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ヴァンパイアを殲滅せよ  作者: 金糸雀
第1章 幹部編
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ACT39 桜子さんが消えちゃった【佐井 朝香】

 あたし、「わーーー!!」って叫びたい気持ちを必死でこらえてた。だって、さっきまで桜子さんが座ってたはずの椅子が、空っぽなんだもの。曲が終わった瞬間に、まるで蝋燭の火みたいに消えちゃったんだもの。

 割れんばかりの拍手の音。右や左の客に向け、丁寧にお辞儀をしている麻生。彼の隣には空っぽの椅子。

 ……信じられない。ほんとにあなたはこの世から消えて無くなっちゃったの?

 我侭で冷たくて素っ気なくて、服のセンスとかお嬢様過ぎて取っつき難かったけど、でも浅はかでそそっかしいあたしの事、「ま、いいわ」で許してくれて。短気なようで心が広い、勝気なようで可愛い。そんな桜子さんのこと、あたし……


 いきなり麻生が歌いだした。しかも堂々としたイタリア語のテノールで。あたし、びっくりして桜子さんの事を一瞬忘れた。

 だってそうでしょ? リサイタルで歌い出すピアニストが何処に居るかってのよ! さらに、さらによ? それ聴いた客の反応がすごかったの! 何十人もの人が立ちあがって、麻生に合わせて歌い出したのよ! クラシックの、ピアノのリサイタルでよ!?

 客の方は、イタリア語に混じって日本語もちらほら。「君こそ……我がいのち……」なんて言葉が聞き取れて、そのフレーズで歌が止む。麻生がにっこり笑って椅子に腰かける。


すご。常連同士の阿吽の呼吸? 仕込みにしてもいい演出じゃない? 

麻生が左右の手を鍵盤に乗せ、目を閉じる。


 ってちょっと、また弾くつもり? また激しい曲なんでしょ? リストってそうなんでしょ?


『ドクターストップよ二股君! ほんとのほんとに再起不能になっちゃうわ!』


 あたしは一生懸命、手と口を動かした。あたしはドクター。患者の無茶を黙って見てなんかいられない。

 麻生はチラッとあたしを見て、フッと笑って。だめだったら! どうしてこの渾身のブロックサインを解ってくれないの!?


 でも彼もプロね。無茶はしなかった。優しく鍵盤をなでる右に合わせて、左は低い音をポーンと押すだけ。

 もともとそういう曲なのかしら? それとも右手で左手の分まで弾いてるのかしら?

 曲自体は……そう。またまた知らない曲ではあったけど、でもすっごくあったかい、「幸せ」とか「ありがとう」って感じの曲だった。さざ波が寄せて返すような響きと、語りかけるみたいなメロディがすっごくいい。

 何よ。不覚にも泣けてきちゃったじゃない。でも、抱いてた赤ちゃんが急にその曲のメロディをハミングしだしたから噴き出しちゃった。しかもその「マ~」とか「ウプ~」とか言う可愛い声があんまり音程ぴったりで。


 でも本当の問題はここから。「認知する」って宣言してた麻生の言葉が本当なら、責任持って育てる気もあるって事よね。

 だけど、ピアニストでハンターでお金持ちって事くらいしか取り柄がなさそうな麻生が、一人で育てられる訳がない。お母さん代わりになってくれる人を探さないと。


 アンコールに答え、曲を弾き終えた麻生が立ちあがった。ホールを揺るがすほどの拍手とコール。この騒ぎは、しばらく収まりそうもない。


「待って。何処行くの?」


 黙ったまま、ずっと背を向けていた柏木さんが、1歩、2歩と歩きだしたもんだから、あたしは慌てて呼びとめた。ヒタリと動きを止める柏木さん。


「まだ私に何か?」


 いつものバリトンボイスより更にもっと低い声。

 何か? じゃないでしょ! 貴方にはこの子のお母さんを探す役目が残ってるでしょ!

 って言おうとして、あたしは押し黙った。振り向いた柏木さんの……二つの眼。暗がりにはっきりと浮かび上がる金色の眼。それはヴァンパイアがヴァンパイアである事を自ら証明する眼だったから。


 あたしは言葉を忘れた。彼がヴァンパイアだったからじゃない。桜子さんがヴァンプだって知った上で執事やってたくらいだもの、彼自身そうであってもおかしくない。むしろ納得。さっきあたしを気絶させた時の、隙の無い身のこなしとか、常に落ち着き払った素敵すぎる態度とか。

 そうじゃないの。解っちゃったから。正体を明かしたのは、これ以上あたし達に関わらないって意思表示だって。でも! それって無責任すぎない? この子は秋子さんの子。遺伝子的には桜子さんの子でもある。それを麻生一人に任せるって?


「赤ちゃんの事。心配じゃないの?」


 込み上げた感情を押さえたあたしの声も、いつもよりトーンが低かった。

 柏木さんの眼が茶色に戻る。再び向こうを向いた柏木さんの、押し殺したようなため息が聞こえた。


「…………限りませんから」

「え?」

「私が……ヴァンパイアであるわたくしが、いつまでも抑えられる(・・・・・)とは限りませんから」


 彼の背中は酷く哀しげ。そういう事なの? 自分が抑えられないなんて、柏木さんほどの人でも?


 大勢の人間が立ちあがる音。上着を羽織る衣擦れの音。おしゃべりをしたり、笑い合ってるおばちゃん達の声。それらが次第に遠ざかっていく。ホールが再び静寂に包まれていく。あたしは再び口を開く。


「柏木さん。貴方には義務があるわ」


 ピクリと柏木さんの肩が震える。


「義務とは?」

「桜子さん亡き今、水原家の血を引く人間はこの子しか居ないわ。つまりは当主よね? 貴方はこの子の代理として一切合切を仕切る義務がある」

「なぜ私が?」

「貴方、あの家の家令スチュワードなんでしょ!? 調べてみたら、執事と違って、当主の代理人を務める権限がある、そんな職務らしいじゃない!」


 柏木さんの肩が震えている。笑っているの?


「調べたのですね」

「そうよ。あたしの言い分、違ってる?」


 柏木さんはまだ背を向けたまま。あたしは彼に駆け寄ろうとしてハッとした。あたしのすぐ横に麻生結弦が立っていたの。銃を右手にまっすぐに構えて。柏木さんの黒い背中を狙って。

 え? その銃、さっきあたしが奪ったはずのベレッタ? そっと右手でズボンのベルトを触ってみれば……やっぱり無い。取られたこと、全然気付かなかった。


「局長。今夜の事、仕組んだのはすべて貴方ですね?」


 ゆっくりと柏木さんがこちら側に向き直った。

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