43話「王城に行かなきゃならんだろうな」
鉄製の炒め鍋を二つ同時に振る度に、大量の具材が宙を舞う。
そのタイミングでチビに調味料を流してもらうと、じゅわっと音を立て、甘く芳ばしい香りが立ち込めた。
よし、完成だ。
「はいよ、野菜炒めだ。次は生姜焼きか?」
「はい! 揚げ物はもうすぐ上がります!」
「よしきた。サウレ、切り分けの方はどうだ?」
「……八割ほど終わった」
「でかした。おーい、肉と野菜の追加頼むわ!」
炒め鍋が四つに、芋を茹でている深鍋が一つ。
これが俺の担当だ。
持ち場から離れることが出来ないので、食材は料理の出来ないチビ達に運んできてもらっている。
次々と肉と野菜、調味料を注ぎ込んでもらい、せっせと炒め鍋を振る。
相変わらずの忙しさだが、それが心地良い。
一心不乱に料理をしていると、不思議な清々しさを感じる。
そう、これだよこれ。俺にはやっぱり、こういう普通の仕事が向いてるんだよ。
「セイにーちゃん! 追加が入ったよ!」
「分かった、注文表はそこに貼ってくれ」
もう昼過ぎだというのに注文が途切れない。
この忙しさは昔のままだ。
昔はただ見ているだけだったが、炒め鍋を振れるようになってからは毎日のように調理場にってたな。
当時店長だったフローラさんに働きすぎだと叱られたが、当の本人の方が絶対働いていたと思う。
まぁ今はとにかく、目の前の事を終わらせるか。
二時間後。ようやく人の波が途絶えたところで休憩を取り、裏手でサウレと共に水を飲んで一息ついた。
ずっと火の前に居たせいで体が火照りきっている。水を浴びたい気分だが、それは宿に戻ってからだな。
のんびりと涼んでいると、不意に目の前に白い魔力光が集まり出した。次いで、しゅぱんっと転移魔法特有の甲高い音。一際後、光が強まる。
思わず目をつぶり、そしてゆっくり開くと。
そこには予想通りの人が立っていた。
片目が隠れるほどの長さの黒髪。その奥から覗く黒真珠の様な瞳。少し大きめの豪奢な魔導師のローブを身に纏う姿はどこか可愛らしい。
「…………あ、れ? セイ、君?」
「カエデさん、どうもです」
「わ。久しぶりだ、ね」
花が咲いたかのように可憐に微笑む。
救国の十英雄の一人、ミナヅキカエデ。
『天衣無縫』の二つ名を持つ少女。
ありとあらゆる魔法を使いこなす英雄として知られ、『魔法使い』と言えばこの人の事を差す程に有名だ。
定期的にオウカ食堂の子ども達に魔法を教えに来ていて、王都で一番遭遇率の高い英雄でもある。
俺に身体強化の魔法を教えてくれたのもカエデさんだ。
「今日も教えに来たんですか?」
「そうだ、よ。セイ君は、どうした、の?
「絶賛逃亡中です。あぁ、こっちはサウレ。俺の仲間です」
「……初めまして」
お、珍しい。ちゃんと挨拶できたな。
優しく頭を撫でてやると、目をつぶって嬉しそうに手を押し返してくる。
俺もだいぶ慣れてきたな、と思い、自然と笑みがこぼれた。
「ね。二人は付き合ってる、の?」
「は? いえ、違いますよ」
「……ライは私の飼い主」
「それも違う」
「仲が良いんだ、ね」
あー。まぁ、仲が良いと言うか、懐かれていると言うか。
正直悪い気はしない。どころか、かなり嬉しい。
サウレは問題はあるものの、美少女だし、良い奴だし。
ただ、見た目の年齢的に困った妹的な扱いではあるが。
「そういや、さっきオウカがカノンさんに連行されて行きましたよ」
「うん、知って、る。カノンさん、凄く怒ってた、よ」
「変わりませんね、あの人達」
「て言うか、みんな変わりないか、な」
「あー。でしょうね」
個性的な面々を思い出し、苦笑い。
十英雄はみんな良い人ばかりなんだが、そのほとんどが異様なほど癖が強いからな。
そうそう変わる事はないだろう。
「それで、逃亡中ってな、に?」
「凶化した仲間から逃げてる最中です。村にでも行って引きこもろうと思ってます」
「……なんか、大変なんだ、ね」
困ったように笑う。さすが十英雄の癒し担当。
微笑むだけで和やかな気持ちになって来る。
と、何気ないやり取りをしていると、隣のサウレに袖を引っ張られた。
「……いつもより自然体」
「そうか? まぁ付き合いもそこそこあるからな。世話にもなってるし」
「……不服。もっと私にデレるべき」
「うーん。まぁ、そのうちな」
手慰みに頬を指でぷにぷにしながら苦笑いする。
相変わらず手触りが良い。されるがままになっている様子も可愛いと感じた。
しかし、これでもかなり慣れてきたと思うんだがなぁ。
特にサウレ相手だと、こちらから触れる分は全く問題無い。
と言うか、楽しいとさえ感じる。
……油断したら性的に食われそうで怖いけどな。
「あぁ、て言うか引き止めてすみません」
「大丈、夫。それより、王城に顔を出してあげ、て。
みんな喜ぶ、よ」
「うっ……分かりました」
オウカに続き、カエデさんにまで釘を刺されてしまった。
はぁ……あまり気は進まないが、行くしかないんだろうな、これ。
「じゃあ、私は行くか、ら」
「はい。ではまた」
「お仕事、頑張って、ね」
両手で小さくガッツポーズを取る様につい笑みを浮かべ、店の中へ入っていく彼女を見送った。
「……ライ。手を握って欲しい」
「は? 何だいきなり」
唐突にサウレに言われ、言われるがままに手を握る。
すると、彼女は穏やかに微笑みながら、その手を胸に引き寄せた。
「……うん。やっぱり、私はライが好き」
いつもの言葉、いつものやり取り。
しかし何故か、心臓が少しだけ跳ねた。
万感が込められたような囁きに、訳も分からず焦る。
扇情的な衣装とは裏腹に無垢な笑顔を浮かべるサウレに対し、どうしたらいいか分からず。
とりあえず、照れ隠しにもう一度、頭を撫でた。
さておき。恩のあるカエデさんにまで言われてしまった以上は。
王城に行かなきゃならんだろうな。