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ヴァンパイアを殲滅せよ  作者: 金糸雀
第2章 伯爵編
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ACT49 戒めと罰【柏木 宗一郎】

「何をしている」


 良く知った声だった。考える前に身体が動いた。今の今まで柔らかな肉体に触れていた両手はいまや、硬い床石を掴んでいた。じわりと膝や袖にしみ込んでゆくぬるい何か。そう言えば、湯をこぼしたままだった。荒々しい靴音が、己がが手前で静止する。パシャリと跳ねた湯水が頬を濡らす。


「何をしていると聞いている」


 硬直した身体。懸命に謝罪の言葉を絞り出そうとするも、喉奥が引き攣り声が出ない。


「この女性ひとには手を出すなと言っておいた筈だ!」


 閃く殺気。右斜め上から迫る冷たいやいば。八つ裂きにされると確信した。あの時(・・・)のように。忘れはしない。あの時の言葉、一字一句が鮮明によみがえる。


 ≪西太后って知ってるね? あの人もこんな風に手足を落とした。眼を抉り、耳を焼いた。有名な話さ!≫


「待って!」


 誰かが伯爵を止めている。この声は、佐井医師? 

 だが無駄だ。攻撃はすでに済んでいる。まだ痛みは無いが、じきにこの身を襲うだろう。横倒しのまま動けぬ身体。右肩先に覚えのある喪失感。なるほど、右腕を持って行かれたらしい。再度頭上にて一閃の気配。次は首か。足か。

 しかし待てども次なる一閃が届かない。視界が暗転、意識が薄らぐ。伯爵と佐井医師、そして他の誰かの争う声だけが耳に届く。これもまた覚えのある声。


「伯爵様。どうか仕置きはそこまでに」


 伯爵の相手は田中氏だった。

 田中与四郎。VP神戸支部の代表、かつて「西の伯爵」とも呼ばれた男。その齢は500を越す、今現在、最も老いたヴァンパイア。今の伯爵を見出したのも彼だとか。

 伯爵へのいさめは反目と取られてもおかしくない行為、なんと腹の据わった方だろう。しかも伯爵を「伯爵」などと。この方がその呼称を嫌うと知った上で、何故なにゆえにわざわざこんな時に?

 とうぜんいさかいは激しさを増した。

 双方なかなかに譲らず、争いめいた会話がしばらく続く。ついに激昂した伯爵がこのこの頭の毛をがしと掴み、手加減なく持ち上げた。たまらず左手で身体を支え、その動きに従った。

 耳元に感じる吐息。嗜虐に満ちた囁き。あの時もこの方は似た事を云われた。


 ≪痛いかい? 苦しいかい? それとも……もっとかい? ……駄目だよ。殺してくれなんて言っちゃいけない。君は実に有力な……幹部候補なんだからね≫


 あの時も震えた。脳が痺れ、手足を失った胴体がおののいた。鳴りもしない弔いの鐘が鳴り響き、私は人としての自分に別れを告げたのだ。

 あの時の自分はもう居ない。

 ここにあるのは只の下僕しもべ。生の恩恵をすべて絶った1体の人形ひとがた。皮を剥ぎ気が済むのならば好きになさるといい。

 いやむしろ生ぬるい。

 眼を抉れ。足を削げ。胸も腹も切り刻め!

 もう一度、あの時の絶望と苦しみを!

 いま一度、あの時の甘美なる悦楽を(・・・・・・・)



「狼藉も大概になされ!!!」


 突然の叫び。

 ハッとし、眼を見開く。

 悲鳴にも似た田中さんの叫びが、この私にそうさせた。

 カチリと針が鳴る。時刻は8時ジャスト。徐々にその高度を上げていた太陽が隣接のビルから顔を出した。僅かなカーテンのスリットを抜け、差しいれられる一条の光。焼けた鉄に水を一滴垂らすかの音と、続く田中氏の呻き声。彼の頬から紫煙が一筋立ち昇っている。だが怯まずにこちらに歩み寄った田中氏。着物の裾を捌き、濡れた床に片方の膝をつき、どっしりとした大きな手を伯爵のそれに重ね、郷里くにの言葉で呟いた。


「もう十分でっしゃろ」


 ひどく重い、その口調。もしや……田中さんは私ではなく、彼女を、佐井浅香を気にかけたのではなかろうか。彼女が好意を寄せているであろう私がその目に遭えば、心に深い傷を追うのではないか。そう考え、割って入ったのではなかろうか。先日、我々が魁人らに追い詰められた時のように。


 伯爵は気勢を削がれたようだ。話題を逸らし、例の課題について田中氏に問い、その答えに納得を得たのか伯爵が頷く。すぐさまに落ちていた腕をひょいと拾い、佐井浅香に向かってポイと投げた。まるでバスケットのボールでもパスするかの気軽な動作にて。5kg以上はあるだろう右腕が彼女の足上に落ち、ベットのスプリングをギシリと軋ませる。


「それ、あなたに預けます」

「え?」

「聞いてるでしょ? 柏木から」


 申し訳ありません。わたくし自身、迷う所も御座いまして。


「まあいいや。後で本人に聞いて下さい」


 承知いたしました。

 後々ご説明差し上げます。その腕を試料とし、ゲノム解析のために使うようにと。


 いつしか血は止まっていた。切り口は塞がらず、しかし滑らかな断面がぬるりと固まるのみ。いまだ新たな腕が生える兆しはない。

 忙しなく出立を告げる伯爵。その様子をポカンと口を開け眺めつつ、しかしふと視線を膝上の腕に落とした佐井医師。戸惑いつつも、恐れたり嫌がるような様子は無い。彼女は医師。千切れた手足など見慣れているに違いない。いや、それどころか切り口や指先を触り、握り、確認しつつニタニタと薄気味悪い笑みを浮かべている。

 ……そんなものを貰って嬉しいのか? 医者とはそういう人種だったか? やはり田中さんの娘か。朝方に見た奇異なる行動もかんがみるに凡庸では有り得ないと言うことか。


 廊下で騒ぐメイド達。キーをせがまれ、戸惑っている様子。しかし急かすのも当然。閣議まであと1時間弱しか。段取りを組みサポートに徹すべき私が不甲斐なく、申し訳ありません。


 庭の向こう、鉄の格子が音を立てている。その傍に立っている人の気配。

 2つ。男1人、女1人。

 この気配は知っている。結弦の居所を知り馳せ参じたか。

振り返った伯爵の眼がチラとこちらを確認する。貴方も気づかれましたか?


 えぇ、気兼ねは無用。わたくしがおります。ハンターの1人や2人、この私1人で十分かと。お気をつけて……行ってらっしゃいませ、我がマスター

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