ACT25 舞台上の決闘【麻生 結弦】
真紅に染まる二つの瞳。我を忘れたヴァンパイアが、己の本性に従うときの眼。
あの薄暗い地下室で、初めてあの眼に射竦められたのは中等部に上がってまもなくの時でしたね。
四角い、ただ広いだけの地下室はカビと血の匂いがしました。打ちっ放しの汚れた壁を、丸いオレンジ色の照明がうっすらと照らし出しています。部屋の隅にはひっそりとうずくまる1体の人影。
『銀弾で弱らせてはいるが、油断するな。手負いの獣の恐ろしさは知っているだろう?』
無線越しの父親の声は、いつにない緊張をはらんでいます。
微かに鳴る880 Hz――ピッチAの電子音。それに続く金属音。手足を拘束していた銀の電子錠を外された男が、ゆらりと立ち上がりました。汚れたむき出しの肩や手足。所々に張り付いた臙脂の布は、もとは衣服だったもの。
容貌は決して若くなく、それほど逞しい体格という訳でもなく、何も持たぬ腕をただ無造作に下げていて、それがただの人間であれば、決して脅威とはなり得ない。
「久々の餌、か」
食い入るようにこちらを見つめていた男がポツリと呟き、その眼が血に染まったと思った瞬間、それ《・・》が眼の前に居ました。
『何してる! 動け!!』
竦んでいた足が、身体が、その言葉に反応した。
『良く見ろ! 奴の軌道を読め!』
『呑まれないで! 自分を解放なさい!』
――父さん!
――母さん!
左足を軸にして右に半回転。眉間のすぐ先の空を切る敵の鉤爪。鋭い擦過音。切られ、舞い散る前髪。
記憶の中の彼が桜子に転じている。
空を薙いだ桜子の右手が即座に軌道を変える。視界の狭い右側からの一閃。右頬に軽い衝撃。
当たってはいない。かろうじて身体を逸らせ避けていた。すぐさま下方に転じた手刀の軌道を、右横に回転し受け流す。攻撃は最大の防御だと改めて感じいずには居られない。
躱す、躱す、また躱す。
そのタイミングが少しずつだが遅れている。押されている。息をつく暇はない。右眼窩にズキンと来た痛みに思わず顔をしかめ――何故だろう、突きだされた右手が眼前で不意に止まった。
それは攻撃に転じられる一瞬の隙だった。左に飛んで距離を取りつつ、銃を抜く。僕の愛用はもっぱらこのベレッタNANO。女性にお薦めって言われる理由はこの手軽感とフィット感だろうか。尖りも出っ張りもないから、タキシードの裾に引っかかる事もなく素早く抜ける。
引き金を引くイメージを、ピアノを弾いて音が出るイメージと重ねる。引くと弾くの違いだけ。鍵盤はトリガーだ。それが伝える複雑な機構がハンマーに伝わり、一つの音を出す。この銃の音はGフラット。反響音が舞台上に木霊する。
狙い通り、弾は桜子の左肩を貫通しました。何故わざと急所を外したかは……決まってます。桜子の答えをまだ聞いてないから。彼女だって本当は僕と話したいはず。秋子の事で思わずカッとなっただけで、本当は僕をすぐに殺す気はない。本当に僕を殺すつもりなら、さっき観客にしたように、僕の意思を奪えば良かったんですから。
眼を見開き、僕を凝視している桜子。片の傷はすでに完治している。
背中に殺気を感じたのは、彼女の眼が黒目勝ちに戻った時だったんです。
長年培われてきた反射神経をこの時ばかりは呪いました。
下手に避けたりしなければ、弾丸は防弾着で受け止められた筈だった。この手に当たる事なんて無かったんです。