ACT103 抹殺命令【菅 公隆】
柏木が放った気の衝撃がこの身体を瞬時に隅に追いやった。ガツンと後頭部を打ちつけまたもや意識が飛びかける。見上げれば大隈さんが柏木と田中さんを睨みつけている。
あの酷い音はおさまらず、むしろ酷くなっている。ガンガンする頭のまま眼を落とせば総理と朝香。まるで朝香を庇うようにして倒れている総理に息は無い。首元の動脈を一発。鮮やかなる手業。上位ランクのハンターか。
総理に向かい手を合わせてから、うつ伏せの朝香を抱き起す。出血量、傷の位置から見るに即死。
……すまない田中さん。貴方との約束、守れなかった。
そっと彼女の前髪をかき分け、その白い額に口づけする。ビクリ! っと朝香の手が動く。
(……良くあることだ。新鮮な遺体じゃあ、ありふれた現象さ!)
その手を握り、自身の胸の上に押し当てる。まだ柔らかな彼女の手のぬくもりが、じっとりと沁みてくる。
遠くからこの名を呼ぶ声。振り向けば朝香が部屋の扉を開けて立っている。あれ? ここ、何処だっけ?
やだっ! ハムくん、自分のお家、忘れちゃったの? まだ寝ぼけてるの?
……そう……だっけ?
――そうよ、ほらはやく! 朝ごはんが冷めちゃう!
くるりと振り向いた彼女。なんとエプロンの下に何も着けていない。
……朝香、いい歳して、その恰好はどうだろう。
ええ~~……ダメ!? 喜んでくれるかと思ったのにぃ~
悪くない眺めだけど、でも……今時期けっこう寒くない?
いいじゃない! 一度やってみたかったの!
くるりと回り、妙なポーズを取るその左の薬指に銀の指輪が光っている。
朝香、それは?
やだっ! 御揃いを一緒に作ったじゃない!
なんて言うから見れば確かに自分にも。
……そうだっけ? そうだったかな。
記憶を辿るうちに景色が変わる。上を下も、どこもかしこも白い空間にポツンと佇むわたし達。朝香はいつのまにか着込んだのか、純白の白衣に聴診器を引っかけて。自分はと見れば、いつもの白スーツ。でもシャツとネクタイは黒じゃない、小洒落たデザインのグレーと白。
――素敵ねぇ……あたし達の結婚式を思い出すわあ……
え? そんなもの挙げたっけ?
……ひどっ! 島の教会で、2人だけで挙げたじゃない!
……島? 2人?
――あ、でも柏木さんが牧師で、田中さん……じゃなくて御父様がエスコートしてくれたから、4人?
朝香が手を差し出したから、その手を取って立ち上がる。踏み出せばそれは螺旋に連なる無数の踏み板。柱はない、ただ白い板が並べられただけの階段は、遥か空の彼方へと続いている。ふわり、ふわりと駆け上がって先へ行く彼女、追いついて見れば彼女が大きな黒い何かを抱えている。思わず一歩後ろに下がった。蜘蛛だ。彼女が巨大な蜘蛛を、まるで赤子でも抱くように優しくあやしている。
それ、なんだい?
うふふ……ここにブラ~ンって下がってたの。かわいいでしょ?
……かわいくは……ないと思うけど。それ、どうするのさ?
こんな所に居たら可哀そう。上まで行って、放してあげなきゃ!
振り向いた彼女の胴体に、毛むくじゃらの手足がガッチリしがみつく。無邪気に笑いながら、スルスルと階段を登っていく彼女。追いかけようとしても、身体が鉛になったように動かない。
気付けば元の場所だった。
そういえばさっきまでしていたあの「音」が消えている。
「すまんな柏木。ぬしの虎の子……使わせて貰うで」
暗がりの中で田中さんの声がして、顔を上げて見れば田中さんと柏木がすぐ眼の前で向かい合っている。
その柏木の背に銃口を押し付けている如月と麻生。2人とも抵抗を露わにした顔、銃身を握る腕も小刻みに震えている。如月に至っては、もう一方の銃を自身の頭に突き付けている。操られているのは明らかだ。
ゆっくりと腕を組み、一心に二人と見つめる田中さん。……なるほど、田中さん、そんな芸当も出来るんだ。
ガチリと鳴る2つの音。如月の持つ2丁のリボルバーの撃鉄が起きる音。
「……司令……」
如月の掠れきった呟きに柏木が視線を向ける。打つ手なし、そんな眼で。
わたしは朝香をそっと床に横たえた。
「駄目だよ田中さん。柏木を勝手に始末してもらっちゃ困るよ」
「……伯爵様? お加減が……お戻りに?」
「あはは、あの時もこんな状況あったよね。ひと月前、あの庵でさ」
「そう……でしたかな」
「そうさ。わたしが席を外したその合間に柏木とひと悶着あっただろ? 茶室のそばで、柏木と。あの時は驚いたよ」
微かにその眉が寄せられて……でも田中さんは彼らに向けた視線を逸らそうとしない。視線を逸らせば呪縛が解けるとでも言うように。
「柏木はわたしの護衛さ。だから勝手にするなって、あの時も言ったよね」
「されど伯爵様、今こそが、この柏木を始末する絶好の機会ですぞ?」
「そんな事ないよ。柏木はわたしの言う事を何でも聞く。いざ死ねと言えば死ぬさ」
「しかし、こ奴が申すには……伯爵様の御命は――」
「知ってるよ」
「……何ですと」
「このわたしが知らない訳ないじゃないか。この胸に仕掛けられた弾丸の効果さ」
「ですが伯爵様――」
「その伯爵様っての、いい加減やめてくれない? 私はこの国の閣僚だ。その一員として、わたしはやるべき事をする。わたしはまだ諦めてなんか居ないよ」
「……クソったれが」
最後の台詞はもちろん田中さんじゃない。わたしは眼を細めて如月を見た。柏木の背に押し付けられた、そのグリップを握る手が震えている。……ふん。ただの……強がりかい?
カチン!
撃鉄が戻る音と同時に、張り詰めていた空気がフッと緩む。弾かれたように柏木から離れた如月と麻生。ペタンと尻で餅をつき、立とうとしては座り込む。それを眺める柏木の眼には戸惑いと気遣いの色。チクリと何かが胸を刺す、この痛みは何だろう?
「柏木」
ハッとしたようにこちらに向き直り、片膝をつく柏木。ツカツカと彼に歩み寄り、顎に手をかけ上向かせる。
「如月を殺すんだ。人と我らの、明るい未来実現のためにね」
「……Yes Master」
立ち上がった柏木が徐に記者の仮面を剥ぐ。覚えのある顔だった。あの地下室でわたしの到来を待っていた、その時のものだ。
柏木。それが君の素顔なのかい?