ACT145 取って置きのサプライズ【佐井 朝香】
ハムくんの絶叫がホールいっぱいに響き渡って。それを見た魁人が噴き出して。
――ああもう! 我慢できない!!
「ちょっと! いくら何でもやり過ぎよ!!」
彼の傍に駆け寄ったわ! 舞台の上にぴょんと飛び乗って! 彼ったら顔色も唇もすっかり青ざめちゃて、尻もちついたまま口をパクパク。
そりゃあ……あたしも協力はしたわよ? 普段頑張ってる彼を喜ばせたい、なんて田中さんが言うから? 真っ先に賛成したのはこのあたし。てっきりすぐにネタばれするかと思って見ていたら……なに? みんな、あんなに真に迫っちゃって。魁人なんか本気しか見えなかったわ!
ほら、桜子さんのお屋敷で、ハムくんに憑依された麗子に同じことされたでしょ? あの時の恨みを今こそ晴らすつもりじゃないかって、実は実弾籠めたまんまなんじゃないかって、気が気じゃなかったんだから! 田中さんも田中さんよ! あんなに意地悪い引っ張り方しちゃって!
……ハムくん、見た目は平静を装ってたけど、魁人たちがトリガー引く度に心臓が跳ねてた。血圧もガクンと下がったり、逆に上がったり。ほんとよ! あたしには解るんだから! いつ倒れてもおかしくなかったんだから!
手首を取って脈を診て。おでこで熱を確認して。仕上げにその瞳を覗き込んで。そんなあたしの仕草を熱に浮かされた顔してじっと見上げて。黒い瞳の……さらに奥。ほんと。魁人の見立ては間違いない。沢山居たあの眼は何処にも居ない。
「完璧ね」
え? って顔して顔を上げる彼。明らかに不振の色を浮かべてる。そっか。そうよね。上手く行って喜んでるのはあたし達だけ。彼はまだ気付いてない。
「ハムくん、良く聞いて?」
取った手は、じっとりと汗ばんで、とっても冷たくて。
「あたしの能力は知ってるでしょ? 触れるだけで、生き物の身体を治す……そんな力」
「うん。田中さんからも聞いてるよ。それこそゲノムの改変にも至る可能性のある力だと」
「でね? ハムくん前から言ってたじゃない。ヴァンパイアの弱点克服の為に、ゲノム自体を組み替えちゃえばいいって」
「……言ったね。でもそれは無理なんだろ?」
「そうね普通は無理。数十兆個はある細胞を、全部作り替えるなんて出来っこないもの。でも――」
「でも?」
「やってみたら出来ちゃったの」
「まさか」
「それが、ほんとなのよ!」
そしたら彼、あははと笑った。……信じない? ま、そうよね。
「こんな事の後でそんなの信じられないな」
「ごめん! でもほんとなの!」
「ほんとにほんとなら証拠を見せてよ。その患者に会わせてくれれば信じるからさ」
「いるわ、ここに」
「え?」
ハムくんが右と左をきょろきょろ見て。
「どこ?」
「ここ。ハムくん自身」
「わたし?」
「そう」
「このわたしが?」
「そうだってば! ハムくんは人間になれたの! それこそ遺伝子レベルで!」
ハムくんは一瞬ポカンとして、手をにぎにぎしたり、顔をペタペタしたり。
「わたしのゲノムを……弄ったってこと?」
「いじくるなんて! 大昔に組み込まれていたヴァンパイアのゲノムを意味のない配列に置き換えただけよ?」
「さらっと言うね。それってそんなに簡単なことかい?」
「そりゃ簡単じゃないわ。うまく説明は出来ないけど……あるべき姿をイメージすると、それがそうなるって言うか?」
「たしかに良く解らないけど、つまりもう覚醒する心配はないってこと?」
「そうよ。仮に誰かに噛まれたとしても発症には至らないわ!」
「いつやったんだい? もしかして麻生の演奏の最中に?」
「うん。あたし、クラシックを聴くと簡単にトランス状態になれるから」
「じゃあこの手首のこれも、それのせい?」
ハムくんが両手首をこっちに向ける。そこにはうっすらと赤い痕が残ってる。
「たぶんそれ、全身の細胞が抵抗した反動ね。彼等に取っては恐るべき事態だった筈だから。あちこちチクチクしなかった?」
「……チクチクどころか、千枚通しで身体を突き通された感じだったよ」
足を組みかえて、胡坐の姿勢になったハムくん。口を少し尖らせる。
「こんな手の込んだ事しなくても、治験するって最初から言ってくれれば良かったんじゃない?」
「……ごめん。言えば『うん』って言ってくれないと思ったの」
「そんな事ないよ。わたし1人の施術に機関の許可は要らないさ」
「……違うの。治験対象はハムくんだけじゃなく『みんなも』だったから」
「みんなって?」
「だから、ここに居る人達み~んな」
「はあ!!!?」
ハムくんがひょいと腰を上げて立ち上がった。トットッと駆けだして、舞台上を行ったり来たり。立ち止まっては客席をゆっくりじっくり、隅から隅まで眺めまわして。客席のみんなは、げらげら、くすくすって。たぶんあのキリっとして自信たっぷりなハムくんしか知らないから?
「信じられない! この規模をぜんぶ、君1人で!?」
「ううん。麻生君と桜子さんも」
「彼等の……音の力を借りた?」
「そうよ。だんだんとみんなの心がひとつになるように。だっけ? 麻生君?」
「えぇ。同期化です。それを意識して選曲しました。心と鼓動がひとつになるように」
「……そうよ、それそれ!」
「菅さん、脅かしてしまってすみません。どうせ今夜を選ぶなら、一発かましてやろうなんて、魁人が」
「あ? なに自分だけいい子ぶってんだ? てめぇこそノリノリだったじゃねぇかよ」
「……菅さんもそういうの、好きかと思って。でもちょっとやりすぎたかなぁって」
「いぃんだよ。何なら手足に一発ぶちこんでやっても良かったぜぇ俺は」
「そんな口きいて! 彼を一番心配してたの魁人じゃない! 今日は(国会の)初日だから体力持つかな~とか、明日の質疑大丈夫かな~って!」
「こいつじゃねぇ、手前ぇの心配だっつーの! 苦労すんのは秘書の俺だからよ! よりによって満月に初日かって――」
「満月? ……あ! そうか!」
「そういうこと! あたしやみんなの、つまりヴァンパイアの力が最大になるのは満月の夜だから!」
「ハロウィンも、ですよね?」
「そう! 地球のみんなの……高揚感? それが手伝ってくれて、もうブワッって。こうブワッて。わかる?」
「わかんねぇよ」
「とにかく凄かったの! ときどき田中さんが手をギュッとしてくれなかったら、制御不能になってたかも!」
「……うおぃおぃ。俺ぁもともと半信半疑だったからよ? 手首のあれが吹っ飛んだ時ぁ、マジで青くなったんだからな!」
「結果的にはオーライだったじゃない!」
「そうですとも。これを僥倖と言わずなんと申しましょう?」
優しく笑いながら立ち上がったのは、今まで腕組んで眺めてた田中さん。ゆっくりと会場を見回しながら手で差して。
「総理。今の言葉で『サプライズ』というらしいですな。日頃の貴方への感謝の意を伝えたかった」