54話「あいつも色々と厄介な奴だな」
湯上りで火照る体を冷ます為、狭い庭に出た。
今日は雲が無くて月が綺麗に見えている。
旅の途中だと常に警戒しなきゃならなかったけど、王都の中ならそんな心配もない。
窓の縁に腰掛けてリンゴのジュースを口にすると、喉から腹にするりと流れていく。
堪らない感触に思わず息を吐き、空を見上げながら考える。
俺は、どうしたいんだろうか。
田舎町に引きこもって戦いの無い生活を送りたい。
その願いは今でも変わらない。
ただ大きく変わったのが仲間が出来たという事だ。
親しい間柄、もはや身内として扱っているあいつらが一緒に来ると言った時、俺はどうするべきなんだろうか。
はっきり言って彼女達と居るのは心地良い。
色々とトラブルはあるものの、毎日を楽しく過ごせている。
だから着いてくると言うなら拒みはしない。
でも本当にそれで良いのかと思ってしまう。
俺と一緒に田舎町に行くということは、地位も名誉も捨ててしまうと言うことだ。
アルには戦いの才能があるし、サウレとジュレは一流冒険者、クレアもそれに近い実力を持っている。
それを失ってしまうこと。
言ってしまえば彼女達の今までの人生を無駄にしてしまうと言うことだ。
果たして俺にその価値があるんだろうか。
そして、俺はその責任を負うことができるのか。
もちろん彼女達は子どもではない。
自分の意志で未来を決められる奴らだ。
それでもやはり、その事を考えてしまう。
俺は、どうしたいんだろう。
一緒に行こうと、誘いたいんだろうか。
今の俺にとっては自分の心が一番分からない。
「あー……難しいもんだな」
ぽつりと独り言をこぼす。
月は変わらず輝いていて、世界を優しく照らしている。
夜風は無いが気温がやや低めで気持ちが良い。
そんな静かな夜を満喫していると、不意に気配が近付いて来たのを察した。
「どうした?」
「ひゃぁいっ!?」
振り返り様に声をかけると、部屋着姿のアルがビクンと体を跳ねさせた。
普段の鎧と同じくフリルの多い服だが、生地が薄いせいで体のラインがはっきりと浮き出されている。
特徴的な胸だけじゃなくて、細い腰や露出した太ももが艶てかしくて、ふいと目線を月に戻した。
「何変な声出してんだ」
「まさか気付かれてるとは思いませんでした!」
「罠師なめんな。さすがに気が付くわ」
常に敵の位置を補足しなければならない罠師にとって気配察知は必須技能だ。
実際に斥候を行ったことも何度もあるし、本職に負けない仕事が出来る自信はある。
「竜の牙」で鍛えられたからなあ、無理矢理。
「そんで、何かあったか?」
「いえ、その。ちょっと、アレでして」
「どれだよ。とりあえず座ったらどうだ?」
「それじゃお邪魔します!」
アルがぽすんと隣に座る。
今までより距離が近い気がするが、あえて指摘はしなかった。
俺と同じジュースの入ったカップを渡すと、両手で包むように抱えてくいっとあおる。
「ぷは。これ美味しいですね!」
「自家製だ。旅先だと酒が飲めないこともあるからな」
リンゴの搾り汁に蜂蜜を混ぜたものを薄めたジュースだが、これが疲れた時にちょうど良い。
塩を振った干し芋と合わせると美味いが、今は夕食後なので控えている。
「ライさんってなんでも出来ますね」
「まあ色々努力したからなー」
「なるほど。ところでライさん、ちょっと聞きたいんですけど」
「なんだ?」
アルらしくない静かな声に改めて隣を見ると、俯いたままカップを握りこんでいた。
サラサラの前髪が目元を隠しているせいで表情は分からないが、声音は真剣そのものだ。
「私はライさんが好きですけど、ライさんはどうなんですか?」
ぽつりと口にした言葉に、即答することが出来なかった。
数秒ほど考え、嘘を吐いても仕方がないかと思い、正直に告げる。
「わからん」
「……は?」
「いやな、お前の事は好きだよ。残念な部分もあるけど素直で頑張り屋だし、危ないけど良い奴だって思ってる」
ヤバい奴って認識は変わらないし、いつも気を張ってなきゃならないけどな。
それでも、好きか嫌いかで言えば好きだと断言出来る。
なのだが。
「でも恋愛対象と言われると……どうしてもヤンデレの恐怖が頭の中に浮かんでくるんだよ」
これに尽きるんだよなあ。
いや、アル達には割とマジで申し訳無いとは思ってるんだが……
これに関してはトラウマを克服しない限りはどうしようも無いと思っている。
「すまん。少しずつマシにはなってきてるんだが、まだ時間がかかると思う」
「むむ。つまりそれをクリアしたら大丈夫って事ですか?」
「分からん。だけど進展はある、と思う」
苦笑いを返すと、アルはカップを横に置いて、そっと俺の手を握り締めた。
小さくて暖かな感触。
以前は背筋に悪寒が走っていたが、すでに慣れきっているせいか特に拒否反応はない。
そんな俺の反応を見て、彼女は女神のように優しく微笑んだ。
「じゃあライさんが慣れるまで、私はずっと傍にいます」
俺の手を胸元で抱きしめて笑う彼女は、まるで聖女のように見えた。
普段の幼い様子は想像も出来ないような、まるで俺を包み込むような笑顔。
その姿に一瞬、胸が高鳴る。
そして、我に返ると。
アルの豊満な胸に、自分の手が手首まですっぽりと埋まっている事に気が付いた。
ふにゃりと柔らかな感触。
ほのかに香る甘いの匂い。
うっすらと頬を赤らめたアルの顔に。
「うぉわっ!?」
全身に鳥肌が立ち、反射的に手を引っこ抜いた。
そんな俺を見てアルがクスクス笑う。
こいつ、分かっててやりやがったな。
「あはは! 少しずつ慣らして行きましょう!」
「お前なあ……勘弁してくれ、マジで」
「このくらい許されると思います!」
許され……るのかなあ、これ。
まあ自分でもロクでもない事は自覚してるけど。
何せ告白してきた女の子に対して返事を保留してる訳だし。
だからって、こういうのは辞めてほしいけど。
「タチの悪い奴め……話が終わったならリビングにでも行ってろ」
「あれ、一緒に行かないんですか?」
「俺はもう少し涼んでから行く」
「了解です! じゃあ向こうで待ってますね!」
普段の朗らかな感じに戻ったアルは、そのまま元気良く去っていった。
その姿を見送りながら大きくため息を吐いた。
体の火照りが、すでに風呂とは関係の無い事になっているのを自覚しながら。
あいつも色々と厄介な奴だな。