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ヴァンパイアを殲滅せよ  作者: 金糸雀
第2章 伯爵編
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ACT67 柏木の裏切り【菅 公隆】

「根拠……ですか」


 独り言のように呟いた沢口が、しばしその眼を泳がせる。壁の時計は8時55分をさしている。


「いいでしょう。実はあなたが『それ』と知らせてくれた者が」

「沢口さんっ!?」


 後ろにいた副大臣の1人が咎めるが、沢口は横に首を振る。


「いいじゃないか。この人を納得させるには手持ちのカードを見せる必要がある」

「カード? まるで切り札でも持ってる口ぶりだけど?」

「えぇ、まさにその通り。つい3日前の晩ですよ、彼が我々の元に出頭したのは」

「彼? 3日前?」 


 3日前といえば麻生結弦のリサイタルが行われた日。

 その日わたしは総理官邸の一室で、柏木の報告を待っていた。リサイタル会場での出来事を逐一総理に報告するためだ。そうだよ。あの夜、官邸には吸対法に基づいた「吸血鬼被害緊急対策本部」が設置されてたんだ。

 ちなみに本部長は内閣総理大臣、メンバーは元帥以下、防衛省、内務省、厚労省から各1名の副大臣。たった5人の対策本部(つまりは沢口も居た訳だ)。対策本部を設置するよう総理に進言したのは何を隠そうこのわたし。自分の首絞めてるって……そんな事言わないでよ。何事にも全力であたるってのが信条モットーなんだよ。


 たしかあの時……

「水原桜子は死亡。ハンターの大多数が負傷。人間の死者は無し」なんて報告を最後に柏木からの連絡が絶えて、わたしは即刻総理に事態の収束を告げ……30分前に立ちあげたばかりの対策本部を撤収して……そして……その後……どうしたっけ?

 そうそう! 忘れ物した事に気が付いて、急いで官邸を出たんだ。路面が濡れてて、転ばないように気を付けながら走ってたその時、急ブレーキの音がキュー!! っと鳴って、横に黒塗りのワゴンが止まってさ。運転席から降りたのは和服に草履履きの田中さん。


「如何なされました、伯爵様」

「いやさ、図書館にPC置き忘れてさ、早く行かないと閉館しちゃう――」

「その手の遺失物は職員が適切に保管、或いは持ち主が判明した時点で連絡を寄越すのでは?」

「いやさ、あれの裏に備品シール貼ってあるからさ、総理に借りてたのバレたら都合悪いって言うか」

「そんな事より伯爵様。今しがたの戦闘に介入し、如月らに顔が割れました」

「は? 割れたって、誰の顔が?」

「わたくしのです」

「えぇ!? じゃあ田中さん、柏木に協力したってこと!?」

「はははは! 如月にも指摘されましたな、誇り高きヴァンパイアが協力など有り得ぬと!」

「……笑ってる場合かな。急いでコトを進めないと! 柏木は?」

「解りません。水原桜子の屋敷に麻生と娘を運んだ所までは一緒でしたが」


 なんて会話がわたしと田中さんとの間で交わされたんだ。

 解ってる。良~く解ってるよ! 柏木は命令は完璧にこなすけど、でもその心は別にあるってね!

 今でも彼はハンター協会の人間さ。あの地下室でハンターの、特に麻生と如月の育成に心血を注いでた事も知ってるよ。ヴァンパイアの撲滅を本気で願ってることも。田中さんもそれを察してて、柏木をさっさと処分しろって急かしてたけど……わたしもいまいち気が乗らなくてさ。ほら……なんて言うか……はっきりとした名目もないし?

 まあ後悔しても遅いか。沢口の言う「出頭した彼」ってのは十中八九――


「……うちの局長?」

「そのとおり、柏木局長です。初めは何の冗談かと思いました」

「対策本部を撤収した後で?」

「えぇ。私は持ち出した備品に不備が無いか確認していたんです。そしたらいつの間にかその場に柏木局長が立っていました。ぎょっとしましたよ、よほど思いつめた顔をして。しかも自らの手首に手錠を嵌めてたんですから」

「手錠? もしかしてヴァンパイア用の銀手錠?」

「えぇ、経緯いきさつはすべて聞きました。貴方の正体も、貴方が彼に何をしたのかも」

「で? それを信じたって?」

「信じるも何も。ちょうど貴方を追って外に出た職員が慌てて戻って来ましてね。図書館前で貴方と田中氏との会話を耳にしたと言うんです。愕然としましたよ、あまりのタイミングの良さに」


 思わず天井を仰いだよ。両手を枕にしたままの恰好でね。わたしも焼きが回ったっなあって。

 なんだよ、じゃあとっくに総理も閣僚達も知ってたんだ。この3日間、せっせと事を運んでたのはわたしだけじゃなかったんだ。


「柏木にはすっかり騙されたよ。出頭したならしたで大人しく囲われてりゃいいのにさ」

「本人はそのつもりだったようです。ですが私が提案しました。貴方が疑いを持たないように」

「その為にあの虎をわざわざ放したって? へぇ! 大した度胸だね!」


 そんな事を言ったらさ、ぐっと唇を噛みしめた沢口が突然声を荒げたんだ。


「彼は誓ったんですよ! 決して人間ひとを裏切らないと! だから信じた! 本当を言えば貴方の事だって信じたかったんだ! ずっと……人道的で……潔癖な人だと……」


 言葉を詰まらせた沢口の眼が血走っている。青ざめた額と、首筋に浮かぶ青い血筋。それを見たこの喉がゴクリと音を立てたものだから、わたしは慌てて眼を逸らした。


「……嬉しいよ。こんなわたしの事を、そんな風に思う人が居たなんてね」


 わたしの眼を睨んだまま動かない沢口の……胸のあたりから聴こえる鼓動。全身にその血液を送り出す、心の臓が収縮を繰り返すその音がやたらと耳に纏わりつく。それに答えるように高鳴る鼓動。……落ち付け。気を静めるんだ。


「確かにわたしはヴァンパイアさ。だが……信じて欲しい。わたしは人類の敵じゃない」


 ピクリと沢口の眉間に皺が寄る。


「……この後に及んで命乞いですか?」

「違う。今ここで闘えば、間違いなく人が死ぬ。違うんだ。わたしはあくまで平和的な解決を望んでいるんだ」

「我々に取っての解決は、あなたを含めたヴァンパイアすべてを駆除することだ」

「無理だね。仮にもわたしは伯爵と呼ばれる男だよ? 銃など役に立つものか」

「なら試しますか?」

「よせ。ここに居る人間すべてが死ぬことになる」


 カチリッ!


 向かい壁の時計が9時ちょうどを打った。同時に、室内に鳴り響く音楽。誰かがスマホにタイマーでもセットしていたのか。

 思わず耳を澄ませた。これは……ピアノの音?


 呼び覚まされる遠い日の光景。倒れた男の呻き声、見守る群衆の息遣い。

 そうだよ、鳴り響いた旋律は月光の第3楽章だったんだ!


 突然の発作。

 心臓を握りつぶされる衝撃。

 声も出せずにうずくまる。

咄嗟に自分の懐をまさぐった。発作を鎮める音楽を聴くためのイヤホンを取り出すために。だが何者かがその腕を掴み、捩り上げた。肩と肘の関節が嫌な音を立て、わたしはいとも容易く組み伏せられた。いや、抵抗しようと思えば出来た。ただ「平和的な解決」の手段を諦めたくは無かったんだ。

手首のあたりでガチャリという音。同時に全身を襲う、猛烈な倦怠感と虚脱感。対ヴァンパイア用の拘束具。純銀をあしらった特注の手錠。

 ……なんて事だ。わたし自身が設計し、発注した最新器具の効果を、自らが味わう事になるなんて。

ひどい頭痛と吐き気。遠くから聴こえるあの旋律が、徐々に大きくなっていく。

 ……駄目だ。何かを……言わねば……今すぐ口にしなければ。


「……だ……」

「……何ですって?」

「閣議が……始まる時間……だ……」

「御心配なく。出入りしていた議員も報道もすべてフェイク。総理も閣僚も今頃官邸ですよ」


 視界が逆転する。誰かがこの身体を持ちあげたのか。キリキリとキャスターを動かす音が近づき、背や腰が柔らかな何かにぶつかる。


「しばらくの間、そこに座っててください」

「しばらく? 監禁でもする気かい?」

「そのつもりです」

「殺さないの?」

「えぇ。今はまだ」

「どういうつもりなのさ」

「その質問にはお答えできません」


 部屋の空気は相変わらず、鉄とオイルと男達の体臭で満ちている。

 あんまりだ。こんな酷い匂いと殺意の中にしばらく居ろと?


「我々は一時撤収します。見張りを数名残します」

「待ってよ。女の子の一人くらい寄越してもいいんじゃない?」

「こんな時によくそんな冗談が言えますね?」

「冗談なんかじゃない。発作を抑える為のニトログリセリンが切れてしまってね」


 むろん、出まかせだ。ニトロなどで抑えられる発作ではない。


「……はあ。つまり誰かに薬を持って来させろと?」

「医者だよ。わたしの主治医を呼んでほしい」

「一応聞いておきますが、それは何処のどなたです?」

「佐井医師だよ。君も良く知る人物だ。協会が一番にマークしてたからね」

「ああ、あのVPの女ですね。柏木局長によれば、田中氏の娘だとか」

「でも彼女自身はごく普通の人間だ。どう? 計画に支障でもきたすかい?」


 誰も口をきかない。時計の秒針だけが、いつもの時を刻んでいる。諦めたようにため息をついたのは沢口だろうか。


「……いいでしょう。ですが妙な真似をしたらその時は――」

「解ってる。彼女だって相応の覚悟は出来てるはずさ」

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