ACT29 ブラックジャックですか【麻生 結弦】
弾き飛ばされたベレッタが宙を舞い、咄嗟にそれを掴もうとした左腕が何故か動かない。銃はガツンと床を跳ね、イレギュラーに回転しつつ後方へ。追おうとした時すでに遅し。撃った本人の手にすでに握られていた。その本人は……え? 誰?
僕より大人で綺麗めの白衣のお姉さん。そのお姉さんが得意げな顔を僕に向け、銃口を向ける。誰かは知りませんが、紛れ込んだヴァンパイアでしょう。反撃したいのは山々ですが、あいにく予備の銃を用意していません。これは……詰みましたか。
「――結弦!!!!」
――!?
桜子が必死の形相で駆け寄って来たんです。
僕の左腕を手に取って、いたた! と思えば手首が血塗れです。なるほど、それでさっき動かなかったわけです。まあ千切れなかっただけマシでしょう。
桜子はと見上げれば、見下ろす彼女の眼が元に戻っています。さっきまでの殺気も、ヴァンパイアの気配もありません。
「良かった。やっと話が……通じそうだ」
「何を言っているの!? 早く血を止めないと!」
……君、さっきまで僕を殺そうとしてなかった? え? ちょっ……
思わず笑ってしまった。ドレスを破いて、手当しようとする仕草があまりに必死すぎて。そういや君、僕が怪我した時はいつもそんなだったよね。あはは、女ってほんと、大げさだなあ。
「こんな時にどうして笑えるの!? 何故さっき、外したりしたの!?」
「だって答えを……あの時の答えをまだ聞いてないから」
「馬鹿! 今更何を言っているの!?」
今更とか酷すぎる。女はほんと残酷だよ。僕がどんな気持ちで君の答えを待っていたか考えもしなかったんだろうか。男のプロポーズを何だと思ってるんだろう。口にした時、それこそコンサートホールの舞台から飛び降りる心地だったのに。
彼女が僕の手をあっちこっちに引っ張るんで、止血点を掴む右手が緩む。その度に噴き出す血。ますます慌てる彼女。えっと……僕がやろうか?
でもその必要は無かった。さっきのお姉さんが足早に僕らに駆け寄ってきて、桜子の手から僕の手を奪い取ったんだ。
その仕草は少し乱暴で、グリップで叩かれたような痛みが脳天を突き抜けて、思わず呻いたけどお構いなし。
白衣のボタンを素早く外し、めくった懐から出て来る出て来る。透明な液体の入ったプラスチックのパックに、茶色の液体が入ったスプレー、ガムテープみたいな色した包帯。手術の時に術者が履くような手袋なんかもしたりして……お姉さん、ブラックジャックか何かですか? だいたいにして何故そんな処置道具? あの殺気、本物でしたよね?
四角で白くてフカフカの敷物の上に僕の手首を置いた彼女が、生理食塩水と印字されたパックの中身を傷口から流し込み始めた。
あ。あったかくて、気持ちいい。
でもそれからが地獄だった。茶色のスプレーの先を遠慮なく突っ込んで、指先まで突っ込んでごしごしやりだしたから。いや実際はごしごしなんてしてない筈なんだけど、そうされてるかと思うぐらい痛かった。
ちょ……それくらいで勘弁……って思った僕はまだまだ甘かった。
その後だよ後。激痛に飛び跳ねかけた僕の胸板に、お姉さんのでかいお尻が乗っかって来た。
僕、結構堪え性ある方ですよ? でもそれ、麻酔無しでやるような処置ですか? あ、そこそんな引っ張るとかそう言うのやめて! ああ駄目! そこも! ああーーーーー!!!!
「一応の応急処置はしたけど、すぐに手術が必要よ?」
身体中の力が抜けて、僕は思わず十字を切りました。局長が良くやる仕草を、今だけは真似たくなったんです。
左手首にしっかり巻かれた茶色のテーピング。すごい。応急処置にしては本格的すぎ。この人一体何者でしょう。とりあえず先生と呼ばせて頂きます。
「桜子さん、ちょっと――」
見ると先生に寄りかかって、眼を閉じる桜子が居た。その胸に、見る間に広がる赤い染み。
「え? 桜子さん! どうして!?」
先生もそれに気付いて声をあげる。大丈夫さ、焦らなくても。ヴァンパイアがその程度で死ぬわけが……桜子?
力無く眼を閉じる彼女の頬は酷く白いんです。それは何度も目にした症状でした。銀の弾丸を胸に受けたヴァンパイアが、最期に息を引き取るときの……症状。
「桜子!!?」
腕の痛みも忘れて彼女を抱きました。うっすらを瞼を上げた彼女の、どんより濁った力無い瞳の色。
なんてことだ、まだ僕は君の答えを聞いてないのに。
「銀弾を受け10分ほどでしょうか。……残念です。彼女はじき消えるでしょう」
「え? ええ!?」
僕の見立てに驚く先生。いやいや、撃ったの、先生では?
「銀弾じゃないわ! 撃ったのは普通のただのフルメタルジャケットの鉛の玉よ!」
慌てふためいた先生が取り出したのは割とメジャーなPPKでした。いや、決して馬鹿にしてる訳じゃないです。いい銃だからみんなが良く使う、という意味でして。
「それ、貸して下さい」
受け取ったPPKの弾倉を抜き、中身を確認したらほら。やっぱり。
「間違いありません。銀の弾丸です」
「……うそ。誰かが入れ替えたってこと?」
先生の眼が少し泳ぎ、ふと何かに思い当たった顔をしました。