ACT64 最悪の見合い【菅 公隆】
佐井浅香は才媛だった。中学、高校は学年主席。特に理系科目は全国模試でもトップクラス。医学部でも成績は上々の上、その容姿の淡麗さと熱のこもったスピーチでミス帝大の座を勝ち取ってる。とまあこれだけ聞けば、合格ラインだ。流石は田中社主の推薦だ、娘だってね。
しかしだ。問題はその男関係。学生時代も、社会に出てからも。要するに惚れっぽいんだろう。別れてはまた次、の繰り返し。貞操観念というものが端から無いのかも知れないが、まあ別にその事をとやかく言うつもりもないが……本当に危惧すべき問題は彼女がヴァンパイア志願者だという事だったんだ。VPの会員で、多額の寄付をしているのはその為だと。
これはNGだ。もし彼女がわたしの妻となる女性であれば、ヴァンパイアになどなってはいけない。わたしは至上最年少の総理の座を狙う男だよ? ファーストレディが昼間人前に出られない、なんて許されないじゃないか。
だから新宿周辺のヴァンパイア達に触れを出したのさ。彼女には手を出すなと。
それをよりによって佐伯の奴が……
いやいや、たまたまとか、未遂だとかそんなの駄目だよ。わたし達はいざって時に自制が効かなくなる種族なんだ。うっかりその気になってガブリとやってからじゃ遅いんだよ。
だからわたしは手を打った。柏木に命じて佐伯を消すよう命じたんだ。
柏木は実にうまくやってくれた。ついでに彼女を桜子の屋敷に「主治医」って名目で匿うことにも成功した。
けどよりによってその夜、麻生結弦のリサイタルにくっ付いて行くなんて思わなかった。桜子の件は前々から柏木に任せてた。元々桜子をわたしの元に連れてきたのは柏木だしね。だからさ、なんで佐井浅香を連れてったりしたのかって。そこが戦場になるの知った上でさ。
柏木に報告受けながらほんと、気が気じゃなかったよ。案の定、舞台の上で大立ち回りなんかやらかして、ハンター達に囲まれたって聞いて肝をつぶしたよ。結局無事だったら良かったけど、ほんと、田中さんが居なきゃどうなってたか。
桜子の屋敷に彼女を保護したって聞いた時、やっと胸を撫で下ろしたんだ。ようやくこっちのペースで事が運べるってね。彼女が起きたら約束通り会いに行こうってね。そしたら何さ、今度は眠ったまま起きないのさ。しかも2日、3日なんて、いくら何でも異常だろ?
そこで急遽時間を作った。午前6時から8時まで。早めにVPでの仕事済ませてさ、この足で移動したんだ。ビルの屋上から屋上へ飛び移ってね。その方が早いだろ?
出迎えに来た田中さんと合流して、いざ玄関の扉を開けるなり悲鳴が聞こえた。まさかと思い急ぎそのドアを開けたら案の定、あの柏木がいまにも彼女の喉に喰らい付こうとしてるじゃないか。
血がのぼったよ! 当たり前さ!
柏木は知ってたんだよ? わたしの許嫁だってことも、大事な仕事(ゲノム関係の)を頼む事も。しかも柏木は殺す気だった。彼は同胞を作る目的で血を吸ったりなんかしないからね!
問答無用さ! 覚醒時に発現したこの右手の刃を肩口目掛けて振り下ろしてやったんだ! 吹っ飛んだ腕と血飛沫、胸がスッとしたね!
そしたらさ、柏木を庇うんだよ! 助けられた筈の彼女がさ! 必死な声で、自分が誘ったなんて言ってね。……なにそれ? じゃあなに? このわたしが許嫁である事を知った上で、柏木を誘った?
ただの「怒り」が「嫉妬」に転じたのはこの時さ。柏木と彼女、どちらにもね。不義密通された気分だったよ。そうだ。実に面白くない。だから威嚇の意味も込めて軽く眼力を飛ばしてやったのさ。2度と逆らえないようにね。普通なら秒で卒倒するこれを彼女は受け止めた。いや……受け入れた?
歯車がガチリと嵌る、そんな音がした。ゆっくりと回り出す。歯車が、時計の針が。彼女はまだ見つめてる。この眼の奥の……そのまた奥のわたしに……わたし達に気付いた?
卒倒しかけた彼女を、田中さんが支えたから、こっちも眼を逸らしたよ。会ったばかりで本当のわたしを知るには早すぎる。
ついでに確信したね。彼女の方こそ上手だったんだ。魅入られたのは柏木の方だったのさ。だからもうひと押しだ。その身体に覚えてもらうしか無い。そう思って柏木に脅しをかけたらさ、田中さんが「もう十分」だってさ。齢500の元伯爵の迫力でさ。いつもそうだ。いつもこうやって押し負けるんだ。わたしもまだまだ若造さ。……まあいい。縁談がご破算になったら元も子もない。
そんなこんなであっと言うまにタイムオーバー。柏木があんな状態だから仕方なくキーを借りて飛び出したけど、またまた問題勃発だ。どこで嗅ぎつけたんだか、如月が日比谷麗子をつれて門前に立ってたのさ。
まずいよ。如月は私情を交えず行動できる、柏木自慢のハンターだ。彼があの状態の麻生を見つけてしまえば、手回しや苦労がぜんぶ水の泡になる。あの庭には吸血鬼化したネズミやコウモリも居るけど、でも如月が噛まれる隙を作るはずもない。
わたしはBMのハンドルを握りながら戻るなら今かと迷って、でも咄嗟に思いついたのさ。彼に憑依すればいいってね。憑依ってつまり、このわたしの分体(意識の一部)を飛ばして身体を乗っ取る作業だね。
ここだけの話、行使中はわたし自身無防備になる。本体であるこっちの方は、素早く動いたり手刀を使ったりする事が出来ないし、傷の治りも遅くなる。つまり、ただの人間同様になってしまうんだ。でもそれに賭けるしかなかった。
で、すれ違う瞬間を狙って分体を飛ばしたら、ちょうどこっちを見た日比谷麗子に当たってしまったのさ!
……
まあいいか。大勢に影響はないだろう。
閣議の始まる、30分前。つまり8時30分。
わたしは国会議事堂に駆け込んだ。今は国会会期中だから、閣議は官邸でなくこっちでやるわけ。
駆けこむなんて大げさだなあって思うかも知れないけど、文字通り駆けこんだんだ。普段自分で運転なんかしないから、議事堂近くの駐車スペース、チェックしてなくてさ。皇居の北側にやっと空いてるパーキング見つけて、そっから自力で走ったんだよ、全速で。3kmくらい。
恥ずかしかったよ。皇居の周りをジョグ(ジョギング)してる人達はさ、ああいうカッコしてるからいいんだよ。革靴と背広でするもんじゃないんだよ。しかもこの白スーツってば目立つだろ? ちょっと休憩、膝に手ぇ付いてハァハァしてるわたしを目撃した人間たちが、「え!? あれ、菅大臣じゃん!」なんて言って駆けよって来てさ。カメラのレンズ向けられたら笑顔で手ぇ振るしかない。政界のプリンスなんて持てはやされてるわたしが、渋っ面公開されるには行かないからさ。
大臣達や大勢の付き人に報道陣。彼らの波に乗りながら、議事堂のあの場所へと急ぐ。閣議室じゃない、数ある委員会室のひとつ、吸血鬼対策会議室だ。閣議前に打ち合わせをするのが我々ハンター協会上層部の日課だからね。上層部って言っても、各省の副大臣が自動的に元帥下に付くのが決まりでさ、そんな気負ったものじゃないけど。だから今日も、
「なにか問題ある?」
「いいえ、元帥の指示通り、問題なく運営されています」
的なぬるい打ち合わせで終わると思ってたのさ。それが今日に限ってだいぶ違ったんだ。
「遅れてごめん。今から――」
後ろ手でドアを閉めながら室内を見渡したわたしは絶句した。副大臣たちがまるでわたしを取り囲むように立っていて、その脇を黒服達が埋めていたからだ。その手にはもれなく黒い銃。その銃口がすべてわたしに向いていたんだ。
「失礼、元帥どの。我々一同、あなたを解任することで意見が一致したものですから」
進み出た副大臣が爽やかな笑顔を向けつつ言い切った。
咄嗟に日比谷麗子に飛ばしてた分体をすべて回収した。いま思えばこれが失敗だったのさ。