ACT114 取引【麻生 結弦】
「――なっ……」
魁人が何か言いかけて、でもすぐに口を噤んだ。さっき自分で「黙ってる」って約束した事を思い出したんだろう。
菅さんはすぐに返事を寄越さない。おそらく言葉の意味を整理してる。心臓を撃ち抜かれたヴァンパイアの肉体が完全に消滅するまで約10分。倒れてから少なくとも2、3分は経過している。あと7、8分持つかどうか。
つまり局長と言葉を交わすチャンスは今この時しか無い。ほんとうは早く片を付けて、一刻も早く彼と、なんて考えている筈。
だからだろう。菅さんは、何故そんな提案をするのだとか、どうして5分だけなのか、まどろっこしい事は一切訊かなかった。ただ一言。
「見返りは?」
その声音には隠しようのない焦りの色。だから僕もすぐに答えた。
「魁人にリロードの許可を」
「いいよ、それで」
即断だった。もちろん、決断が早かったからと言って、菅さんが浅はかって訳じゃないだろう。菅さんの声には|すべて承知の上で了承した《・・・・・・・・・・・・》と思わせる重みがあった。そう、この交渉が成立するには2つの問題を解決する必要があるんです。
ひとつは覚醒の手段。核である心臓を撃ち抜かれた個体は例外なく滅びへと向かう。それを一時とは言え無理矢理に起こそうと思ったら、びっくりするくらいの量の生き血が必要なんです。
もうひとつは自我の奪回。どんなにその意志や精神が強固でも、自我を保ったまま目覚める個体は居ない。自我の無いヴァンパイアは恐るべき殺戮兵器、しかもそれが局長ならば尚更。その自我を如何にして取り戻すか。
生き血については問題ありません。僕が持ち掛けた提案ですからね、とうぜん僕が調達するべき資材です。まあ今の僕はこの体たらくですから? むしろ役に立ててほんと良かった。そんな僕の好意を菅さんは受け取った。だから僕の提案を呑んだ。
自我の奪回については……心当たりがあるんでしょう。僕の知らない局長を知っている菅さんだから。でも魁人は気に入らなかったらしい。
「ふざけんな!!!」
ビリビリっと震える天井のステンドグラス。やっぱりね、反対すると思ったよ。ほんと勝手です。いつもそうだ。自分の事は簡単に諦めるくせに、いざ仲間が死ぬとなると尻込みするんです。
「話になんねぇ。その案は単なる譲歩だ。たかがリロードに手前ぇの命は重すぎる」
「違うよ。より強い駒を残すべきだ。魁人だって僕がもう戦力外だって解ってるでしょ?」
魁人がひとつ舌打ちして、大きくため息をついた。怒りと落胆が入り混じるため息だ。
「知るかよ! 伯爵殺るチャンスをみすみす逃してるとしか思えねぇ!」
「そんな事ない。僕はいつでも可能性が高い方を選択してる」
「ほんとかよ。お前、さっき司令が言い残した言葉ぁ気にしてんじゃねぇだろな?」
「局長が……何だって?」
「言ってただろ! 女医がまだ生きてるって! 彼女に任せりゃ伯爵を救えるとか何とかよ!」
「えぇ!? 朝香が生きてる!?」
突如菅さんが会話に割り込んできた。随分な驚きようだ。あんなに近くに居たのに、局長の言葉が聴こえてなかったんだろうか?
「んなワケあるか! 結弦が狙い外す筈ぁねぇ! つかてめぇは黙ってろ!」
「黙ってなんか居られるか! 離せ! 麻生の覚悟を不意にする気か!?」
「そうだよ! 駄々こねてないで、菅さんを解放してよ! 時間が無いんだよ?」
「な……何だよ2人して!」
冷たい風が、ピューピュー鳴ってる。顔に張り付く雪が溶けて、幾筋も頬を伝っていく。
「……わかったよ。俺は……俺の仕事をするさ」
魁人が諦めたように呟いた。声音に少なからずの決意を含ませて。ポンっと背中でも押すような音がして、あっと思った時は、菅さんが僕の肩を掴まえていた。今更だけど、ヴァンパイアの動きは音よりも速い。
「礼は言わない。これは取引だ」
耳元で囁く菅さんの息はとても冷たい。僕は彼にコルトを手渡して、それを彼は魁人に向けて放ったんだろう、そんな音と風を感じてすぐに右手首に鋭い痛み。遅れて血が噴き出す感触。トクトクと鳴り出す鼓動。すでに感覚を失った右手を掴まれ、持っていかれたその先は柏木局長の口元だ。動かない筈の彼の唇が僕のそれを咥え、吸う感触。命そのものを持っていかれるこの感じ、果たして何度目だろう?