ACT132 花嫁も楽じゃない!【佐井 朝香】
ふふっ!
こんなにも世界が爽快だなんて思ってもみなかった!
すべてが見える。こっちを見つめる菅さん、魁人、麻生君、お庭の木、芝生、スズメにハトにカラス、コウモリにその他大勢の虫たち。
生きてるすべての構造が解る、感じる、理解出来る。
な~んだ、ぜんぜん複雑じゃない。立体的な配列の、ある程度の規則性と不規則性。
もし乱れたら戻すだけ。あるべき姿に。
麻生君の頬を汗が滑る。何を納得したのか頷いて、その度に伝った汗がポタリと落ちて。頷きながら、議事堂でのあの事を口にした。「弾を当てても無事だったのは、そういう能力なんですね」って。
そうなのね? てっきり模擬弾だと思ってたあたしの予想は大ハズレ。ちゃんとした実弾だったのね?
なんだ、だからそうだった。危険だって頭では分かってても、いざそうなると身体が勝手に前に出ちゃう。身体の方は知ってたのよ、大丈夫って。
「指示を下さい菅さん。いまや貴方は『こちら側の人間』ですよね?」
あらら、麻生君ったら思い切ったわね? さっきまで敵側だったハムくんに指示を仰ぐなんて、しかもその権力欲に訴えるような言い方しちゃって。
ハムくんもハムくんよ。何だか距離を置いた感じで、このあたしが何者かなんて訊くの。
あたし……そんな風にされるくらい……怖い?
少し考えて。ううん、いつもよりちょっぴり真剣に考えて。答えを出した。そうよ、あたしは何も変わらない。こんな風にしちゃダメだって。
そう思って出した声は以前のそれに戻ってて、やっと彼等の緊張の糸が解けたみたい。
良かった、やっと目線が合った。
さっきからずっと廊下に立ってた田中さんも安心したみたい。ホッとしたため息ついて、また何処かに行っちゃった。
いつもそう。何となく気付いてた。いつも何処かでそんな風にあたしのこと見て居てくれるその存在に。田中さん。次に会えたらあたし、お父さんって呼んでも? あたし、1人で立てた? 借りなくても平気?
サッと光が差し込んで、急にベランダから鳥の囀りが聞こえてきて。あたしはそれを全身で感じたくて、ガラス窓を全開にした!
わお! 冷たくって、木と土の匂いがして、最高! ホントにあたし、ここに居るって感じ! 生きてるって感じ!
魁人たちが身震いして抗議したけど、ほら、こんなに美味しい空気、勿体ないわ!
「あのね? 血が吸いたいとか、そう言う欲求ぜんぜんだから。人を襲いたいとか、どうこうしたいとか、そんなのホントNothingだから!」
「それは解ったから、そろそろ窓閉めてくれない?」
「そうです、僕たちは先生とは違うんです」
「……ほら、俺ら、ケガ人だから?」
もう! 3人とも頭まで布団被ったりして!
ぷんぷんしながら窓を閉めたらちょうどノックの音がした。なに? 随分いいタイミングじゃない?
「いいわ! 入って?」
「失礼します! 頼まれた資料その他を持参しました!」
両手にごっそり荷物抱えて入って来たのは、あの時救急車両でずっと魁人に付きっきりだった──
「うお!? 拓人じゃん!」
「魁人さん!? 眼が醒めたんすね!?」
眼を輝かせて魁人に駆け寄った拓人くん、麻生やハムくんが起きてるのにも気が付いたみたい。ちらっとハムくんを眼でさして、手荷物に眼を向けて。それを眺めてたハムくんが察したみたい。
「それ、わたしに?」
「そうよ。ハムくんならいの一番にせがむと思って」
そう、拓人くんにお願いしたのはここ一週間分の新聞雑誌に情報誌。ハムくん、水を得た魚みたいに飛びつくかと思ったら、意外にそうでもなくて、一度深く深呼吸。
……そうよね。ヴァンパイアの伯爵だって知られちゃったし、スッゴく叩かれて当然だものね? でも覚悟が決まったって顔して、ベッドに狭しと並べられた新聞のひとつを手に取った。
「え?」
彼の目が点になる。かと思ったら、今度は別の資料をバサバサ。もう凄いの。そんな早く開いたり閉じたりでホントに頭に入ってる?
「どした?」「何か驚くような記事でも?」
魁人と麻生も駆け寄って、記事のひとつに目を止める。そしてやっぱり眼を点にした。
「朝香! これでっち上げだよね?」
「これって?」
「首相、会見で菅厚労相の正当性を訴える。内閣の総意か、何て書いてあるけど!」
「こっちもです! 被害者はヴァンパイアのみ、人の意に寄り添う平和的集団、とか!」
「おい! ここに会見の写真がでかでかと載ってるぜ!? どういうこった!?」
あはっ! やっぱり驚いた! この反応が見たかったのよね!
「どうもこうも、菅大臣の意見とか努力が認められたって事じゃない?」
「……え? いやいや、それも驚きだけど問題はこれだよ!」
「そうですよ、捏造にしても酷すぎる!」
「おうよ、死んだ総理が会見なんか出来っかよ!」
え? そっち?
今度はあたしの方が面食らっちゃって、でも説明する前にその「答え」が扉を開けた。またまたナイスタイミング!
「菅くん! 思ったより元気そうじゃないか!」
ハムくんがハッとしてドアを向く。つられてそっちに向く残りの2人。
「「「総理!」」」
「……な……何だね……?」
「「「どうして生きてるんですか!?」」」
あはっ! 久しぶりにお腹抱えて笑っちゃった!! だってその2人を見た3人の顔ったら、まるで白亜紀の恐竜にでも出くわしたみたいだったんだもの!!
ついでに総理の後から宮野とか言う国会議員が顔を見せて、傷の無いその顔を見たハムくんが「あ!」っと声を上げてあたしを見たのね?
「そうか! そういえば君は──」
言いかけて、でもドッと湧いて出た報道関係の人達に囲まれちゃった。
(やだ! まだ面会OKしてないのに!)
ワイワイガヤガヤ、押し合いへし合いの記者軍団。小柄なハムくんの姿があっという間に消えて……でも凄い! 麻生と魁人が自分からガード役を買って出たの。拓人くんも手伝ってテキパキと道具なんかを整理して、記者さんたち、お行儀良く長椅子代わりの裸ベッドに座らせられちゃった。
「フラッシュはご遠慮下さい。大臣はまだ体調が万全ではありません」
麻生ったら、丁寧な口調なのに結構な迫力。柏木さんも顔負けね? ハムくんも驚いた顔して、でもすぐに記者達に向き直った。
「いいよ。質問はなんだい?」
「早速ですが、これからの抱負をお聞かせください!」
「またせっかちだね、まずはわたしの責任を問う所じゃないのかい?」
「責任? いいえ、今回の件はヴァンパイア側に非は無く、大臣は被害者。いやむしろ人と彼等の橋渡しとして充分な働きをしたと国民は納得し、その努力を認めるべきだと!」
「ヴァンパイアは感染症であり、その研究に着手すると、大学や製薬会社が次々と手を上げています!」
「それだけではありません! 菅厚労相を是非次期総理の候補としてあげるべきだとネットの書き込みも多く!」
ハムくん、なんだかポカンとして。まくしたてる記者たちの話にただ黙って座って耳を傾けて。ても流石ね? 頭の切り替えは秋の空より早かった。一斉に向けられたマイクに向かって一言、「まずは組織改革です!」だって。
「改革ですか? 何を、どのようにですか?」
「今回の件で、感染症に対する法整備が如何に重要か痛感致しました。ですからアメリカのCDC(疾病対策予防センター)に相当する組織を立ち上げるべきかと考えます」
「新たにその機関を作る訳ですか? また莫大な費用がかかるのでは?」
「現在のヴァンパイアハンター協会がそれなりの研究施設や医療設備を備えておりますので、それに肉付けする形で進めます。コストはさほど嵩まぬかと思われます」
部屋の隅っこの椅子に腰掛けながら、あたしは黙って眺めてた。さっすがハムくん、政界のサラブレッドねぇ。
だからね? 思ってもみなかった。まさか彼がこのあたしに振るなんて。
「早速だけど先生!」
バチッと眼を合わされて、ドッキンと胸が鳴る。
「え? なに? 先生ってあたしのこと?」
「他に誰が居るのさ!」
そう言って笑ったハムくん、ホントに遠慮がないの。
今回の検査データの考察に加えて指定感染症の世界的な発生状況とか? それを考慮した新しいカテゴリーの提案とか? 狂犬病のワクチン接種歴のある人間のサーヴェイランスデータに、国単位で見た場合の狂犬病被害とヴァンパイア被害が反比例してる要因は何かだとか、全部デジタル化して出してくれなんて言うのよ! しかも期限が3日以内って!
え? そんなに言うなら断ればいいって?
……だってだって、「君にしか頼めないよ!」なんて、ホワイトスーツキラキラ笑顔のハムくんにお願いされたらイヤとは言えないじゃない! あたし!彼の婚約者だもの!
結局寝ないで頑張ったら何とかなったけど。ほんと、伯爵の花嫁も楽じゃないわね?