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ヴァンパイアを殲滅せよ  作者: 金糸雀
第3章 朝香編
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ACT125 BBBの向こう側【佐井 朝香】

 ここは体内。

 新たな宿主の体内。


 と言ってもまだ浅い。傷ついた皮膚の表層に潜り込んだばかり。あたし、いいえ、あたし達(・・・・)は前進を開始する。手足がある訳じゃない。流れに身を任せ、何となく行きたい方向へと自分の意識を向けるだけ。


 ゆっくり進む。あちらこちらに触手のような枝が伸びている。ヒタヒタと探るようなその動き。躱しながらその大元を辿れば……

 居た! あれが樹状細胞――dendritic(デンドリティック) cell(セル)! 最前線、つまり粘膜面や皮膚に配置された哨戒兵! じっとその場に待機して侵入する敵に備えるのが役目。

 わお! 身体が透けて核とか小器官オルガネラがバッチリ見えてる! 綺麗……

透明な触手が無数に伸びてフワフワしてる。水族館で見るクラゲみたい、なんて見惚れていたら、うっかりその触手に触れちゃった! やばっ! どうしよう!


 大勢のあたし(・・・)あたし(・・・)を見る。あたしは青くなって縮こまる。そうなの。あたしが食べられて済む問題じゃない。樹状細胞(セル)はあたしの身体をバラバラにして、それをとある場所(・・・・・)へと運ぶの。それが何処かって聞かれたら……最寄りのリンパ節? リンパ節。彼等に取っての詰所みたいな場所。

 そこには大勢の武器職人(Bリンパ)や訓練兵(ナイーブTリンパ)、彼等を補助するヘルパー(ヘルパーTリンパ)達が待機してる。樹状細胞(セル)はバラバラになったあたしの身体を彼等に差し出す。彼等はそれを読む(・・)。あたし達にはどんな形の武器が有効か調べるために。


 そしたらどうなる?

 殺戮部隊が編成されちゃう!


 只の訓練兵だったTリンパは、あたし達の天敵――キラーTリンパ球に変化する。

 Bリンパはあたし達を確実に殺せる武器――特異抗体を大量に生産する。

 だからそう。捕まったら終わり(・・・・・・・・)。せっかく侵入出来たのに、ほんと。残念。


 あたしは樹状細胞(セル)の本体を見上げた。静かに見下ろす何十倍、何百倍もある山のような大きなcell(セル)を。


 どうしてかしら。こんな時なのにそれがあたしには柏木さんに見えたの。

 なまじその手の知識があったから? それが高等生物だけが持つ複雑な免疫システムにおける……有能な司令塔・・・だってことを知ってたから?

柏木さんもそうだった。いつも現場に出て、自ら情報を集めたり敵を撃退したり。麻生君や魁人を鍛えてハンターに仕上げたり。

 そんな柏木さんとその有り様が似ていたから?

樹状セルが身体を震わす。低く唸るような振動に耳を傾ける。確かにそれがしゃべってる。あの柏木さんの声で。


『行って下さい。あの場へ』

『あの場って……あそこ?』

『えぇ。あの御方が待っておられます』


 ふわり、とその触手があたしを優しく包み込む。


『どうして? 何故あたしを食べないの?』

『……食べる?』


 ゆっくりと前に進みながら、ふっと彼が笑う。そんなとこも柏木さんにそっくり。


 大きく破損した巨大な管が見えてくる。近づいて見れば、それはトンネル。中から沢山溢れ出てくるピンク色の丸い円盤。

そっか、あれは血管ね? ピンク色のは赤血球。決壊したそれを堰き止めようと、ぞろぞろ集まってるあれは血小板。

すご……見る間に穴が塞がれて……あ、でも何か騒ぎが起こってる!

 ほらあそこ! 壊れた血管のすぐそばで赤血球より二回りも大きい透明な何かと、楕円形の何かが戦ってる!

 大きくて透明でくにゃっと曲がった核……そうよ! あれは好中球! 楕円形のはバクテリア! 好中球とバクテリアが戦ってる! わお! その攻防をこんな間近で見る事が出来るなんて!


 ぞくぞく参戦する好中球。もともと小編成だったバクテリアは降参ね? ゆっくりと形を変えつつ覆いかぶさる好中球。飲み込まれて、暴れていたバクテリアが徐々に分解されていく。でも飲み込んだ好中球の方も只では済まない。動きを止め、自らも崩壊を始める。バクテリアの毒にやられて死んじゃった?

 共倒れの死体。それがどんどん積み重なる。みるみる大きくなる死体の山。たしかそれをお掃除するのが……来たわ! 来た来た! 

 思わず身がすくむ。大食細胞――マクロファージがわさわさと集まって来たから。


 マクロファージはその二つ名の通り、何でも食べちゃう悪食cell。それこそ死んだ仲間のcellからあたしみたいな小っちゃいウイルスまで、対象は幅広い。獰猛で動きも意外と早い。ほらね? すっごい処理能力! まさに免疫界の掃除屋スイーパー


 瞬く間にあたし達も取り囲まれちゃった。庇うようにしてじっと立つ柏木さん。彼に睨みを効かせる山のような体格のcell達。柏木さんだって体格じゃ負けてないけど、でもたった一人じゃどうしようも無い。


「仕方がありません。これに乗って下さい」


 え? って思って見上げると、彼の眼が破綻した血管の隙間を見てる。

 なるほど! 乗るって、血流に乗れってことね? 血の流れは速い。全身を巡るのに1分もかからないもの。


「あたしだけじゃ心細いわ。貴方も一緒に来てくれる?」


 ダメもとで頼んでみたら、またまた柏木さん、素敵な声でフフッと笑って。あたしを抱えたまま、トンネルの中に意外な素早さで飛び込んだ。飛び掛かろうと動いたマクロファージが踏鞴を踏む。

 さっすが! やろうと思えばやれるのね!


 流れに乗るあたし達。一緒に流れる巨大な赤い円盤の群れ。

 何処からか音が聴こえる。とっても綺麗なピアノの旋律。優しくて、でもとってももの悲しい。まるで今まで歩んできた人生をひとつひとつ噛みしめてる……そんな曲。どこから? まさか麻生君が弾いてたり?


「シューベルトの即興曲。作品90の3」


 訪ねてもいない質問に答えてくれた柏木さん。あたしが考えてること、どうして解るのかしら?


「あの方が愛した曲です。いつも聴いておられました。今思えば……あの時も」


 あたしから眼を逸らしたまま、遠くを見る柏木さん。あたし、音楽には詳しくないから、シューベルトとか、作品ナンバーとか言われてもピンと来なくて。でもさっきから口にしてる「あの方」って、ハムくんの事よね?


「司令。そいつら……?」


 突然横合いから声を掛けられた。そっちを見れば、いつの間に居たのかしら。もじゃもじゃっと短めの触手を生やした白い球が柏木さんの腕にくっついてる。大きさは赤血球よりちょっとだけ大きい。つまりは柏木さんよりも一回り小さい。電顕写真で良く眼にする恰好。Tリンパくんね?

 ふふ……なんか可笑しい。柏木さんの事、司令だって。態度もまんま、魁人じゃない?


「あの御方が『寛容』された方々だ。我々はこれより『聖域』に向かう」

「マジすか!? 俺も一緒にいいすか!?」

「……君はあの現場に行き給え。ヘルパーが足りてない」


 言われてしぶしぶ手を離す魁人。あたし、吹き出しちゃった。その素直な反応も、いかにも魁人って感じだったから。

 でも魁人がヘルパー(ヘルパーTリンパ)だなんて、意外。どっちかって言うと、攻撃系のキラーTってイメージだもの。


 走り去る魁人を見送って、しばらく進んで。いつの間にかピアノの音が鳴りやんだ、そんな時。ピタリと柏木さんが立ち止まった。


「着きました」


 あたし、ぐるりと辺りを見回した。ここはまだ血管の中、よね?

 そんなあたしを見た彼が壁を眼で指す。


 壁。血管壁。その表面には沢山の小さな凹凸。柏木さんの腕がその突起の一つを掴んでる。

 あら? 突起の傍に腰かけてるのって……魁人?

 ……そうだった。「魁人」は一人じゃない。「柏木さん」もそう。


「この向こうが貴方の言う『聖域』ってこと?」

「えぇ。この扉の向こう側にあの方がおられます」


 あたしは軽く深呼吸してから扉の前に立ってみた。でも何も起こらない。扉が開かなければ通れない。


「貴方は知っておいでです。キーとなる言葉を」


 言葉キー? 呪文スペル? ひらけゴマとか?


「A、C、A、U、G…………」


 思い切って開けた口から、自然と出てきた4種のアルファベット。

 あたしは紡ぐ。総数約12kbの塩基配列シークエンス

 身体が次第に熱くなる。それが……あたし自身のゲノムコードだから?


 魁人達が、ざわりとその短い触手を蠢かす。その身体からキラキラ光る分泌物サイトカインが染み出して。それを浴びた一部のゲートがゆっくりとその隙間を広げていく。朧げにしか見えなかった向こう側の景色が見えてくる。


 わあ……


綺麗な星が浮かんでる。あの形、神経細胞ニューロン星状膠細胞アストログリアに……小膠細胞ミクログリア

 つまりは神経組織。ここが聖域?


「そうです。ここは大脳。思考、記憶、理解、判断……種々の随意運動の中枢。怒りや悦びなどの情動の中枢」


 って事は……待って?

 この壁、ただの血管壁じゃ無いってこと!? そうよ! 脳脊髄に直結する血管壁は普通の血管じゃない! 脳脊髄は大事な場所だもの、文字通り聖域・・だもの。本当に必要な物資しか通れないように厳重な関門が敷かれてる。生物学の世界じゃあ、そのシステム名をわざわざ血液脳関門(Blood(ブラッド)-brain(ブレイン) barrier(バリアー)――通称BBB)、なんて呼ぶくらい。


 無理無理! ぜったいに無理!! 

 BBBの関門トランスポーターは、ごくごく小さな分子、つまりはブドウ糖みたいな必要最小限の分子しか通さない! あたしみたいなウイルスなんか通してくれるわけがない! 運よくその隙間から潜り込めても、すぐにポイっと追い出されちゃうわ? そうで無くてもあのおっかないミクログリアさんに食べられちゃう!


「おい。せっかく開けてやったのに通んねぇの?」


 魁人がため息ついてこっちを見てる。


「行って差し上げて下さい。あの方には貴方が必要です」

「大丈夫なの? ほんとに?」


 あの素敵な笑みを返してくれた柏木さん。その言葉も表情もあの時と同じ。議事堂にあたしを送り出したあの時と。

 ……そうよね。ここで躊躇ってどうするの? どの道帰る場所もない。

あたしはくぐった。BBBの関門ゲートを。


「やっと来たね?」


 上下左右、ぐるりと満点の星が漂う。その真ん中に腕を組んだハムくんが立っていた。

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