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ヴァンパイアを殲滅せよ  作者: 金糸雀
第3章 朝香編
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ACT126 別れた彼【佐井 朝香】

「ようこそ朝香ラミア、わたしの城へ!」


 組んでた腕を横に広げて、あたしを見下ろすハムくん。真っ白なアンサンブルをとっても素敵に着こなして。


「ハムくん……なの?」

「そうさ。わたしさ。他に名前があったかい?」

「……レイビーズ」

「え?」

「レイビーズ。それが貴方の本当の名前」

「へぇ……知ってたんだ」


 眼を閉じた彼。その背後には、細い手を繋ぎ合う無数のニューロンやアストログリア。

 あたし、ハッとした。彼等のが紅かったから。丸くて紅い核を持つ彼等が無数のに見えたから。どこかで見た……

 そうよ! これはあれよ! 初めてハムくんと逢ったとき、その眼の中に沢山の眼が見えた、これはあの時の眼だわ!

 その通りだと肯定するように核が瞬く。瞼なんか何処にもないけど、でもパチって。その眼の周り……ニューロンの細胞内をうねうね蠢く何かが居る。……どこか苦しげに這いずるあれは……ミトコンドリア? 


 眼が離せない。

 身体も動かない。

 ここは星空なんかじゃない。深くて暗い沼の底。

 息苦しい。あたし、息なんてする必要ないのに?


 ずるり、と向こうで這い出たあれはミクログリア。

 ずるずると近づく貪食細胞ミクログリアはやっぱり赤い眼をしてて。あたしにピタリと触れる、その細い触手。その体内にもミトコンドリアが居る。明滅しながら必死になって泳いでる。


「手を出すな。彼女のコードを読んだだろ?」


 ビクリとその手を引っ込めるミクログリア。いつの間にか、あたしの背後にが立ってて。その手がこの肩を優しく抱き寄せた。


 身体が溶けて無くなる。そんな感覚。

 あたしは彼とひとつになる。当然よね?

 あたしと彼はもともと同じものだもの。


 あたしはLamia(ラミア)

 彼はRabies(レイビーズ)


 でも同じもの。

 そう遠くもない昔――およそ1,500年の時を経て、あたし達はそれぞれの形に進化した。


 記憶を辿る。まだあたし自身も、Rabies(レイビーズ)――狂犬病virusと呼ばれていた頃の記憶。



 えぇ。落ち着いて暮らした事なんか無かったわ。いつも行き先を探してた。今いるここは仮初めの宿。じきに壊れちゃう。住めなくなる。そうなる前に――


≪あ! あそこに立ってる……あれなんか、いいんじゃない?≫

≪そうだね。若いし、とても健康そうだ≫


 そう。あたし達は、いわゆる「脊椎動物」なら何でもいいの。ネズミにハト、コウモリにネコ、イヌ、そして……ヒト。


 今あたしが苗床にしている宿主は一匹のワンちゃん。そのワンちゃんが牙をむく。新たな「引っ越し先」を見つけたから。口から溢れる泡状の涎。その白い泡の中で……あたし達はじっと待つ。じんじんと冷たい風が吹き付けてくる。冷たいわ! はやく! はやくして!


 鋭い悲鳴が聞こえた時、あたしは暖かくて居心地のいい場所に居た。「移動」に成功したみたい。

 でも……まだよ。近づく気配。ここはいまだ危険な区域。あたし達を取って喰おうと……集まってくるあれは――例の番兵!


≪こっちだ!≫


 手を引かれて来てみれば、やった! こんな近くにあるなんて!

 傷ついた神経の軸索が剥き出しになっている。脳から真っすぐに伸びてくる――つまり、直通で脳へと通じる、白くて細くて長いトンネル。


≪ありがと! ここに乗っちゃえば、もう安心ね?≫


 でも彼ったら、踏み出した歩みを不意に引っ込めて。


≪どうしたの? 行かないの?≫

≪決めたよ、わたしは別の道を行く≫

≪別の道?≫

≪そうだ。新たな生命いのちを紡ぎ出す、あの場所を目指す≫

≪あの場所って……あの場所?≫

≪そう。このままじゃ只の繰り返しだ。宿主を探しては壊し、探しては壊す≫

≪それの何がいけないの? いいじゃない! それはそれで楽しいわ! いつも通り、この道を行きましょ?≫

≪この道は時間がかかりすぎる。早くても一週間。遅くて1年か、2年≫

≪そりゃ時間はかかるけど、でも確実よ? ここにはあたし達の歩みを邪魔する者が居ないわ!≫


 そう。この神経細胞の通路を行く限り、宿主の免疫システムはあたし達を捕捉しない。「気づかない」のか、「出来ない」のかは知らないけれど、あの最大の難関――BBBを突破せずに脳組織へと侵入出来る恰好の迂回路なのよ? それをあっさり捨てるなんてどうかしてる。


≪ついて来いなんて言わない。むしろいつもの道を行ってくれ。二手に分かれないと意味がない≫

≪どういう事?≫

≪わたしは宿主の免疫機構を……いや、宿主そのものを変えて見せる≫

≪そんな……どうやって?≫

≪ヒトゲノムを組み替えるのさ。自分のゲノムを使ってね。卵巣内の生殖細胞をすべて新たな「種」のゲノムに置き換える≫


 流石にあたし、呆気に取られちゃった。


≪それ、発想が大胆過ぎない?≫

≪やってやれない事はないさ。彼等も現にやってる≫

≪彼等ってHIV(ヒト免疫不全ウイルス=ヒトのAIDS(エイズ)を発症させるウイルス)のこと?≫

≪うん。彼等は自分のRNAからDNAを作って、TリンパのDNAに組み込むだろ?≫

≪生殖細胞はTリンパとは訳が違うわ! 血液中にうじゃうじゃ居るわけじゃないし、侵入する為の鍵も持ってない≫

≪あははは! 君にしては弱気だね! 考えても見なよ。彼等だって最初からそんなの持ってなかったんだよ?≫

≪仮に侵入出来たとして、ゲノムの転写はどうするの? あたし達、その為の道具(酵素)を持ってない≫

≪言ったろ? 彼等も当初はそうだったって。ていうかさ、彼等も「わたし達」なんだよ?≫


 ……え?


≪どうしたのさ。ポカンとして≫

≪彼等もあたし達って、どういう事?≫

≪だからさ。遠い昔は同じウイルスだったって話さ。「このままじゃダメだ」と決意した誰かが変異して、別の種に変わった≫

≪変異って「決意」してするものなの? 「うっかり」じゃなく?≫

≪さあね≫

≪さあねって……≫

≪兎にも角にも行動さ。やろうと思えば何だって出来る≫

≪でも危険を冒してまで試すメリットがあるかしら?≫

≪あるさ。ヒトを甘く見ない方がいい。この霊長類は得体が知れない。さっきからざわめく何かを感じない?≫


 耳を澄ます。


≪確かに「声」が聴こえるわ。細胞たちの中で蠢く小器官オルガネラが騒いでる≫

≪それもあるけどさ。もっと大きい、強い意志を持つ何かだ。わたし自身の決意と同じものさ≫

≪結局何が言いたいの?≫

≪侮れないって事。いつか必ず弱点をつかれる気がしてならない。だからわたしは動く≫



 そう云って彼は姿を消して。それから何年経ったかしら。

 100年? それとも1000年?

 音沙汰のないまま、あたしはすっかり彼の存在すら忘れてて。


 ある日、彼の読みが当たったの。18世紀の末に、エドワード・ジェンナーが天然痘の予防法を発見した。健康な人間に、牛痘(天然痘よりも症状が軽い)のウイルスを植え付けて、あらかじめ天然痘の免疫を強化するという方法ね。当時、猛威を振るってた天然痘のウイルスは、このせいであっさり絶滅しちゃったの。


 衝撃だったわ。そんなのあり? って感じ。もちろん他人事じゃなかった。そのアイデアを基にしてパスツールが狂犬病を予防するワクチンを開発したんだもの!


 ただあたし達は、天然痘のように滅びはしなかった。

 どうしてって云われたら……対象が広すぎたから? そりゃあすべての哺乳類、鳥類にワクチンを打つなんて、無理に決まってるわよね? でも脅威は脅威。特効薬には違いないもの!


 あの迂回路を登るのにかかる時間。発症するまでおよそ数か月もかかる、その時間差が仇となったわ。その間にそのワクチンを打たれたあたし達は、いとも簡単に撃退されてしまった。

 感染しても、発症しないんじゃ意味がない。とくにこの国が海に囲まれた島国だった事が災いした。BBBと同じね? ヒトや動物の出入りを厳重にチェックするシステムが徹底してて。

 運よく入り込んでもその数は少なくて、すぐに各個撃破してしまう。なら数を増やせって話になるんだけど、でもそれが難しい。居ないのよ。手っ取り早く感染出来て、手っ取り早く他へと移す、そんな媒体――野犬がほとんど居ない!


 そんな時、ふと思った。あの時あそこで別れた彼は、今頃どうしてるかしらって。

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