ACT133 本気で行く気か?【如月 魁人】
――よぉし、今朝も何ともねぇ。
俺はちょこちょこっと前髪直しながら安堵のため息って奴を漏らす。
あ? 何してっかって?
見りゃ解るだろ。鏡で自分の眼ぇ確認してんのよ。眼が光ったり赤くなったりしてねぇかってな。いつ誰が変わってもおかしくねぇ……俺ら人間の中にぁヴァンパイアのゲノムって奴が組み込まれてるって、解っちまったからよ。特に俺みてぇな特殊技能持ちはその気が強ぇって。毎年ワクチン打ってるから大丈夫よ~なんて女医は言ってるが、どうも信用出来ねぇんだよなあ……
お、ついでにネクタイとかも直しとかねぇとな。片っ苦しい黒スーツとかマジ性に合わねぇけどよ。ホルスターの場所も懐に限定ってのも気に食わねぇ。長年の癖でつい腰の方に手ぇやっちまう。
しっかし……見ろよこれ。
真っ黒な天井は、いかにも高級な石材だ。あの辺のマーブル模様の曲線が、姫の腰のラインに似てやがる。別に貴賓室でも何でもねぇ、只の手洗いにカネつぎ込んじまうのは、流石首相公邸だねぇ。
カチャリと個室のドアがあいて菅が顔を出した。黒い壁に白い服が映えやがる。その両手首にゃ3重に嵌められた銀の腕輪だ。
「どう? 順調?」
ああ、と答えた俺を、奴ぁその黒目が勝った眼でじっと見やがった。
その眼はまだ人間だ。十年前とは違ぇ、伯爵って呼ばれてたあん時のあのブラックホールみてぇな吸引力っつーの? ああいう不気味な気配は今のとこ無ぇ。
「今日の空きは? ランチとか出来そう?」
「無理だな。沢口が昼間に打ち合せたい事あるってよ」
「それ、官房長官としての用事?」
「知らねぇけど。俺経由でアポ取るくれぇだから公にしたくねぇ案件じゃねぇの?」
「何だろ。朝香がまた医師会と揉めちゃったのかなあ」
鏡見ながら、くいっとメッシュに染めた髪先いじる、その眉間に皺が寄ってら。相変わらずのチャラいカッコだが、これでも国家の代表だぜぇ? 質問にゃ要点からサクっと答える、指示は早ぇ、機転は利く。カオもそれなりな上に、あの二木元総理もご推薦と来りゃあ……歴代の支持率を圧倒しねぇ方がおかしいってか?
玉に瑕は奥方だ。しばらく新宿の巣に籠ったかと思えば、勝手にあっち飛び回っては「依頼」をこなしてるってな。「どんな病気も治す医者様」なんて裏で崇め奉られまくってんだと。引く手あまたらしいぜ?
お陰で「医者会」なんかに眼の敵にされるわ、お堅い連中は「そんなファーストレディは認めない」云々だわ。こいつの気苦労も絶えねぇ筈なんだが、菅、チラっと俺の胸元に眼ぇやって。
「そのネクタイ、地味過ぎない?」
「あ?」
「そんなじゃ丸きりどっかのエージェントじゃないか。君は一応『秘書官』なんだよ?」
なんて言いつつ水色に青の縞のタイを渡して来やがる。
「本会議が終わったらあそこに行くだろ? 少しは見た目に気を使ってよ」
「おい……マジで行く気か? 明日休みじゃねぇだろ」
「中身は全部頭に入ってるから平気さ」
「それはそれとしてだ。一国の総理が仕事帰りに秘書と2人きりで出かけるとかどうよ」
「逆に聞くけど。音楽鑑賞する余裕すら無い総理なんて無能だと思わない?」
……減らず口も変わらずだ。秘書兼ボディーガードの俺の身にもなって見ろっての。てめぇを狙う人間がどんだけ世の中に溢れてるかって。
ため息ついて頭かいた俺。したら……見ろよあの眼。奴は全部解ってんだ。そういうとこ、解った上で俺に預けてくる。自分の命って奴をだ。うっかり奴がまた覚醒しちまったそん時は、対処可能な人間は俺しか居ねぇ。そう言って俺に護衛頼んだのは他でもねぇ菅だ。だからな? 俺も悪ぃ気しねぇっつーか、つい奴の我がまま聞いちまう訳よ。
しゃあねぇ、行くか! ひっさびさの結弦のリサイタル!