ACT33 認知した筈です【麻生 結弦】
いったいどこの誰が先生の銃に銀弾を仕込んだのか。「桜子さん」なんて呼び方から察するに、この先生は桜子の知り合いで、ややもすれば彼女の主治医。だとすると……怪しいのはうちの局長って事になるんですけど。
局長。正確にはハンター協会事務局長。
事務職だけど、事務室には居ない不思議な人。
実は無断でハンター職を補佐したり、潜入捜査に勤しんでいるから……って後で解ったんですけどね? 上は手を焼いてるみたいですが、僕は好きなんです。部下に容赦のない人だけど、自分にも厳しい。常に現場に身を置くような、そんな人を嫌いにはなれません。
その局長がそれは酷い大怪我をして、つい先月に復帰して戻って来たんです。流石に自重するかと思って居れば、余計に拍車がかかったって、補佐役の日比谷さんが呆れてました。深夜や明け方にほんの30分居るか居ないか、それなのに書類は完璧に仕上げるとか。そんな局長の素顔が見たいです~なんて……まあ今それは関係ありませんが、そんな局長がわざわざ僕のところに「今日から水原桜子の屋敷に泊まり込みだ」なんて珍しく連絡寄越して来たんです。
これは何かあるかなと思ってたら……なるほど、こういう所で仕込んできた訳ですね? とどのつまり、僕が桜子を撃てなかった場合の保険を用意していたと。
とりあえずこのワルサーは返します。先生がこの銃に愛着持ってることが良く解りましたから。
……解ります。さっき僕が「渡して下さい」って頼んだ時の先生の顔ったら無かったですよ。僕にだってその気持は解りますし。銃持ちに取って、メインの銃は自分の子供みたいなものですから。
ですがこの銀の弾薬は当然のことながら貰っておきます。ハンター協会の支給品を、一般の方に渡すわけには行きません。予備弾はありますよね? さっきから腰のあたりでカチカチ言ってるの、カートリッジの入ったサックでしょ?
はいこれ。ちゃんと渡しましたから、代わりに僕のベレッタも返して下さい。
ところが先生。銃口片目で覗いてみたり、補弾したりしながら「うーん」と唸ったきり考え込んでしまった。
ちょっ……それは無いんじゃありません? 名刺を貰ったら自分のも渡す。銃を返してもらったら相手のも返す。社会人としてのマナーでしょ? それともちゃんと口で言わないと分からないタイプの人ですか?
僕は半ばあきらめて、苦しげな声を上げる桜子を見おろした。腕の中の彼女はもう……透き通るほど――いや、ほんとに向こう側がうっすらと透けていて、幼い頃の彼女の笑顔が僕の中でオーバーラップして……そしたらどんどん、一緒に遊んだことや連弾した時の光景が走馬灯のように浮かんでは消えて、たまらなくなったんです。夢中で彼女を揺すりました。もう手遅れだと解っていて。彼女は僕らの敵ヴァンパイア。だから仕方ないと諦める自分と、受け入れられない自分が居るんです。
『何をする気だ! よせ!』
局長の声が無線を通して聞こえたけど、僕はそれを無視しました。手遅れでもいい。ほんの少しでも桜子の命をこの世に繋ぎとめられれば、それでいい。もう一度だけ、生きた彼女の言葉を聞けたなら、この命すら惜しくない。
僕は先生が巻いてくれた包帯を乱暴に引きはがしました。
噴き出す血。それを桜子の口元に持って行く。見る間に赤く染まる彼女の口元。周囲の音が、耳鳴りのような音に変わっていく。
先生が池の鯉みたいに口をパクつかせるのが見えたけど、でも何を言ってるのかは聞き取れない。ついにはぎゅっと口を引き締めて、プイっと眼をそらして舞台端の方へと行ってしまった。
ごめん先生。好意を無にする行動ですよね。でも解ってください。僕はロボットじゃない。与えられた命令を淡々とこなす協会の人形じゃないんです。
桜子の喉がコクリと動く。そのたびに蘇っていく頬の色。それと反比例して耳鳴りの方はむしろ酷くなってきて、しまいには頭にガンガン響いて来て――
あ、これ、父さんの声だ。どうしてもピアノに転向するなら小遣いはやらん! ってそりゃないですよ。僕のバイオリンの腕、知ってるでしょ?
ありがと。母さんはいつも僕に味方してくれて助かるよ。あ、はい。お風呂掃除、やっときます。地下室? どうしても……行かなきゃダメですか? 今日は祝賀会なのに? はいはい。一日休めば三日休むと同じ。ですよね。ピアノと同じ。ああもう、解りましたって。みんな、そんなに一度に言わないでくれません?
先生、僕、死ぬ時はもっと静かなものだと思ってましたよ。先生? いらっしゃるの、その辺りですか? 今のうちに謝ることが。
申し訳ありません! この手の治療費、払えそうにないです! 本当に……すみません!
と、急に視界が明るくなりました。僕はさっきと同じ格好で座っていて、桜子を抱きかかえています。足も、腕の感覚が戻っています。耳も。彼女の息遣いがはっきりとこの耳に届いています。はっきりと意識の戻った眼で、桜子が僕を見上げています。
「良かった。眼が覚めたんだね?」
そしたらガッ! と下から抱き付かれました。
「好きよ、結弦!!」
桜子!? 急にどうしたの!? 痛たた! 嬉しいけど! 嬉しすぎるけど! ヴァンパイアの怪力で……絞めないで!!
「貴方の事が……好き!! 大好き!!」
桜子の言葉はこの1か月、待ちに待った言葉だったけど、僕の肋骨は崩壊寸前で……桜子、君って人は……
ぎりぎり絞め上げる腕の隙間から右手をひねり出して、彼女の顎の下に持っていく。察した彼女が腕の力をやっと緩める。眼と鼻の先に、眼を閉じた桜子。長い睫毛にピンク色の頬。朱の差した唇。これを何度夢に見ただろう。
ねぇ桜子。こんな事になったけど、決していい結果なんかじゃないけど、でも――今この瞬間だけは、最高に幸せ――
「あの、盛り上がってるとこ悪いんだけど」
桜子の背中から先生の呆れた声がしました。咄嗟に彼女の腕を引きはがしました。ここがリサイタルの会場だと言う事を改めて認識したんです。
一方の桜子は凄い顔して先生を睨んでいます。桜子、気持ちは解るけど、怒っちゃ駄目だ。先生にたぶん悪気はないし、ついでに僕の恩人でもあるし。って言おうとした僕は戦慄した。先生の腕に抱かれている「それ」を見て。
「その子……まさか……」
おずおずと口を開く桜子の唇が震えている。
「ええ、そのまさかよ。秋子さんの子」
「「ええええええああっ秋子の!!!?」」
僕と桜子の声が5度の和音となって調和した。
それと同時に、グランドピアノの同ピッチの弦が共鳴し、わーんという音を響かせる。一呼吸置いて、もう一度。
「嘘ですよね!?」「嘘でしょ!?」「おぎゃあああああ!!」
今度は二人の声に赤ん坊の声が加わった。再び鳴るピアノの弦。顔を見合わせた桜子と僕。
「ふ……二人とも、落ち着いて話しましょ?」
落ち着いてなど居られる訳が無い。
「予定日は半年以上先だったはずです! いくらなんでも早すぎます!」
声を張り上げた僕。桜子の驚愕の眼がさらに大きく開かれる。
「早いなんて……そういう問題じゃなくてよ! お腹の子はとっくに堕ろしたはずですわ!」
「……ぇえ!? 違うよ! 僕はちゃんと認知して……養育費も送るつもりで……」
「どういう事!? 秋子! 説明してちょうだい!」
返事は無かった。そうだった、秋子はもう――
結局僕は、君にも謝ることが出来なかった。一度は君を選んでおいて、でも一緒にはなれないと突っぱねた僕を、あの時君は許してくれたのに。
一筋の涙が桜子の頬を伝った。触れても居ないグランドピアノが、Eフラットオクターブの和音を奏で始めた。