11話① 熱暴走
「お……おはようございます……」
さっきまでの騒がしさはどこへやら、好きな人の前だと遥はただの大人しい女の子になっていて、語尾が消えかかっているほど声も小さい。
明るい遥を常に見ているからか、大人しい遥には違和感を感じてしまう。
「遥ちゃん顔赤いけど、大丈夫?」
「へ!? い、いや大丈夫です、ます……」
竜胆くんに心配されて、余計に照れている遥の言葉遣いはもうぐちゃぐちゃになっている。初恋がまだな俺には分からない感覚で、なんだかむず痒い。
「そっか、よかった」
竜胆くんはあんまり表情や声色が豊かじゃない。だから、言葉だけ聞くと遥のことを心配しているっていうのが分かるけど、それを竜胆くんは無表情でボソッと言うから、本当に心配しているかどうかが分かりにくい。その姿はまるで……
「……ロボットみたい」
「え?」
(やば、声に出てた)
俺が呟いた言葉が聞こえたのか、竜胆くんは首を傾げている。
そんな竜胆くんが反射的に出した「え?」という声は、俺の言葉がよく聞こえなかったから聞き返したというより、ロボットみたいというのがどういう意味なのか? という問いかけの声だろう。
「だって、竜胆くん勉強もできるし、スポーツもできるけど……いっつも表情変わらなくて」
「……」
それに答えるように俺が説明し始めると、竜胆くんはなんだか怖い顔になっている。なんなら遥も、余計なこと言わないでと言わんばかりに怪訝な顔をしている。
2人とも俺が竜胆くんのことを小馬鹿にしたと思ったんだろうか? そう思っているとするなら、それは2人の勘違いだ。
「そういうの……めっっちゃカッコいい!」
「カッコいい……?」
俺は昨日の夕方に見たロボットアニメのキャラと、竜胆くんを重ねていた。まあ、竜胆くんは昨日見たロボットみたいに、あんなに大きくはないけど。
「なんでも完璧にできるロボットみたいでカッコいいじゃん!」
「っ……」
俺の言葉が予想外だったのか、竜胆くんは固まって言葉を失っている。
「いいないいな〜、俺もそんな風になりたいな〜」
「……はは」
そんな完璧超人の竜胆くんを羨ましがる俺を見て、竜胆くんは笑った。笑うロボット……これは世紀の大発見かもしれない。
「こんなことしてる場合じゃないや。早く行こう、遅刻なんかしたら大変だ」
砕けた笑顔の後、こうやってすぐにピシッとする辺り、本当にロボットじゃないかと疑いたくなる。
右手につけている腕時計を確認した竜胆くんは、俺たちの手を引いて学校へと歩き出した。
ーーーーーー
「あ、いた。お兄ちゃーん」
「遥?」
6時間目の体育の疲れがまだ抜けない中、終礼が終わると、俺がいる教室に遥が顔を出した。帰る時はいつも正門前で待ち合わせをするから、こうして遥が俺の教室に来ることは珍しい。何かあったんだろうか?
「あれが幸人の妹か」
「あー、あれが噂の……やっぱりかわいいな」
「だよな」
一方、遥が少し顔を出しただけで、クラスメイトが少しソワソワし始めている。まあ、そうなるのも仕方ない、だってうちの妹かわいいもん。気持ちはよくわかる。
「あの子の兄貴のはずなのに、あいつはモテねえよな」
「双子なのに変な話だよなー」
(こら〜、うるさいぞー)
「どうした?」
後であいつらを〆ることは置いといて、俺は遥との会話が他の人に聞こえないように、遥になるべく近づいて小声で要件を聞いた。
周りを見ると、廊下には、帰った後どこで遊ぶかを相談している人、夕方のアニメがどんな展開になるかを友達と一緒にワクワクしている人など、たくさんの人が授業終わりのこの時間を楽しんでいる。
「その……今日なんだけど、別々に帰らない?」
遥がこういうのは、俺と遥が毎日一緒に帰っているからだ。
いくら兄妹といっても、毎日一緒に帰るのは仲が良すぎると思われるかもしれないが、これにはちゃんと理由がある。まだ俺たちが小学2年生だった頃、友達と一緒に帰っていた遥を不審者が襲いかけたことがあったのだ。たまたま近くを巡回していた先生が被害が出る前になんとか不審者を追い払ってくれたけど、今後も同じようなことがあった時のために、俺は遥と一緒に帰るようにしている。
「なんで?」
「たまにはお互い友達と一緒に帰ってもいいかなって……」
そんな遥がこんな事を言えるようになったのは、
「なるほど、竜胆くんと一緒に帰る約束したけど、それが俺にばれると面倒くさいことになりそうだから、今日は別々に帰りたいってことだな。いいぞ」
「心の声全部漏れてるから!」
そういうことだろう。竜胆くんなら安心して遥を任せれる。
「ごめんごめん」
「むぅ……お兄ちゃんのくせにやっぱり生意気なんだから」
「ははは、じゃあな~。うまくやれよ~」
かわいい膨れっ面を見せて拗ねる遥に、思わず微笑んだ俺は、エールの意味も込めて手を振りながら教室に戻った。
ーーーーーー
夕暮れ時、学童保育の子達が校庭で遊んでいるのを横目に、俺は昨日図書室で借りてきていた小説を読んでいた。今読んでいるのは、本の主人公が最近できた好きな人と、ずっと一緒にいた大切な人、どちらを優先するべきかを悩んでいるシーンだ。
「うーん……」
俺ならどうするだろう? そんな読書感想文のようなことを考え始めてもう10分くらい経っている。なかなか考えがまとまらないな〜なんて思っていると、教室の扉がガラッと開く音がした。
「……何してるん?」
顔を上げると、そこには瑠璃が立っていた。男子の俺と身長が変わらないほどの高身長っていうこともあって、椅子に座ってる俺は見降ろされている形になっている。
「何って、見ての通り読書だけど?」
「読書って……ここ美術室やで?」
そう言って瑠璃は、教室の後ろに飾ってあるめちゃくちゃでかいよくわからない絵や、机の上に置きっぱなしにされているパレットに目を向ける。どおりで教室が絵の具臭いわけだ。
「いや~、いっつも人いないから本読むときちょくちょく使うんだよ」
「図書室使ったらええやん」
ごもっともな意見をありがとう。
「いいじゃん~、こういう秘密の場所的なのに男子は弱いんだよ」
「ふーん」
男のロマンを語る俺に対して、瑠璃は理解しようとも思わないと言わんばかりに冷たい目をしている。これは、女子には分からない感覚だろう。
「そういえば遥ちゃんは?」
教室を見渡して俺の側に遥がいないことに気づいた瑠璃は、話題を変える意味も込めてるのかそう聞いてきた。
「あぁ、デートだよデート」
「は? デート?」
ただ……どうやら俺は返答を間違えたらしい。瑠璃の声のトーンがあきらかに下がった。
「あ、いやその……今日は6年生の竜胆くんと一緒に帰ったから、鉢合わせしないようにこうして俺は時間潰しをしてっ! 痛っ! なんで今ビンタしたの!?」
なんとか俺は、的確かつ穏便に事の説明をしようとしたが、瑠璃は右手で返事をした。
「蚊がおったから」
だいぶでかい蚊だったのかな? 俺の左頬は全体がヒリヒリするくらいダメージを受けてる。
「ここ3階だぞ……」
「蚊やゆうとるやろ、何回も言わすなや」
「すぅー……はい」
どうやら、俺には反論する権利すらなさそうだ。一度深呼吸をして、そう判断した俺は、首を機械的に縦に振った。これ以上瑠璃を不機嫌にすると、どんな痛い目にあわされるか分かったもんじゃない。
「……あのさ」
「何?」
少しの間静かになった教室がなんだか気まずかった俺は、瑠璃の方を真っ直ぐ見て、静寂を消した。俺の呼びかけに対して、まだ少し不機嫌な瑠璃は不愛想に返事をしてくる。
「俺の前でぐらい、それ外してもいいんだぞ?」
少し前から、瑠璃が学校でだけ付けている伊達メガネ。つけている理由を直接瑠璃に聞いたことはないが、恐らくその原因は瑠璃の目だろう。瑠璃は身長が女子にしては高く、鋭い目つきをしていることから、同級生にからかわれることがある。そんな身体的特徴を本人が気にしないはずもない。だから、目元を少しでも隠そうとしたんだろう。
だけど、こうして今俺と2人きりでいる時くらいは、何も気にすることなくありのままの瑠璃でいて欲しい。まあ……さっきから結構ありのままで接せられてるけど。
「……余計なお世話や、ばーか」
そんな俺の思いが少しは伝わったのか、悪態をつきながらも、伊達メガネを取った瑠璃は少しだけ笑った。