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74話:「変に意識してしまいそうで先が思いやられるな」


 ジュレが部屋を出るや否や、サウレがゆっくりと部屋の中に入って来た。

 普段通りの衣装。局部だけを隠したその姿はとても官能的で、白髪(はくはつ)に褐色の幼い外見と合わさって背徳的な魅力に溢れている。

 さすがはサキュバスと言ったところか。もっとも、頭に生えた小さな羊のような丸い角が無ければただの幼女にしか見えないけど。


 しかし、無表情ながらその赤い瞳は真剣そのもので、まるで今から戦いに挑むかのようだ。


「さて、どうする? 俺は何をしたら良い?」


 意識しておどけてみせる。

 さっきから緊張で心臓がバクバク鳴ってるから、それを悟らせないように。

 サウレは普段からスキンシップが激しい奴だ。

 何を求めてくるのか想像もつかない。

 そんな中で、彼女はゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。


「……ライ。教えてほしい」

「ん? 何をだ?」

「……貴方が何を隠しているのか」

「俺が?」


 呟くように言われ、首を傾げる。


「……私はライに命を捧げている。だから貴方の重荷を背負いたい」

「はぁ? 重荷って何だ?」

「……貴方の、決意を」


 サウレは小さな胸に手を当てて、目を閉じた。

 それはまるで、祈りのようで。

 或いは懺悔する咎人のようで。

 そして彼女は、張り詰めた空気の中で決定的な一言を口にした。


「……ライはフリドールで何をするつもり?」

「何ってそりゃ、ベルベットとやらを探すつもりだけど」


 サウレを砂漠に置き去りにした女商人。

 氷の都フリドールに居るという、その女を探し出すのがこの旅の最後の目的だ。

 それが終わったら故郷に一度戻って、適当な場所で隠居生活を送りたいんだけどな。


「……ではもっと正確に聞く。ライは」


 目を開き、血のように紅い瞳を向けて。


「……ベルベットを殺すのかと聞いている」


 あー、なるほど? そう来たか。


「おいおい、物騒だな。そこまでする必要はないだろ?」

「……グレイの家で貴方は一度取り乱した。それは普段では有り得ない事」

「いやまぁ、アレはちょっと油断してたと言うかな」

「……違う。ライは最初から彼を」


 一瞬の躊躇(ためら)い。そして。


「……殺すつもりで接触した。けれど、話を聞いて誤解だと分かったから、殺さなかっただけ」


 あぁ、しまったな。本当に迂闊だった。

 まさかそこまで深く見られているとは思わなかったな。

 ちょっとサウレを侮りすぎていたみたいだ。


「何故そう思った?」


 感情が消えていく。薄っぺらい笑顔が貼り着く。

 仕草は大袈裟に。それは相手を油断させる為の行為で。

 そして同時に、己の気配を世界と同期させる。

 ただの凡人としてその場に溶け込むように。


 これが俺の本来の在り方。

 これが暗殺者として培った技術。

 誰にも見せるつもりが無かった、隠し通したかった姿だ。


「……私は誰よりもライを見てきたから」


 対してサウレは、微笑みを浮かべていた。


「……強く、気高く、優しく、臆病で、狡猾で。そして私の愛する人は、私の為に果てしない程の憎悪を胸に秘めている」


 そうだ。俺は決して許す事は無い。

 俺の身内を傷つけた者を赦したりはしない。

 例えそれがただの旅商人でも、戦時中の魔王軍でも。

 過去に敵対した奴らは、その全てを等しく殺してきた。

死神(グリムリーパー)

 それは命を刈り取る人形に刻まれた烙印。

 俺を表すのに相応しい呪われた二つ名。

 今でも俺を蝕む、俺を表すに相応しい真名だ。


 俺に名前は無かった。

 俺に家族は居なかった。

 物心が着いた頃には既に何人もの人間を殺していた。


 ナリア・サカードの教会に引き取られるまで、俺はずっと暗殺者として生きていた。

 そして彼女から善悪を学ぶまで、社会というものすら知らなかった。


 吹けば飛ぶような軽い命をもって、尊い命を幾つも葬ってきた。

 許される事は無い。赦しを求めたりもしない。

 ただ、殺戮人形だった俺は。

 戦いの無い平凡な生き方に、憧れた。


「サウレ。俺はな、命が平等だなんて思えないんだ」


 ナリア・サカード。シスター・ナリアの様々な教え。

 自身に余裕がある時は他者を助ける。

 礼節を持って他人を尊重する。

 己に誤りがあれば謝罪し改める。

 そんな、人間として生きて行くためのルールを教えてもらった。


 その中の一つ。あらゆる命が平等であると。

 この世に生きる全てが尊いのだと、彼女はいつもそう諭していた。

 それが俺には理解出来ず、今でも分からないままだ。


 俺は身内と他人であれば身内を優先する。

 悪意で満ち溢れた世界で生きる為に、その区別が必要で、それだけがルールだったからだ。

 シスター・ナリアやオウカのように、全ての者を愛する事なんて出来やしない。

 親しい者と、敵。俺の世界にはその二分類しかない。


 そして、身内(サウレ)に害を成したベルベットは、敵でしかない。

 それならば、俺のやることは決まっている訳だ。


 だがそれは、誰にも気付かれずに済ませてしまおうと思っていたのだけれど。


「お前の敵を、俺は殺すよ。俺たちの敵は、俺が全部殺し尽くす」


 戦闘は嫌いだ。痛いし、怖いし、死にたくない。

 それは紛れもない真実だ。けれど。

 どれだけ嫌っていても、俺にはその生き方しか出来ない。

死神(グリムリーパー)』は、死を纏って生きて行くしかないのだから。


「……だったら私は、ライを守る」


 しかしサウレは俺の言葉に動じもせずに、強い意志を感じさせる言葉を口にした。


「……あらゆる敵からライを守る。貴方の命を、貴方の心を。私の愛する人は誰にも傷つけさせない。例えそれが、貴方自身でも」


 もう誰も殺させない。もう罪を背負わせない。

 そんな想いの込められた、決死の呟きだった。


「サウレ。俺は殺すしか能の無い化け物だ」

「……ちがう。貴方はただの人間。化け物なんかじゃない」

「違わないんだよ。俺は誰かに愛されて良い存在じゃ無いんだ」


 好意を向けられた。その事が酷く恐ろしかった。

 それはルミィだけでなく、アルも、サウレも、ジュレも、クレアも。

 彼女達を(けが)してしまう気がして、触れることすら躊躇って。

 俺はただ、逃げ続けて来た。


 それなのに。


「違うっ!」


 普段から寡黙な彼女は涙を浮かべながら、俺を見据えて叫んだ。


「私を受け入れてくれたように! 私もライを受け入れる! そして誰よりも、何よりも!」


 サウレが首を振ると同時に、紅い瞳から雫が飛ぶ。

 それはとても綺麗で、まるで宝石のようで。


「私はライを愛している!」


 その魂が込められた叫びは、俺の芯を貫いた。

 凍てついた心に熱した鉄を撃ち込むかのように。

 その凄まじいまでの衝撃に、被っていた仮面が剥がれ落ちる。

 その奥に秘められていた、俺の心を露出させて。


「……俺は、人形だ」


 囁くように漏れた心情は、しかし。


「違う! ライは私の英雄だ!」


 サウレの絶叫にかき消された。


「……俺は、殺すことしか出来ない」

「貴方は私を救ってくれた! この命も、心も!」

「……俺は。俺なんかが」


 己の目から、熱い何かが滴り落ちるのが分かった。

 それは留まる事無く頬を伝い、床で弾けていく。


「人間だと、言えるのか?」

「私は何度でも断言する! ライは私が一番愛する人間だと!」


 断言するサウレの目には、偽りがカケラも無かった。

 

 そうだったのか。自分の事なのにまったく気付きもしなかった。

 俺は、人間になれていたのか。

 追い求めていたものに、なれていたのか。


 既に人間にして貰えていたのか。


「……ライは、私が守る。私たちが守ってみせる」


 抱き締められた。優しく、強く。そして、温かく。


「……私たちはずっと傍に居る。愛するライの傍に、ずっと」

 

 強い想いが込められた言葉に。

 俺は、心の内を口にした。

 

「……そうか。じゃあ俺は、昔の俺を殺そう。サウレ達と一緒にいる為に、人間でいよう」


 ようやく決意できた。

 もう迷うことは無い。

 俺はもう、人間なのだから。


「サウレ、ありがとな」


 強く抱きしめる。その体は華奢で儚く、しかし確かな存在感があって。

 これが現実なのだと、改めて理解するには十分な温度を持っていた。


「……その感謝は、行動で表すべき」

「行動で?」


 戸惑う俺に、サウレは優しく微笑む。


「……愛を確かめあった二人がやるべき事は一つ。今から子作りをするべき」

「おい」


 ぶち壊しなんだが。


「……冗談。それはまだ先で良い」

「お前の冗談は分かりにくいんだよ」


 ぼやく俺から離れた時には、サウレはいつもの表情に戻っていた。

 あぁ、本当に。敵わないな。


「……次はアルの番だから、呼んでくる」

「そうだな。頼んだ」


 すっかり気の抜けた俺に対して。


「……私の未来は貴方と共に。愛してる」


 今まで見たことも無いような笑みを浮かべて、サウレは部屋を後にした。


 彼女のおかげで腹は決まった。

 ようやく過去と決別できた。

 これからは共に歩いて行こう。


 俺が俺である為に。


 て言うか今更なんだが、いつかは事に及ぶって事だよな。

 もちろん嫌じゃないし、男として望むところはある訳だけど。

 変に意識してしまいそうで先が思いやられるな。


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