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ヴァンパイアを殲滅せよ  作者: 金糸雀
第2章 伯爵編
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ACT108 主(しゅ)と、主(あるじ)と【柏木 宗一郎】

 伯爵を狙い放たれる2発の弾丸。

 いち早くその結末を予感した脳が、血飛沫を上げ倒れ伏す伯爵の姿を予測像として網膜に映し出す。


 打ち鳴らされる鼓動。

 濁流となる血流。

 棍棒で殴られたかの衝撃と動揺。


 赤く染まる視界の中、一度は床を蹴る体勢となるがしかし、ふと思いなおす。伯爵は伊達に伯爵ではない。弾道を見切る眼も、防御の手段もお持ちだ。現に今も、直進する2つの弾丸を余裕の体で見つめている。麻生とて伯爵がその程度の攻撃でどうにかなるとは思っていまい。となればこれは……牽制?


 我に返り視線を戻せば、こちらに向かう弾丸が2つ。魁人らの動きを見逃したは痛いが、弾丸の軌道も、時間差も先とまるで同じ。気を逸らし、この手業を狂わせる魂胆か? 

 とすれば甘い。3度目ともなればこの手指がそのタイミングを完璧に記憶している。同じ要領で掴み取ればいい。視認する必要すら無い。故に対処は腕に任せ、視線を伯爵へと戻す。静かなる気配を纏い、立ち尽くす伯爵。その右の手が微かに動く。否、実際は振り上げ、振り下ろす動作を行っている。鋼鉄をも切り裂く彼の手刀。3年前、この手足を柔らかなバターの如く切り裂いた……この眼でも完璧には捉えられぬ素早さかつ、私には決して真似られぬ手業てわざ


 あの時、あの方はその技を以ってこの身を血だまりの海に沈めた。麻生と魁人、2人の命と交換に。そう持ち掛けられ、血を吐く思いでその要求を呑んだ。

 その後の事は――忘れはしまい。力尽き、なかば意識を失いかけたこの眼を、あの眼が覗き込んだ時のこと。紅く染まるその瞳がふと人のそれに戻った時……胸を突かれたのだ。昏く深い沼の底、その闇の中に何かが居た。息をひそめ、こちらを見つめる数多の眼が。そうか、これこそが真祖。生まれながらのヴァンパイアの眼。

 真祖に生まれつき、伯爵の責務を負わざるを得ぬ事態。普通ならば取り乱し、逃げ出してもおかしくない境遇。それから逃げず、その身に背負う。そう決断出来たのは、よほど意志ご強固であるのだろう。

 ならばそれに倣おう。その荷を……共に背負うのもいい。ヴァンパイアは不滅。しかしこの方に残された時間は僅か。ならばその刹那の時間、共に生きるはむしろ義務。運良ければ、あの闇に息づく眼の謎を解く事も出来よう。

 そう決意したとき、手足の痛みは溶けて消えた。熱い涙が目尻から零れ出た。そうだ。私は吸血と暴力に屈したのではない。自らの意志であの方をあるじと決めたのだ。


 ≪──別の何者と伯爵様を重ねてはおらぬか?≫


 嗚呼ああ、貴方の仰る通り。わたしはあの方を、しゅと仰ぐ存在に取って代えた。政治家としての立場も、忌まわしきその血も捨てず、奮戦奮闘する御姿は……本当に……


 ≪貴方のすべてを奪ったそいつが……心配だって言うの?≫


 そうだよ麗子。この方は私のすべてだからね。白状しよう。君の言った私の想い人とは伯爵様その方に他ならない。だから佐井医師に指摘されたときは柄にもなく狼狽えてしまってね? そんな言葉を自分に当てた事が無かったものだからね。

 思えば初めて遭ったあの日から、ずっとあの方に惹かれていたのだ。3年前では無い、もっとずっと以前――まだあの方が学生であった時分。だから1人潜入したあの場所で、伯爵としてあの方が姿を見せた時は本当に驚いたのだよ。

 だが少しも変わって居なかった。恐るべき真祖であるにも関わらず、その魂は人のまま。

 いいかい? あの方を理解する者が居るとすれば、この私しか居ないのだ。守り、従い、主と仰ぎ、そしてその命を奪うのもまたこの私以外にあり得ない。だからこそあの方を売った。イスカリオテのユダがそうしたように。


 ―――――ギン!!!


 刃を刃にて打ち払う音。伯爵マスターが腕を振るわれたのだ。綺麗に両断された弾頭が宙を舞い、こちらを一瞥したその眼が大きく見開かれる。


「柏木!!」


 眼前に視線を戻す。迫る弾丸の数はひとつ(・・・)

 不審に思い、いま一度その感触を確かめる。掴み取った回転の向きは左。魁人のものだ。しかし、もうひとつは?  遅れて着弾する筈の弾丸は何処へ?


 突如、眼前に散る赤い飛沫。何かが自分を突き破り、背へと抜ける感覚。

 胸元に眼を落す。ごく小さな射入創より泉の如く湧き出す血液。いまだその実感はおろか痛みすらない。

 動きを止める視界。消える周囲の音。その中で、不自然なほど大げさに響いた、硬質の音。その数、2つ(・・)

 首を巡らす。壁面にめり込む着弾痕を確認、その数はやはり2つ(・・)

 なるほど、彼らが牽制弾を放った目的は――


 視界が傾く。ゆっくりと自身の身体が仰向けに倒れて行く。

 天井を彩るステンドグラスが眼に入る。赤、黄、緑のクリアなカラー。いつの間にか、硝煙で煙っていたはずの空気が澄んでいる。冷たいそれが頬を撫で……なるほど、ステンドグラスの端々が欠け、そこから風が流れこんでいるようだ。その隙間より覗く、真夜中の星々が煌めいている。


「局長!」「司令!」


 麻生と魁人が駆け寄ってきた。革手袋グローブを嵌めた手がこの右手を、もう1人の手が左手を握りしめる。


「……やったな」


 精一杯の労いを籠め両人に言葉をかけるが、むせび泣きが返ってくるのみ。


「確認させてくれ。麻生君の弾が先に着弾した(・・・・・・)、そのからくりを」

「……司令なら見当がついてんじゃねぇか?」

「まあね。押したんだろう? 後ろから」 

「やっぱな。さすが司令だぜ」


 それが答えだ。

 文字通り、弾丸を弾丸で押した。右で銃を撃つと同時にもう片方の銃で麻生の弾丸を狙い撃つ。麻生の放つ弾丸にマグナム弾の威力とスピードを与えるために。私の手が弾丸を掴み取ったその瞬間ときはすでに衝突した後だったのだろう。弾を見失うわけだ。

 同じ攻撃を繰り返すと見せかけ、実はもうひとつ、別の弾を放つ。当然、イレギュラーな動きは察知される。発砲音も3度となる。だからあの牽制が絶対に必要だったのだ。動作と音を悟らせぬための。

 じっとこちらを見つめる麻生。口を曲げ、横を向く魁人。


「あの撹乱は実に功を奏したよ。意図せずに赤眼となったのは初めてだ。どちらだね? あの手を思いついたのは」

「……僕です。貴方の最大の脅威はその冷静な判断力と分析力、そして観察力。それを削ぐのが目的でした」

「しかし、私が伯爵のフォローに入っていたら、どうするつもりだったのかね?」

「あのタイミングでそれをすれば、掴み取るのは不可能、盾となるしかありません」

「なるほど、どちらを取っても都合がいい。孫子の言葉を見事実行したわけだね?」

「いえ、今回はたまたま上手く行っただけです」

「……謙遜する事はない」


 ごぼりと血が溢れる。強く握りしめられる両の手。首を横に傾け、溜まり血を外へと追いやりつつ。


「魁人くん。あの時、支給の銃を受け取らなくて正解だったようだね」

「……え?」

「いまの連携は君のマグナムがあってこそ成立したのだ。撤回しよう。君には重たすぎると言った……あの言葉を」


 彼は何も答えない。頷いたのか、どんな顔をしてその言葉を受け止めたのか、視力のおよそ失われたこの眼で確認出来ないのが残念だ。床が冷たくなっていく。ついにこの命の火が消えるのか。唯一感じるのは、この手を掴む彼らの手の感覚のみ。だが……まだだ。まだ言わねばならない事がある。


「伯爵を頼むと佐井朝香に伝えてくれ」


 息を呑み、とまどう気配。そうだ。佐井朝香が『鍵』なのだ。彼女が主張するヴァンパイアはウイルス説。そして彼女自身のあの能力ちから。それが我らを救う道しるべに違いないのだ。


 ≪儂らは滅びん。滅びたくとも出来ん。その訳は――≫


 その訳は……おそらく……あの眼の奥のあの無数の眼──


「彼女は滅びてなどいない。……頼む。至らなかった私の代わりに……彼を……伯爵様を救えるのは彼女しか居ない」


 この眼で見届けられぬ事だけが心残りだが、手の感覚も温もりもすでに無い。氷の海に沈むよう……そっと昏い闇に身を委ねた。

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