ACT18 眠くなっちゃう!【佐井 朝香】
彼のピアノを生で聴いて、あたしはとにかく圧倒されてた。高低差の激しい和音の連続、弾くというより叩きつける力技に。
なんて、なんて指を酷使する曲かしら! 作曲したリストは、奏者が腱鞘炎になればいいと思ってたんだわ!
ピアニストって凄いのね。これだけの音量、どうやって? 指の力だけでこんな音が? スピード? バネ? 体重移動?
あーあ。もっと前の席だったら良かったわ。ここからじゃ身体の動きが良く見えないもの。
ため息をつくあたしの横で、桜子さんがぎゅっと手を組み合わせて震えているのが見える。
わ……怖いくらい真剣な顔して聴いてるけど、どんな気持ちなのかしら。幼馴染のピアニスト。純粋な感動? それとも嫉妬? 同じ世界的ピアニストだし、桜子さんに取ってはライバルよね?
え? あたし?
ごめん。正直あまり楽しめない。ショパンなら有名なフレーズも多いし、それなりに聴けると思うの。でもリストってあまり聴いたことないから、だから。
もしかしてこんな客、あたしだけ? みんな楽しんで聴いてるの? このプログラムだって気取りすぎじゃない?
F. Liszt
1 Etudes d'exécution transcendante S.139/R.2b No.4 Mazeppa
2 St.Francios de Paule marchant sur les flots ~Legendes S.175/R.17
・(中略)
8 La Campanella ~Grandes etudes de Paganini S.141/R.3b
なんて曲目を全部イタリア語で表記しちゃったりして。F. Liszt以外、全然ピンと来ないじゃない!
刻一刻と過ぎる時間。進むプログラム。あたしにはとっても長い時間。欠伸を噛み殺すのが精いっぱい。ただ椅子に座るのがこんなにつらいなんて。
――あ!
頭の毛が逆立って、思わず振り返ってその人を見上げたわ! すぐ後ろの立見にいた黒い服の男性を。そんなあたしに、当の彼も驚いたみたい。
「すみません」と小さく謝り、軽く頭を下げた彼。背が高い、きっちりしたタキシードの似合う、ちょっと柏木さんに似た雰囲気の人。素敵だし、物腰がどこか一般の客と違う。もしかして劇場の支配人か何かかしら。
もちろんあたしも謝ったわ。小さな声で、ごめんなさいって。そうよね。さっきの……あの……殺気みたいなの。この人が、じゃないわよね? これだけ人が居るんだもの! ピアノに感動した誰かの感情の波(?)みたいなのが衝撃波になってぶつかってきただけよね? (え? あたしの言ってる事、へん? )
「お集まりの皆さま! いよいよ最終曲となりました。リストと言えばこの曲、そう、ラ・カンパネラ!」
やおら張り上げられた若い男の声がして。見れば舞台中央に麻生結弦がマイク片手に立ってる。
ちょっと驚き。ピアニストってただ鍵盤だけ叩いてるものかと思ってたから。こんな風に観衆に呼びかけるなんて!
「実はここでサプライズを用意しました。皆さま、お気づきですね? S席の彼女に!」
ザワつく観衆。麻生の声に答えて席を立った白いドレスの女性。
ううん、桜子さんの事じゃないわ。あたし達よりもっと「いい席」に座ってた女の人。よく似てる。髪型とか、裾の広がるイブニングドレスとか。いったい誰なの?
「この曲は是非彼女に演奏して頂きたいと思うのですが……如何でしょう? 水原桜子先生?」
え? えぇ!?
天地がひっくり返ったかと思ったわ!
だってだって、麻生が言葉をかけたその人が! 優雅にほほ笑んで頷いて振り返ったその人が、どうみても桜子さん本人だったから!