13話① 止まった時計
「幸人、大丈夫か?」
目を開けると、そこには心配そうな顔をして俺の顔を覗き込む父さんがいた。さっきのパトカーのサイレンは、父さんが乗ってきたパトカーの音だったんだろう。
「……父……さん?」
遥が助けを呼んでくれたんだ……警察の制服を着る時間もなかったのか、父さんが上半身に着ているのは、制服の下に着る白いYシャツだけだった。
「あっ! あ、あの……! そのっ!」
意識がまだふわふわする中、俺はここで何があったかを父さんに説明しようと、なんとか言葉を出そうとしたけど、うまく言葉が出てきてくれない。
「何も言わなくていい」
そんな俺を、父さんは抱きしめた。
「…………全部、分かってるから」
多分、遥から何があったかを聞いていたんだろう。
そこら中に血が飛び散っているリビングをぐるっと見渡した父さんは、目に涙を浮かべているのに、俺を安心させるために口元だけは笑顔にしようとしている。
父さんのこんな悲しそうな顔は見たことがない……
「……辛かったな。苦しかったな……よく頑張った」
自分も辛いはずなのに、父さんは俺のことを励ましてくれる。
ただ、本当に痛い思いをしたのは俺なんかじゃない。本当に痛い思いをしたのは……体を張って遥を守った母さんと、母さんを目の前で殺された遥だ。
「遥は……遥は無事?」
「今はパトカーの中で眠ってる。大きな怪我もしてない」
「っ! よかった……本当によかった……」
父さんの口から遥の無事を伝えられた時、俺は全身の力が抜けた。
「ぅ……ゔっ……よがっだぁ……んぐっ……」
我慢していた涙がどんどん出てくる。母さんが命をかけて遥を守ったのは、無駄じゃなかったんだ。母さんは本当に強い人だ。
「幸人……手に持ってるそれ渡してくれるか?」
悲しいとか嬉しいとか、色んな感情が混ざって、泣きじゃくる俺とは違って、いつの間にか目元の涙が乾いている父さんは、いつもより低い声でそう聞いてきた。
「それ……? っ!! うわっ!!」
それを見た時、俺は思わず声を上げて、サッと手を放した。母さんと、竜胆くんの血で、元の色が分からなくなっているほど真っ赤な包丁を。
俺が竜胆くんを刺して、気を失ってから、今までずっと無意識で手に持っていたんだろう。見ると、俺の右手が血で汚れている。
「……これで、こいつは桜を刺したのか」
「父さん……?」
カランカランと音を鳴らしながら床にたたきつけられた包丁を、父さんは何か言いながら拾い上げた。
何を言ったかは聞こえなかったけど、手に取った包丁を見つめながら、怒っているようにも、悲しんでいるようにも見える顔をしている父さんが、俺は少し怖くなった。
いつかの会話で父さんは、警察を前にしても、凶器を持った犯人は目つきがすごく変わると言っていた。それを今、俺は実感している。
「…………」
少しの間、包丁を見つめた父さんは、
「ごめんな幸人、こんなことしかできない父さんで」
一言、俺にそう言って
「っーーーー!!」
喉がちぎれるんじゃないかと思うほど、大きな声で叫んで、
「ぁがっ……!」
「なっ!」
その包丁で、床に倒れている竜胆くんに馬乗りになって、そのまま首を刺した。
あまりに一瞬の事で、俺は固まった。
「こひゅ……! がふっ……ゔ」
父さんが刺した場所からまた血が出てくる。
何回も、何回も。父さんは、竜胆くんが声を出さなくなるまで刺すのを止めなかった。死んだと思っていた竜胆くんは、まだ生きていたんだ。
だけど、刺されると竜胆くんの体はビクっと跳ねていたのに、声を出さなくなった頃には、刺されても全く動かなくなってしまった。
この一瞬で父さんの白いシャツは、竜胆くんの血で真っ赤に汚れた。
「……死んだか」
そう言った父さんは、もう一度竜胆くんの首元を深く刺した。もう竜胆くんが死んだことは分かっていたはずなのに……
「ぁ……あぁ」
警察でもあって優しい父親でもある父さんが……人を刺し殺した。
目の前で起きた光景が信じられない俺は、腰を抜かして、ただただ声を漏らすことしかできなかった。
「見ただろ? これでこいつを殺したのは父さんで、幸人はここに居合わせただけだ」
肩で息をしながら顔についた血を拭って、父さんはそう言った。
「っ! もしかして……」
頭が回っていない俺でも、父さんが何を思って竜胆くんを殺したのかが分かった。
「俺が……竜胆くんを殺したことにしないために……?」
「……っ」
俺の問いかけに、父さんは黙って頷いた。
あのまま放っていても、あれだけ血を出していれば、竜胆くんは死んでいただろう。そうなったら竜胆くんを殺したのは誰かと言われると……俺になる。
「……こんなことしかできないからな」
でも、さっき父さんも言っていた通り、これで竜胆くんのことを殺したのは父さんになった。俺を犯罪者にしないために、父さんが俺を庇ったんだ。
「こんなことをしても桜が生き返るわけじゃない……結局父さんは誰も守れていない。……警察官としても、父親としても失格だ」
「そんなこと……っ! パトカー……?」
何もできなかったと自分を責める父さんに、そんなことないと言おうとした俺の声を、サイレン音がかき消した。
「……もう応援来たか」
ただ、さっき竜胆くんの声を遮ったサイレン音とは、明らかに数が違う。さっきよりもいっぱいパトカーが来ていることが分かる。
「山岡……良いタイミングで呼ぶじゃねえか」
窓の外を見てパトカーを確認した父さんは、包丁を机の上に置いて、俺の前まで来た。
「幸人」
さっきまで色んな見たことない顔をしていた父さんは、ようやくいつも通りの優しい父さんの顔になっている。そして、
「遥が起きたら言ってやってくれ、もう大丈夫だって、悪い奴はお父さんがやっつけたって……遥のこと、任せたぞ。男と男の約束だ」
そう言った父さんは、血で汚れていない左手で俺と指切りをした。




