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32.本物の微笑み

「これ、ささやかですが、お土産です。私が焼いたアップルパイです」


「前に話してくれた手作りのアップルパイだね。ありがとう」


 ルーカスは嬉しそうな声で、アップルパイを受け取った。


 今日、カリナはオランジア公爵家へとやって来た。 

 ルーカスからお茶の時間に招待されたのである。


(話したいことがある。そう言っていたけれど。何かしら?)


 気持ちを伝えあってから一週間ほど。

 お互いやっと、赤面せずに普通に話せるようになったところだ。


 長い廊下を歩きながら、カリナは緊張気味にルーカスに尋ねた。


「オランジア前公爵夫人はいらっしゃいますか? ご挨拶をしたほうがいいかと」


「母には、しばらく領地で謹慎してもらっているんだ。さすがに反省してもらう必要があるからね。王妃殿下はしばらくの間、宮殿に人を招くことや社交の場に出ることを陛下から禁じられたそうだ」


「そうでしたか‥‥‥」


 国王の暗殺計画に関わった者については、今、処罰が検討されているところ。


 隣国については、直ちに攻め込むことはしない。

 だが、他国に逃れていた前王側の貴族達の決起を支援をすることが国王により、決められた。

 隣国を新たな国に生まれ変わらせる為の戦いに、協力することになるのだろう。


「ところで、力を失ってから、体調には変化はない?」


「ありません。大丈夫です」


「そう。ならよかった」


 カリナはルーカスに妖精の力が無くなってしまったことを伝えた。


 占い店は閉めている。

 占うことは相変らず好きだが、妖精占いという看板はもう使えない。

 それに、当たらないと分かっていて、占いを続けるのは気が引ける。

 占いとは、そういうものなのかもしれないが。


 先のことはまだ考えているところ。

 ここ3日ほど、カリナはオリビアと行ったことのある近所のカフェの手伝いに行っている。


 なお、オリビアにはルーカスとのことを伝えた。

 彼女は驚いた後、泣きながら喜んでくれた。

 今度、恋人の心を離さない為のテクニックをたっぷりと教えてくれるそうだ。

 

 それより今のカリナは、胸がドキドキしてどうにかなってしまいそうである。

 好きな人の家に招かれたこともある。だが、あまりにも立派な屋敷すぎるのが原因だ。


 廊下には、絵画や彫像が飾られている。


(この絵、きっと高いわね。さすがオランジア公爵家)

 

 なんて思いながら歩く途中、ある一枚の絵に目を止めた。

 そして、息を飲んだ。


「ルーカス様、この絵‥‥‥」


「その絵か‥‥‥。その絵についてはお茶を飲みながら話そう」


(この絵が、話したいことなのかしら?)

 

 カリナは首を傾げる。

 ルーカスはそれだけ言うと、歩き出した。






 お茶の用意は素晴らしいものだった。

 可愛らしい小さなケーキが並び、お茶の味も普段飲んでいるものとは格段の差。


 カリナが持ってきたアップルパイがみすぼらしく見える。

 だが、ルーカスは早速、そのアップルパイをメイドに切らせた。 


「これが今日、私が話したかったことなんだ。見ていて欲しい」


 そう言って、彼はアップルパイを口に入れた。


(アップルパイを食べるところを見せたくて呼んだの? そんなはずないわよね)

 

 不思議に思いながら、カリナはその様子を見た。


「うん。美味しい。カリナ嬢のアップルパイは世界一だな」


 その時、カリナはまた幻覚を見た。

 彼の口元には微笑みが浮かんでいたのだ。

 それは本当に幸せそうな微笑み。


 ぼうっとその笑みを見ていたカリナは、数秒後、目をパチパチとさせた。


(えっ! な、何、今の!)


「ごめん。驚かせて」


「ル、ルーカス様、い、今、本当に笑って!」


 夢かもしれない。

 カリナは頬をつねってみた。

 だが、どうやら夢ではないようだった。


 そう、今、ルーカスの顔に浮かんでいた微笑みは幻覚ではなかった。

 本物だったのだ。

 

「誘拐されたショックで表情を失った。‥‥‥これは、嘘なんだ」


 彼の顔には悲痛な表情が浮かんでいる。

 カリナはさらに驚き、思わず大きな声で言った。


「い、今更、嘘だなんて!」


 今まで、それを知らされなかったことの悲しさと怒り。

 そんな感情がカリナに心に浮かんだ。


「誘拐のことはショックだったが、自分の迂闊さが招いたこと。ショックというより自分に怒りをずっと感じていたんだ‥‥‥。とにかく、黙っていてごめん。好きだという前に伝えるべきだった」


 彼の表情も声も、ごめん。その言葉通りのもの。


(そんな顔されたら、強く言えないじゃない)


 浮かんでいた怒りのような気持ちは、たちまち萎んた。

 カリナはただ、ため息をついた。


「無表情も嘘で理由も嘘ということなんですね?」


「そうなんだ。メイソンから、カリナ嬢に話したことは聞いてはいたんだけど、言い出せなかった」


「‥‥‥本当の理由は何なのですか?」


「周囲の人々は皆、私の無表情も嘘の理由も、本当だと信じている。本当のことはリンダとアルバート殿下しか知らない。メイソンは口が軽いから」


「そんなこと、何の為に‥‥‥」


 カリナは呆れたように言う。


「幻滅されるかもしれない。でも、伝えなくては。まずは、あの絵のことから話そう」


「あの絵? あれが何か関係が?」


「恥ずかしいが、いずれ分かること。それに私が無表情を装うことになった出来事にも関係がある」

 

 絵と聞いてカリナはピクリと反応した。

 しかし、それが彼の無表情とどう関係があるというのだろう。


「あの絵、私が見た妖精にそっくりなんです」

 

 そう、あの絵は金髪に青い目の少女の姿をした妖精。彼女と瓜二つ。


「‥‥‥あれは、私なんだ」


 ルーカスは、小さな声で言う。

 どうやら、恥ずかしいよう。

 

「えっ! あの女の子がルーカス様!」

 

 カリナは驚きのあまり、口をパクパクとさせる。

 紅茶をグイっと飲み干し、カリナはなんとか落ち着きを取り戻した。


「9歳の時、誘拐して私が誰にも分からないような場所に匿われていたのは知っているね?」


「はい。メイソン様から聞きました」


「叔父と内通している者が他にもいるかもしれないと祖父は思った。私は、信頼できる従者と護衛、そして侍女と共に祖父の親友の領地へと向かった。その土地の森の奥にある猟師が使っている小屋を隠れ家として、半年暮らした」


「そんなところで‥‥‥」


「不便だったが、楽しかったよ。ただ、そこで、私は女の子として暮らしていたんだ。絶対に私が隠れているとはバレないようにと祖父が考えたことでね」


「それであんな格好を」


「あぁ。母がどうしても肖像画にすると聞かなくてね。しかも屋敷の目立つ場所にずっと飾っている。そろそろ外したいんだが。いずれ知られること。恥ずかしくても言わなくてはと思って‥‥‥」


 あの絵は、どう見ても妖精そのものだった。

 親なら、あの美しさを自慢したくもなるだろう。


「その隠れ家で妖精と会ったのですか? それが無表情とどんな関係が?」


「妖精には、隠れ家の近くの泉のほとりで会った。追いかけっこをして遊んだ後、質問したんだ」


「質問?」


「私は自分の容姿のことで悩んでいてね。そのことで、質問をしたんだ」


「容姿、ですか?」


 その容姿で何を悩むのか。

 カリナには分からない。


「幼い頃から自分の容姿は悩みの種だった。メイドや侍女がチヤホヤするのも容姿のせいだとその頃には気付いていた。勉強や剣術の成績より、机に向かっている姿や剣を持っている姿が美しいですと言われていたし」


「その頃にはもう‥‥‥」


「それに最初の婚約者は顔合わせの時からおかしかった。ぼーっと私を見て、次からは着てくる服の希望が届くようになった。お伽噺の王子様みたいなヒラヒラした服だよ。まるで、私は彼女の着せ替え人形みたいだった」


「好きな人にこうあって欲しいという願望‥‥‥でしょうか?」


 一目惚れして、理想と違ったら婚約破棄。つまり、彼女は一目惚れした相手に理想を求められたのだろう。

 このあたりの話は、オリビアに聞いてみるのがいいかもしれない。


「多分ね。で、誘拐された後、見舞いに来てくれた彼女はこう言った。「お顔は、美しいお顔にお怪我はありませんか?」とね」


「顔の心配ですか?」


 普通なら、命が助かってよかったとか、体の心配をするだろう。


「あぁ。そうだ。それで悟った。彼女は私ではなく、私の顔が好きなんだとね。まぁ、政略結婚だから好きも嫌いもないが、心底がっかりした」


 カリナはふと思った。


「ルーカス様、もしかして彼女が好きだったのでは?」


「うん。多分、初恋だった。可愛らしい子だったし。嫌な服を着たのも、彼女の為に我慢していたんだと思う」


 彼女のことを思い出したのか、彼は寂しそうな目をした。


「それで、妖精に質問を?」


「そうだ。好きな人に嫌われるにはどうしたらいいかと聞いた。一生、私の表面しか見ない彼女の着せ替え人形だと思うと嫌気がさしてね」


「妖精が無表情になれと言ったのですか?」


「そんな感じだ。結果、望んでいた通り婚約破棄になった。2回目、3回目の婚約者も同じでね。着せ替え人形だったり、物語の騎士と同じセリフを言う役者のように扱われた。でも、すぐに無表情で気持ち悪いと言われた」


「それって、酷くないですか! 幼いとはいえ‥‥‥。理想を追う女の子の気持ちは分かりますけど、まるでおもちゃみたいに!」


 カリナは思わず声を荒げた。


(私、ルーカス様にそんなことは望まないわ。優しい声で態度で、一緒にいてくれるだけで‥‥‥)


 ルーカスは「ありがとう。やっぱり君は私を見てくれている」と微笑んだ。


 実際に見る彼の笑顔にはまだ慣れない。

 だけどそれは、彼の声で見ていた幻覚そのままだった。


「社交会デビューしてからの4回目と5回目の婚約者は、毎日のように私をパーティに連れ出してね。でも、ただ自慢したいだけだった。こんな男を連れているってね」


「自慢だなんて‥‥‥」


「彼女達は、私といるのが楽しいわけではなさそうだった。ただ、女性達に羨望のまなざしを向けられている私を見るのが好きみたいだった。彼女達と行ったパーティでダンスを楽しんだことなんてない。‥‥‥だから、彼女達の前で笑おうなんて思えなかったんだ」


(好きな人とパーティに行くのが夢だと言っていたのは、そういうことなのね)


 ルーカスの浮かべる辛そうな顔。

 カリナはその表情を見て、納得した。


「それで、ずっと無表情を貫いていたのですね。理由はよくわかりました。でも、もっと早くお話しして欲しかったです」


 カリナは怒ったように言う。

 無表情だろうが表情があろうが、彼を想う気持ちには変わらないのだけど。


 ルーカスは「本当にごめん」と小さく言い、下を向いた。


「ずっと、自分の中身に自信が無かっただけなんだ。祖父に厳しい男になれと言われたのに、できなくて。自分には見た目でしか人が寄ってこない。ずっと、そう思っていた」


「ルーカス様‥‥‥」


「だけど、やっと自信がついた。カリナ嬢が私を分かってくれたから。だからもう、無表情でいるのはやめようと思う。きっと、今の私なら、自分の良さを人に分かってもらえるような行動ができると思うんだ」

 

 ルーカスは前向き、カリナを見つめた。

 そして最後に、「本当にごめん。どうか、このことで嫌いにならないで欲しい」と泣きそうな表情で言った。 


 カリナはルーカスを抱きしめたい。そんな気持ちになった。

 もちろん、そんなことはできないのだけど。


「嫌いにはなりません。もっと好きになりました。笑顔、とっても素敵ですよ。それより、ルーカス様の優しさのほうが、もっと素敵ですけど」


 カリナはそう言い、ルーカスに微笑んだ。

お読みいただきありがとうございました。

次回が最終回です。

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