ACT73 やっと来たね?【菅 公隆】
刻一刻と過ぎる時間。椅子の背に身体を預けたまま、心臓を焼かれるような発作の苦痛にひたすら耐える。無言で銃を構えている隊員達。耳に入るのは彼らの息遣いと規則正しい秒針の音だけ。時間は午前10時。こんな状態で一時間も放置プレイなんて酷過ぎる。
なんて思ったとたんにドアが開いた。沢口だ。続いて入って来たのは隊員数名と副大臣だけ。あれ? 先生は?
「どうですか? 御気分の方は」
ゆっくりとカーペットを踏みしめながら近づく沢口達。気分なんていいはずがない。だいたいさ、人にこんな手枷つけといて良くそんな質問出来るよね? まあね。軽口で返してもいいとこだけどね。正直、そんな余裕なんかないって言うか。
「たった今、閣僚の方々と話をしてきましたよ。今の貴方に職を全うする資格などない事を」
「ふーん?」
上目遣いに彼を睨みつけてやった。まるで勝ち誇ったような沢口の顔があんまり胸糞悪かったからさ。
視界が黄金に染まる。今彼らには、この金の眼が見えている。
息を呑む音。ハッとした顔して足を止める男達。
「総理は何て?」
気分も体調も最悪だったけど、努めて軽い口調で聞いてみた。聞かずには居られなかった。今現在、総理は二木俊太郎が務めている。首相だった父の補佐役で、わたしも幼い頃から顔見知りだった人物だ。
彼、この嗜好症のことも知った上で色々と世話してくれてさ(こっそりPC貸してくれたり?)、大臣就任に漕ぎ付けられたのもほとんどこの人のお蔭でさ。口調とか下町っぽくてそれでいて人格者って言うか。このわたしが気を許すただ1人の政界人さ。そんな人が簡単にその話を信じるかなあ、なんてちょっと疑問に思ってさ。
沢口は口を開きかけて、でもぎゅっとその口を結んでしまった。……だね。不用意な発言は手の内を知らせる危険がある。わたしでもそうする。
そしてもし私が沢口の立場なら、緊急対策本部を立ち上げるよう総理を説得してる。警察と自衛隊にいつでも出動出来るよう要請し、その上で……拘束したヴァンパイアの長を最大限に利用する。沢口はずっと私について補佐をしていた男だ。考えは同じはず。
誰かがドアを叩く音。ギイっと開けたドアの隙間から客を見た沢口が、なんとも形容しがたい顔してこっちを見た。誰だろう、もしかして、今度こそ?
「このメールで本当に来るとはね」
呟きながら、さっき私から取り上げたスマホの画面に目を落とす沢口。なんて文面で送ったんだか。その沢口を押しのけるようにして入って来たのは待望の朝香女史。
「伯爵……菅伯爵は何処なの?」
「伯爵? ああ、菅もと厚労大臣ならあそこですよ」
沢口がまっすぐにこっちを指差した。男達がササッとわたしから離れ、先生の黒い眼と眼が合った。眼を丸くして口に手を当てた彼女。その彼女が何て言ったと思う? 口をパクパクさせて、椅子に腰掛けたままのわたしの頭から足の先まで眺めて回しながらこう言ったんだ。
「あはっ! 伯爵ったら、ずいぶんいい格好じゃない!」
ガクッと力が抜けたよ。
どんな時でも彼女は彼女だ。まるでおろしたての白衣はパリッと糊が効いてて、ビシッとした往診鞄にショッキングピンク色の聴診器、ミニスカートから覗く素足はほんと、最高に形が良くて。
キリッと沢口を見返す眼はラメが入ったみたいにキラキラで(この部屋のレトロな照明のせいもあるけど)、そんな先生が艶々でサラッサラの黒髪をパサってやった時の男連中の顔、みんなにも見せてやりたいよ、ほんと!
「発作がおさまったら知らせて下さい」
「発作?」
「主治医ならご存知でしょう。我々は外しますから御随意に」
「え……ああ、そうね。解ったわ」
随分と神妙な顔つきで頷く先生。沢口がまたまた取り巻きを引きつれて部屋を出る。残ったのは私と先生だけ。ま、ドア口で窺ってるんだろうけど。
「やあ先生」
わたしは背もたれに寄りかかったまま、視線だけで先生を見上げた。
エラそう? 仕方ないじゃない。吐き気と頭痛は変わらずで、ほんと言うと息するのがやっとなくらいだったんだ。
「ちょっと、大丈夫?」
さっきまで余裕の体だった先生の顔つきが変わった。その表情にドキリとしたわたしは思わず眼を逸らした。
らしくないって? それも仕方ないよ。この後……この人が田中さんの娘だってことを嫌ってほど思い知ることになるのさ。