ACT122 人への変貌【菅 公隆】
麻生や如月を叱りつけつつもテキパキと手を動かす朝香。これが彼女の仕事の顔ってわけだ、なんだか頼もしいね。
傷が疼く。柏木の牙が突き立てられた喉の下。なんてことだ、あんな快感初めてだった。締めつける熱い腕も押し付けられる身体も、あのひたむきな眼もね、このわたしが「もうどうにでもしてくれ」って思ったくらいだしね。ほんと柏木も物好きだよ。わたしなんかに……仇の息子だった筈のわたしなんかにさ。
「どうしたのハムくん。操でも奪われた顔しちゃって」
ギクリと心臓が鳴る。気づけば朝香が傍に立っている。
「な……なんて事言うのさ!」
「ごめんごめん! 助かってくれて本当に良かったわ! それもこれも柏木さんのおかげね?」
「……なにそれ。まるで柏木のお陰でわたしが助かった、みたいな言い方するね」
「えぇ、まさにその通りだもの。柏木さんのお陰でハムくんは助かったの」
……ん?
「柏木はわたしの血を吸ったんだよね?」
「そうよ。しかも最後の一滴まで」
「最後の一滴? そんなに?」
「えぇ。現にハムくんの身体は空っぽだった」
「それって普通……仮死状態とかにならない?」
仮死状態。身体機能が停止した状態のことだ。治癒速度が異常に早い我々にも限界というものがある。そりゃちょっぴりなら問題ないけど、極限までって……いくらわたしでも無事では居られない。大量の吸血でもしない限り、目覚めるまで数年はかかる筈だ。それを……一週間だっけ? そんなに早く目覚めさせる方法があるとしたら……
「入れた?」
「え?」
「わたしの身体に……血を入れた?」
「正解! 溢れるくらいたっぷり輸血しといたわ!」
「な……なんて事してくれたんだ!」
怒るよ! 驚愕に価する事態だよ! わたしはヴァンパイアなんだよ?
「大丈夫大丈夫! ハムくん、RHプラスのA型でしょ? ちゃんと調べて入れたんだから」
「そうじゃない! 人の血を輸血するのは禁忌なんだよ!?」
「なにそれ。ヴァンパイアの戒律でそうとでも?」
「いや、文献にあったんだ」
本当だよ。人の手だけじゃない。ヴァンパイアによるヴァンパイアの為の人体実験ってのも数多く行われてきたのさ。もちろんヴァンパイアの視点だから、不利益になるような行為はすべて禁忌とされた。そのひとつが人の血を直接体内に入れる事、いわゆる輸血だ。吸うのは良くて、輸血は駄目。何故かと言えば――
「人の血を投与されたヴァンパイアは……人になる。本来の力を取り戻すのに相当の年数を要する」
「あらら、流石はハムくん。良く知ってるわね?」
「知ってるよ。学生時代、どれだけ文献漁ったと思ってるんだよ」
「で?」
「でって?」
「何か問題ある?」
問題? 困ること? ん……
「……無い……かな? うん。まったくもって問題ないです」
「でしょ?」
素直に頷くわたしを呆気に取られた顔して眺めていた麻生と如月。その2人がいきなり何かに気付いたようだ。
「そう言えば菅さん!!!?」
「菅!! てめぇ!!!!」
同時に叫び、転げるようにベットから降り、「無い! 僕のベレッタ!」「無ぇ! 俺のも無ぇ!」なんて懸命に自身の身体をまさぐっている。
「……そんな物騒な物、没収したに決まってるでしょ? 落ち着いて?」
「ぅおい! これが落ち着いてられるか!」
「そうですよ! 何故僕達ハンターとヴァンプの伯爵が同じ部屋に!?」
「たった今の話を聞いてなかったの!? この人は今、君たちと同じ人間なのよ!!」
絶句する2人。よろりとよろめき、自分のベットに腰かける2人。面白いね、申し合わせたようにシンクロしてさ。
「だいたい気付くの遅くない? さっき眼が覚めた時に気付かなかった?」
朝香の指摘ももっともだ。最初に目覚め、現在の状況確認に奔走(テレビのリモコン探したり新聞無いかあちこち引っ搔き回したり)していた物音に気付いた如月も麻生も、このわたし自体にさしたる興味は示さなかった。ただ「あれ? 今日って〇日でしたっけ?」だの、「あーダリぃ、うっわ何この包帯!」なんて言いだして、身体の何処が痒いだの、ちょうど包帯の下が痒いだの一通りの文句だけ。そう言えば喉が渇いたとボヤいたわたしに「僕も!」「俺も!」と賛同し、てっきりここがどこかの病棟だと踏んだわたし達は「あっち向いてホイ」的なゲームでパシリ役を決める事にして……誰が後出ししただのさっきのは斜めだから無効だの、しょうもない指摘が次第に柏木をめぐる諍いにまで発展し――
「そういやそうだな」
「僕もです。菅さんから全くヴァンプの気配がしなかったから、ごく自然に接してました」
いきなり緊張を解いた2人。かと言って事態が完全に好転した訳でも無い。この寿命が僅かだと言う事実は変わらないんだ。そんなわたしの心でも読んだのか。
「ハムくんのもう一つの気掛りはこれよね?」
「え?」
彼女が胸のポケットから取り出して見せたのは黒く変色したパラベラム弾。
「それは?」
「柏木さんがハムくんの心臓から抜き取ったものよ。気づかなかった?」
言われてみれば胸が軽い。冷たく重かったあの存在を感じない。
「柏木がこのわたしを生かそうと?」
「そりゃそうじゃない? 好きな人に生きてて欲しいって思うの当然だもの」
「す……」
急に顔が火照った気がして絶句。そんなわたしを笑って覗き込んだ朝香。
「ごめんごめん! まずはその喉の渇きを何とかしなきゃね?」
「そ、そうしてくれると助かるよ、ほんと言うと限界でさ!」
奥へと走り、戸棚を開けた彼女が点滴のパックを手に戻ってきた。