?」
「菅さんの事は?」
「……わたし?」
「そう、あなた」
朝香のその眼は、このわたしを心配する眼なんだろうか。それとも一患者として?
「ヴァンパイアの長を生かしておく理由などない。でもすぐには殺さないな」
「どうして?」
「一閣僚を秘密裏に始末なんか出来ないってのがひとつ。もうひとつは囮」
「おとり? 田中さん達が助けに来るってこと?」
「それを狙ってるから戦闘員を配置したんだろ」
「どうやって? テレビに貴方を出すとか?」
「法廷の場にわたしを引きだす気かもしれない」
「ちゃんとした審理をやってもらえるってこと?」
「正式な手順を踏まない只の茶番さ。各地のヴァンパイアを呼びだす為のね」
「みんな来るかしら」
「来ないよ。ヴァンパイアは基本、助け合いなどしないんだ。しかもヤラれると解ってむざむざと出向くものか」
笑って言ったわたしの顔を、彼女は笑わずに見ている。
「ひどいわね」
「我々はそういう生き物なのさ。自己犠牲の心得なんて持ち合わせて居ない」
「違うわ、沢口のこと言ってるの」
「沢口が?」
「あなたは元同僚なんでしょ? それを不意打ちでこんな真似して、まして計画に利用するなんて」
「それが奴の仕事だ。人権の無い我等にどういう言う権利もない」
「人権ならあって然るべきだわ。ヴァンパイアは歴とした人間なんだもの!」
「ヴァンパイアは単なる感染症……ね。まさかそんな考え方があるなんてなあ」
心配を絵にかいた顔して駆け寄って来た彼女が、そっと手を伸ばして頬に触れる。踵を上げて背伸びして、首に回した手を引き寄せて、この唇に軽く自分の唇を触れ合わせ……どうしたんだろう。もう一度抱かれたくなったんだろうか。
「死ぬつもりでしょ?」
潤む眼でこちらを見上げ、震える声で呟く彼女。
「せっかく会えたのに、この人だって、捜し求めてた人にやっと会えたって思ったのに」
胸に頬を押し付け、言葉を詰まらせ嗚咽を漏らす。変だよね。わたし達は今日初めて会ったんだよ? さっきのは雰囲気や勢いの至りかもだけど、「探し求めてた」とか「やっと」とか、少し大げさすぎない?
「まだ解らないさ。勝ち目がないわけじゃない」
「どんな?」
「君がヒントをくれたからね。ヴァンパイアは人間だっていう」
「役に立つ?」
「うん。お陰様で活路が見えたよ」
パッと顔を輝かせ、くるりと後ろを向いた彼女が、何やらモジモジと両手の指を組み合わせている。
「じゃあ……じゃあね? もしこの事件が片付いて……そのとき貴方とあたしが生きていたら、一緒に暮らさない?」
「それは……プロポーズ?」
「どう?」
「こちらこそ、是非にもお願いしたいね」
「ほんとに!? やった!!」
手を叩き跳ねまわり、うきうきと悦びを露わにする朝香。
「初めて会ったあの時ね? 眼があったあの時……実は……何かこうピースが嵌った感じがしたのよね!」
「君が柏木を誘惑したあの日?」
「そうよ! 貴方が彼の腕をバッサリやっちゃったあの日!」
驚いた。眼が合ったあの時、わたしも感じてたからさ。互いの何かがカチリと嵌め込まれる感覚。動き出した歯車。それを……彼女も?
「念のため言っとくけど、もうあんな事しないでね」
「あんな事って?」
「柏木を誘うとか、そういう事さ。これでも総理就任を狙ってるんだ。スキャンダルはご法度だよ」
「菅さんがそばに居てくれれば大丈夫! でも代わりに約束してくれる?」
「何をだい?」
「もう柏木さんを虐めないって。いくらヴァンパイアでも、あれはあんまりよ」
彼女が何故そんな事を頼むのか解らない。
「柏木が好きなのかい?」
「……え!!!?」
思わず耳を塞いだよ。あんまり大きな声出すからさ。勘弁してよ、わたしは君たちと違って耳がいいんだよ?
「そんなに動揺するって事は……やっぱり?」
「ち! ちがうわ!」
「違う? じゃあ何とも思ってない?」
今度は「え!?」の形にした口元をサッと両手で隠す朝香。2歩、3歩と後退って……背中に触れた窓際の白いカーテンの後ろにサッと隠れた。そのままクルクルとカーテンを身体で巻き取って、中身の透けた簀巻き状態になってしまった。
なにさ、そんなに言いにくい事?
「それはまあ……好きか嫌いかって言われたら好きの方に天秤が傾くけど……」
「へぇー?」
「でも違うの! 柏木さんは色々と完璧で素敵で理想的過ぎる男性って言うか」
「つまり何が言いたいのさ」
「つ、つまり! 屏風にかいた虎みたいに、見て楽しむうちが幸せ、みたいな?」
「ああ、なるほどね」
納得したよ、そういう事か。
「……あの、今ので何か納得したの?」
「したよ。人は見かけによらないって事だろ?」
そしたら彼女、カーテンからひょっこり顔を出してカラカラ笑うのさ。
「それってむしろ菅さんの事よね!」
「……は?」
「でしょ? 見た目は優しげな王子様なのに、怒ると怖さ全開で! 部下の腕も容赦なくスパスパ切っちゃう冷酷無比の伯爵様! おまけに絶倫!」
「ぜ……」
思わず虚空に視点を定めたまま黙り込んじゃったよ。そんな風に評価された事なんか無かったからね。
そおっとカーテンから抜け出した朝香が恐る恐る近づいてきて、上目遣いにわたしを見てさ。「怒った?」なんて言うからさ。その顔をわし! っと両手で挟み込んでやったのさ。もちろん怒ったからじゃない。
「気に入ったよ、流石は田中さんの娘さんだ」
本日何度目のキスだろう。少し強引だったかな。彼女、一瞬だけ驚いた眼をして、でもすぐに眼を閉じてクタリと床に座り込んでしまった。
「どうして怒らないの?」
「怒るも何も。図星じゃないか。極めて的確な評価だよ。おべっか使いの秘書や官僚どもとは偉い違いさ。っていうか、いちいちその程度で怒ってたら政治家なんてやってられないよ!」
「ふ~ん……?」
何故か顔を真っ赤にした朝香が人差し指をこっちに向ける。指先が胸板にトン、と触れる。また朝香先生の触診が始まった? それとも――
「なに?」
「もう一度……その身体を……確かめたいかなって」
「なんだよ、君の方こそ絶倫じゃないか」
留めたばかりのブラウスのボタンを、またひとつ外していく。今のキスで彼女のトリガーを引いてしまったのかも知れない。責任は取るべきだよね?
「で?」
「え?」
「さっきの話の続きだよ、柏木の何処が見かけによらないって?」
「あ……あたし、そんな事……言ってな……い……」
「なんだよ、『眺めるうちが花』みたいな言い方したじゃないか」
「そんな……っていうか、あたし、柏木さんの実態とか……知ら……ない……し……」
息を切らしながらも懸命に答えようとする彼女は可愛いね。
「知らない? じゃあわたしから言ってやるよ。奴の本性をね」
聞こえているのか居ないのか、眼を閉じたまま、唇を噛んだままの彼女の耳に口元を近づける。
「柏木は……変態だよ。しかも超の付くド変態さ」
「……え!?」
あはは! 流石に眼を開けたね!
「変態って、あの柏木さんが?」
「そうさ! あいつが獲物を屠る現場を是非見せてやりたいね! 男だろうが女だろうがホント酷いものさ!」
「見た事あるの?」
「そりゃあね。地下室に何度か食料を運んだことがあるからね」
「でもそれって仕方ないわよね? ヴァンパイアはみんなそうなんでしょ?」
「……かもね。でも程度ってものがあるさ。元々素質があったとしか思えないね」
いまここで詳細を生々しく説明するのも憚られるから、サラッと流すけどさ。
「でも柏木さんを変えたのは菅さんなんでしょ?」
「まあね。すべては自分の蒔いた種だ。だから今夜こそけじめをつける。いや、つけてもらう」
「もらうって……誰に? 何を?」
「勿論柏木にだよ。だいたい本人が死を望んでるんだ」
「そう言えば言ってたわ。行く先は永劫の闇だって。桜子さんの時も……死んでやっと救われる、みたいなこと――」
手をついて、ゆっくりと身体を起こした彼女の、その背景がぼんやりと揺らいでいる。強い意思を秘めた眼。しかしうっすらとほほ笑む口元。いつか見たマリア像に似ている。
「でも納得できない。滅びとは違う……別の道がきっとある」
「朝香?」
「その道をあたしが見つけるわ! ハムくんには生きていて欲しいもの!」
強い意思。神々しいとも言えるその眼の光。彼女はやはり――
ん?
「待った。ハムくんってわたしの事?」
「そうよ。菅さんじゃそろそろ他人行儀かなって」
「でも何故ハム? まるでボンレス……」
「ううん! 公隆の公を縦読みしてハム! キミタカだと噛んじゃうから!」
「でもちょっとそれって」
「そうね! 食べるハムよりは……ハムスター? そうそう! ハムスター! そう言えば似てるし?」
「ハムスターって、このわたしが!?」
君って人は、やっぱり田中さんの娘だよ!