10.出張占い(3)
紙切れを拾い上げたルーカスの目に、その紙に書かれた文字が飛び込む。
その時のルーカスの顔。
それを見た者は、彼を鉄仮面だなんて呼ばなかったに違いない。
彼の顔は、彼にかけられたワインの様に赤かったのだから。
ただ、一瞬のことではあったが。
すぐにルーカスは、メモを丁寧にたたみ、自分のズボンのポケットへと入れた。
その時、彼にワインをかけた二人は我に返り、カリナと同じように拭くものを取りに行っていた。
横の占い師からは仕切り板のせいで彼の顔は見えなかった。
だから誰も、彼の顔の変化には気が付かなかった。
カリナだけはその名残に気が付いたのだが‥‥‥。
「タオルを借りて、濡らして来ました」
「ありがとう。ハンカチでも少し拭き取ることができたし、あとは自分でできる‥‥‥」
「いえ、お拭きします。顔にまだ、ワインがついていますよ。ご自身ではどこについているかわからないでしょうから」
カリナはルーカスを占い用の椅子に座らせ、ワインを拭き取った。
(あら、ルーカス様の頬、少しだけ赤みが残っている。やっぱりハンカチじゃ上手く拭き取れなかったのね)
カリナはルーカスの頬を、ごしごしと拭いてしまったのだった。
パーティは無事に終了した。
「あぁ、やっと終わった。結構忙しかったわね」
運命の花嫁の件も、幸か不幸かワインのお陰でうやむやになって良かったわ。
そう心で呟き、カリナは片づけを始めた。
ワインの件以外は大きなトラブルもなく、カリナは上機嫌だった。
(さすがにルーカス様もクレームは出さないわよね。それどころじゃなかったし。それにしても服にシミが残らなければいいのだけど。グリーンティア男爵家ならワインのシミは大目玉を食らうわ)
なんて考えながら、カリナは片づけを終えた。
その時のこと。
「カリナ嬢、今日は本当にありがとう。君のお陰で、恥をかかずに済んだよ」
「ルーカス様‥‥‥」
ルーカスは誰かから借りたのか上着を着替えている。
「ローブは後日、洗って返す。仕事に差し支えはないだろうか?」
「替えのローブはありますが‥‥‥。いいですよ、今、返していただけば」
「いや。洗って返す」
カリナにはルーカスが照れているように感じた。
先ほどからカリナと目を合わそうとしないからだ。
(どうしたのかしら? いつもは表情はなくても、目線を合わせて話してくれる人なのだけど。ワインの件で、恰好が悪いところを見せたとでも思っているのかしら?)
ルーカスはふぅっと息を吸い、言った。
「カリナ嬢は、喜劇を観るのが好きなんだね?」
「はい‥‥‥」
急に何を言いだすのだとカリナは首を傾げた。
確かに喜劇を観るのは好きだ。何故、彼がそれを知っているのだろうか。
「では、今日のお礼に喜劇のチケットを贈ろう。最近、できた喜劇専門の劇場へ一緒に行かないか?」
「えっ、お礼だなんて。そんな大したことはしていません」
答えながら、そうかとカリナは思った。
カリナのすぐあと、ルーカスにワインをかけた男女が戻ってきた。
二人はしきりにルーカスに詫びていた。
離れたところではあったが、三人の姿がカリナからは見えた。
客との会話が、もしかしたらところどころ聞こえていたのかもしれない。
その客は「彼女にプロポーズが成功するか」を占って欲しいと言った。
カードが示した答えは「成功する」「場所は劇場か芝居小屋」だった。
(あの時、彼女が喜劇が好きだから喜劇を観た後にプロポーズすると彼は言った。私が「私も喜劇が好きですよ」と言ったの、聞こえていたのね)
その時からお礼を考えていたのなら、ルーカスはとても律儀な人だ。
「占い店の次の休みの日に一緒に行こう。是非、お礼をさせてくれ」
ルーカスは再度言う。
その言葉は強く、断れそうにない。
何で、あなたと。
運命の花嫁を見つけろと言われるのが分かっていて、行きたいわけがない。
カリナはそんな言葉をぐっと飲み込んだ。
「わかりました。逆にお気を使わせてしまい申し訳ありません」
仕方なしにカリナは答えた。
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