ACT45 俺の女【如月 魁人】
あれから3日。奴らはナリ潜めたまんま、特に目立った動きはなし。
俺はいまだに書類関係任されてデスクにかじりつく毎日。書類入れに積まれたバインダーは、ちょい席外して帰ってくれば……増える一方。終わる気配がねぇ。
あー寝てぇ。風呂入りてぇ。
バタン! と出入り口のドアが開いた。ツカツカ響くヒール音が俺の前でカツンと止まる。
「魁人くん。1階で異臭騒音騒ぎが起きてるわ。何とかしてくれない?」
「へぃへぃ。この書類仕上げたら行きますよ」
「なに? まだ始末書なんかやってるの? 劇場の修理、賠償金支払いの手続きは? 会員の入院費見込みの一覧は?」
トンっと俺の机に右手を叩きつけた美人が、ぐっと俺のノートPCを覗き込む。
ほっそい腰に左手をギュッと押し付けて、前かがみになった襟元から深い胸の谷間がくっきり。……なんで胸のデカい女ってのはそういうの誇示したがるのかね?
ああ、紹介するぜ。彼女は日比谷麗子。防衛省から出向で来てる超がつくエリートだ。歳は俺より一回り上。が見ての通り、20代顔負けの若い見た目とナイス過ぎるプロポーション。位置的には司令の秘書で、滅多に口も訊かねぇでてきぱき司令の補佐すんのが印象的で、なんっつーか会員達の憧れのお姉様、だったはずなんだが。
司令代理でこの椅子に座った俺に対する対応は最悪。この調子で俺、ずっと彼女に責められっぱなし。
「っせーよ。んな一度にポンポンポンポン」
「何言ってるの。柏木局長ならこの程度、30分で済ませてるわ」
「俺を司令と一緒にしないでくれます? 俺、この手の書類見るのも聞くのも初めてで」
「自業自得よ。局長に全部任せてたツケが回って来たんだわ」
「俺、現場主義だし。PCもポンコツで処理遅いし」
「お黙りなさい。もとは防衛省の備品よ? ここで保管してる事にしてあるんだから。この僻地にね」
――僻地! 言ってくれるぜ!
いいか、ハンター協会はあんたんとこの下部組織じゃねぇ。国が認めた独立機関よ。そっちの予算やら備品やらを回してもらってんのはまあ……仕方ねぇ。寄付金だけじゃ成り立たねぇもん。つかあんたがやってよ。エリート様ならお得意でしょ?
なんて言ってやりたかったが止めといた。ぜってぇ倍にして返される。
俺ぁ残りのコーヒー飲みほしてから、開いていた参考書類とPCの画面をバタンと閉じた。
……司令はすげぇぜ。こんなうるさ型、手懐けてたんだもんなぁ。
「ちょっと、何処か行く気?」
「あんたの言った異臭騒ぎって奴を処理しに行くんだよ。文句ある?」
何か言いかけた彼女を無視し、そそくさと廊下に出たぜ。こりゃとっとと逃げるに限る。ちょうど東の空が真っ赤に染まる頃合いだ。イイねぇ、開け放した窓から入る、ヒンヤリした空気がたまんねぇ。
っとと……何だ?
10階の踊り場。そっから見える日の出前の空の下、都庁がドーンと突っ立ってる、そのてっぺんに誰か居んの。展望台じゃねぇぜ? ほんとの屋上の……普通は人なんて登れねぇヘリギリギリんとこにだ。あんなとこに普通の人間が居るわけがねぇ。
あ、この距離で見える訳ねぇって思った?
俺の視力、5.0。
サロベツって知ってるか? 日本では滅多に見れねェ地平線ってもんが見えるトコだ。想像してみろよ。360度草地と牧場に囲まれてんだぜ? 草地にゃマシュマロみてぇな牧草のロール。牧場には白黒の牛。西側見りゃあ富士も真っ青利尻富士。んな環境でガキん時から馬乗り回してたわけ。眼ぇ鍛えられて当然よ。
ほらほら。よ~く見えるぜ? 白の上下にメッシュの黒髪。癪に障るくれぇの整った顔。テレビでもお馴染みの厚生労働大臣、菅公隆。
やっぱそうなのか? 奴が……伯爵?
いやいや、実は聞いてたのよ。あのリサイタルのごたごたがあった後、とりあえずって事務所に帰ったら沢口って奴が居てよ? 協会の副元帥サマが何の用かと聞けば、伯爵の身元が知れた、なんて言いやがる。何でも俺が来る少し前に司令が出頭してきて解ったらしい。それはそれで驚きだが、伯爵の正体が現役の大臣だっつーからオッタマげちまった。
……あ? こっから狙い撃てばいいって? あそこまで1.5kmはあんのよ? ゴルゴでも無理だろ……っておい! 瞬きしたらもう居ねぇし!
手すりに手をかけ、そこを支点に身を躍らせる。螺旋の階段ならもっとアクロバットな降り方出来るんだが。
降りた1階はやけに賑やかだ。ワイワイくっちゃべるハンターどもでごった返してら。
「なに騒いでやがる。また俺の女が何かやらかしたか?」
「そりゃもう大変っすよ! 魁人さんが3日も待たせるから……」
「そうそう! 魁人さんもちゃんと躾けて下さいよ! 用は決まった場所で足してくれ! って!」
「んなこと言われても」
「魁人さん! せめて日に3度は来て下さいよ! 俺達じゃ手に負えねぇっす」
俺はテーブルやソファが並ぶエントランスをつっ切った。
高いボードで囲まれた空間にそれは居た。
それこそがあれ。日比谷麗子が言ってた異臭騒音騒ぎのもと。
ブルルル!
女が鼻を鳴らしてこっちを見た。飼い葉と水桶をバシバシ踏み散らし、首を振る俺の女。名前は月姫。白い鬣と白い尻尾が自慢の俺の女。俺の通勤手段、馬なのよ。