ACT23 激情の輪舞曲【水原 桜子】
怨みの籠もる喧騒の余韻がホールを満たす。
結弦の首に腕を回したままの秋子。
額に脂汗を滲ませたままの結弦。
二人ともこちらを凝視したまま。結弦が身じろぎする度に、タキシードとドレスが衣擦れの音をたてる。
――秋子。曲がりなりにも、結弦は男。細く小柄なその身体でよくもまあ……
ナイフの刃先が小刻みに震えていますわ。まさか私が来るなんて思っていなかったのでしょうね?
足を踏み出す。
まるでわたくしから二人を庇うように立ち塞がるグランドピアノ。
円錐型のスポットライトに浮かび上がる黒い体躯。天蓋から覗く、230本余りの硬鋼鉄の線。弦に止められた銀のチューニングピンの鋭い煌めき、燻した光沢を放つ金属のフレーム。
果たしてグランドピアノを超える楽器がこの世にあるでしょうか。
なんという精巧さ。
なんという重量感、存在感。
そして温かい。優美なカーブを描く漆黒の板は確かな木の温もりを宿している。優しく指先を受け止めるこの象牙の鍵盤も。
秋子の大きく見開かれた眼。その肩越しに、悲鳴をあげつつ扉へと動き出す客たちの姿が見えている。その合間より向けられた銃口が無数に光る。
――させないわ!!
鍵盤に置いた左手。親指と中指をDシャープのオクターブに添える。
指先に向けたすべての意識をその先のイメージへとつなげていく。鍵が跳ねあげたハンマーが下から弦を突き、その振動が響板にて増幅され、やがてこのホール全体を震わせる。
意識のあるものすべてに作用するこの力。貴方がたに、それを防ぐ術など無い。
さあ、しっかりお聴きなさい。たった今から、わたくしが貴方がたのマスターですのよ? 怖いことは何もない。落ち着いて。そう、自分の席にお戻りなさい。武器を持つものは懐深くに隠しなさいな。ここは音楽を楽しむ場。銃など野暮の極みですわ。そうよ。あなた方は帰さない。リタイタルはこれからが本番。
さあ秋子、あなたも。結弦を解放なさい。敵を討つのはわたくし。裏切られたあなたの思いと、生まれていた筈の命の敵は……必ず。
……どうしたの? 何故離さないの? この音はその耳に届いているのでしょう?
「諦めなさい秋子。奴らの気力は殺いだ。もう銃は撃てない。あなたを狙う事も」
その言葉が効いたのでしょう。秋子が結弦の拘束を解きました。
瞬間的に離れる結弦。それを確認した秋子が何をしたか。彼女の行動は、わたくしの思いとはまったくの逆。
「よせっ!」「およしなさい!」
何故秋子に我が能力が通じなかったのか。
「結弦さん、姉さんをお願い。それとこの子も」
「なにを言ってるの!? 秋子? 秋子!?」
この子だなんて! あなたの子はとっくに――
ぐったりももたれ掛かる妹の、スカーフの下に隠された醜い傷跡が見えた時、戦慄が走ったのですわ。
傷痕が2か所あったのです。ひとつは新しく、もうひとつは更に新しい。通常、サーヴァントというものは、主を失えばある程度自由となるもの。程度が軽ければリハビリ次第で人の生活を送れる例もあるにはある。それを? わざわざ格上の力を借り、上書きを? 身勝手なその目的のために?
「……よくも……よくも秋子を……弄んでくれたわね」
絶望と怒り。二つの感情が、この身体をヴァンパイアのそれに変えていく。
赤く染まる視界。引き裂きたい。屠りたい。啜りたい。そんな衝動。自身の力では決して抑えられぬ吸血鬼の性。
――思い知らせてさしあげますわ! 人を超えた進化形――ヴァンパイアを怒らせたらどうなるのかを!