99話「今夜はゆっくり楽しませてもらおう」
狩ったオークを三匹ほど御者さんにお裾分けし、馬車で進むこと三日ほど。
ようやく目的地に到着することができた。
基本的に揺れる馬車に座りっ放しだったから尻が痛い。
馬車を降りて伸びをして、そしてようやく周りを見渡す。
久しぶりの町は相変わらず穏やかだった。
見慣れた町並み。子どもたちの遊ぶ声。美味そうな料理の匂い。
全部、昔のままだ。懐かしさを感じ、自然と笑顔になる。
「……ここがライの故郷」
「素朴な町だね!」
「田舎だからな。見る場所なんて学校しかないけど、良い町だよ」
「それはそうですよ! ライさんの故郷だから当然です!」
「ボクとしてはライにお母さんにご挨拶するのは緊張するかな!」
「お義母様……粗相のないように気をつけないと。とりあえずライへの愛情を語れば良いのかな」
「ルミィはほどほどにしておけよ。まぁ、ともかく」
何となく気恥ずかしさを感じながらも。
「ようこそ『始まりの町』へ」
そう言って、両手を広げて歓迎した。
※
「おいそこの不審者。素通りしてんじゃねぇよ」
町門を通って中に入ろうとしたところ、不愛想なしかめっ面に呼び止められた。
相変わらずの様子に苦笑しながら軽く手を上げ、ハイタッチ。
「おいおい。ご挨拶だな」
「教会に手紙の一つも寄越さなかったらしいじゃねぇか。何年ぶりだ?」
「さぁ。五年くらいか?」
「変わらないなお前。シスター・ナリアが心配してたぞ」
「何かやらかさないかってか?」
「正解だ」
顔を見合わせて二人揃ってニヤリと笑う。
「良く戻ったな。夜にでも飲みに行こうぜ」
「ただいま。そこはまぁ、シスター・ナリア次第だな」
「ははは、確かにな。せいぜい説教されてこい。ところでそっちのお嬢さんたちは冒険者仲間か?」
「いや、こいつらは俺の……その、婚約者、だな」
気恥ずかしさに言い淀むと、何かみんなに笑われた。
笑みの質はそれぞれ違うけど。
アルとクレアは太陽みたいな笑顔で、サウレはほんの少しだけ口角を上げて、ジュレはちょっとアレな表情で、ルミィは恍惚の表情で。
うーん。性格が出てるなー。
「五人もか!? お前、マジで色々聞かせろよ!」
「おう、しばらくはこっちにいるから、また今度な」
パチンとハイタッチすると、木製の大きめな門を潜り抜けた。
※
王都と違いロクに舗装もされていない道を歩く。
本当に昔と変わらない。懐かしい光景を嬉しく思いながら進み、そして。
なんか、見慣れない建物に辿り着いた。
……あれ。ここで間違ってないよな?
俺の記憶だとボロボロの廃屋みたいな教会がここに立っていたはずなんだけど。
いや、ていうか、なんだこれ。
「ここがライさんの育った教会ですか! 立派ですね!」
「……貴族の家?」
「いや、昔はもっとこう、今にも潰れそうな建物だったはずなんだけど」
うん。サウレの言う通り、貴族の屋敷にしか見えないな。
明らかにシスター・ナリアの趣味じゃないと思うんだけど、何があったんだこれ。
……いや、悩んでも仕方ない。とにかく中に入るか。
両開きの大きなドアにノッカーがあったのでコンコンと鳴らしてみる。
音に歪みが無い。最近作られたばかりだな。となればおそらく、同郷の女王陛下が何かやらかしたんだろう。
本当にいろんなところに影響を及ぼしてるなアイツ。
ノッカーを鳴らして数秒後、隣にあった小さな通用口から見慣れた顔が現れた。
真っ黒で飾り気のない修道服。フードから溢れる銀色の髪。そしていつでも温和な表情の女性。
年齢を聞くと無言で恐ろしいほどの圧を掛けてくる、けれど誰よりも優しくて、眩しくて。
俺が憧れた。俺を育ててくれた。俺にとって唯一無二の恩人。
ナリア・サカード。俺の育て親はこちらを見ると、女神教のシスターらしく慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。
「おかえりなさい。久しぶりですね」
「ただいま、シスター・ナリア」
彼女の相変わらずの様子に懐かしさを覚え、笑みを返しながら軽く手を上げた。
※
「それで、今日はどうしたんですか?」
入り口近くにあった全く見覚えのない広間に通され、紅茶を出してもらった後。
正面に座ったシスター・ナリアはにこにこしながら聞いてきた。
あ、やべ。やっぱりめっちゃ怒ってんなー。
目が笑ってないし。むしろ射殺してきそうな眼光だし。
長いこと連絡もしてなかったからなー。
「いや、その……冒険者を辞めようと思っててさ」
「あらあら。そうですか」
「で、こいつらと辺境で暮らすことにした」
「……まぁ。それは驚きですね」
ぱちくりと一度瞬きをした後。
シスター・ナリアは、いつもの微笑みを浮かべていた。
昔はよく分からなかったけど、今なら分かる。
これは大きな愛情の込められた笑顔。母親が子に見せる顔だ。
「なるほど。貴方は、人を愛せたのですね」
穏やかな祝福。
心に染み入る温かさを感じて胸が熱くなる。
同時にどこかむず痒さを感じ、何となく後頭部を指でかいた。
「えーと。何か恥ずかしいんだけど……まぁ、そうかな」
「じゃあお説教は無しにしておきましょうか。もちろん紹介してくれるんでしょう?」
「あぁ、一人ずつ紹介するよ」
どこから紹介したもんだろうか。
ありのままを話すのはちょっとまずい気がするし、所々ぼかしながら伝えるか。
※
かなりの間話し込んでいたみたいで、気が付いたら窓の外はすっかり暗くなっていた。
シスター・ナリアに俺の子どもの頃の話をされた時は焦ったけど、みんなの反応は悪くなかったから良しとしよう。
「ショタのライも可愛かったのね」とか「何とも嗜虐心がそそられる性格ですね」とか言ってた馬鹿もいたけど。
それより夕飯だ。せっかくだからこっちで食っていきたいんだが、さて。
「シスター・ナリア。夕飯なんだけど」
「もう用意してもらっているわよ。食堂に行きましょう」
「そうか、ありがとう。みんなも……なんだ、どうした?」
言いながら振り返ると、なんか五人そろっておかしな動きをしていた。
顔を真っ赤にして目を潤ませてたり、自分を抱きしめて悶えてたり、鼻筋押さえて上向いてたり、目を濁らせて飛びかかる寸前だったり、まぁ色々と。
そんな中で唯一普段通りだったサウレが俺の袖をくいっと引いてきた。
「サウレ、どうかしたか?」
「……ライ。ずっと笑ってる」
「は? え、そうか?」
思わず頬を触ると、確かに笑顔を作っているようだ。
意図していない表情を浮かべていたことに驚き、思わず顔を手で覆った。
「……最近たまに笑うけど、今日はずっと笑顔。とても幸せそうな顔をしている」
「あー。いや、これはだな。つい気が緩んだというか」
「……ライが幸せなら私も幸せ」
「……おう。ありがとな」
意識して苦笑しながらサウレの頭を撫でると、いつものようにぐいぐいと頭を押し付けてくる。
いかん、つい顔が緩みそうになるな。気をつけないと。
どうも最近、みんなの前だと素の感情が表に出やすくなっているようだ。
「あらあら、仲が良いんですね」
「う。いやまぁ、否定はしないけど……勘弁してくれ」
「はいはい。じゃあお見送りしましょうね」
くすくすと笑うシスター・ナリアに連れられて通路を歩く。
しかしまぁ、来た時も思ったけど家が豪華というか。装飾がないだけで貴族の邸宅と似たような造りだな。
どんだけ金かかってんだこれ。
どうせオウカの関係者の仕業だろうけど、ちょっとやりすぎじゃないか?
「なぁ、この家って誰が作ったんだ?」
「それがね。王都の名匠『ワゼル』さんなのよ」
「は? ワゼルって女神教の本神殿を造った爺さんか?」
「英雄様の故郷の教会だから立派にしないといけないって。私は必要ないって断ったのですけれど」
俺も一度会ったことあるけど、あの偏屈そうな爺さんがわざわざこんな田舎まで来て教会を立てたのか。
なんて言うか、うん。あいつのまわりってどうなってんだろうな。
伝説の大安売りじゃねぇか。
「おかげで隙間風も無くなって助かっていますけれどね」
「そんなレベルの話じゃないと思うんだけどな」
もはや呆れるしかない。さすが英雄様とでも言っておくか。
本人は絶対嫌がるだろうけどな、と思い苦笑しているとすぐに食堂に辿り着いた。
さて、久しぶりの故郷の食事だ。
まだまだ話したいことも聞きたいことも山ほどある事だし。
今夜はゆっくり楽しませてもらおう。