10話② 重い念い
俺の父さん「芹沢拓磨」と母さん「芹沢桜」は警察官だった。職場結婚した2人は、結婚5年目で俺と遥を授かり、それを機に母さんは専業主婦に、父さんはより一層仕事に精を出した。平日は当番によって1日帰ってこない日がある父さんだったが、日曜日になれば、家族4人で外出する。
俺たちの家族は、幸せな家庭だった。あいつがいなければ。
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6年前の9月14日
「おにーちゃーん!! 起きろー!!」
「げほっ!!」
最大音量のアラームより大きい声と、お腹への大きな衝撃で、俺は悶えながら目を覚ました。
「えへへ〜、お兄ちゃんおはよ」
俺はこんなでたらめなアラームをかけた覚えがないと思いながら、衝撃を受けたところに目を向けると、そこには俺の反応が面白かったのか、イタズラな笑みを浮かべる遥がいた。
勉強机の上にある時計にチラッと目をやると、本来起きる時間より15分くらい早い。きっと、遥の気まぐれだろう。
「……遥、別に俺は飛びつかれなくても、自分で起きれるからな?」
「知ってるよ? 私がお兄ちゃんの反応を見たいだけだもん」
「お兄ちゃんは遥をそんな小悪魔に育てた覚えはありません」
小学4年生にしてこの小悪魔力……俺のところに『お前の妹って好きな人いるの?』っていう問い合わせが絶えない理由がよく分かる。
「私はお兄ちゃんに育てられた覚えはありませーん。ほら、早く行くよー!」
「わぁーたよ」
遥に手を引かれてベッドに別れを告げた俺は、俺の部屋を出て階段を降りていく遥の後ろを大きなあくびをしながらついて行った。
「幸人、おはよう」
「おふぁよ〜」
リビングに入ると、ロングの黒髪をポニーテールにした母さんが、朝ごはんをテーブルの上に並べていた。母さんがポニーテールにするのは、家事をする時だけだ。俺には分からないが、髪が長い人なりの苦労があるんだろう。
そんな母さんの綺麗な髪に憧れて、遥も今髪を伸ばしている最中だ。
「お兄ちゃんさっきからあくびばっか」
「いや〜、昨日寝る前に宿題してないこと思い出して、そこから全部やったから寝不足でさ」
「自業自得じゃん」
どうしてそういう時に限って、漢字の書き写し100回とかいう面倒くさい宿題なんだろうと、普段優しい担任の先生を少し恨んだ。
「2人とも喋ってないで、早く食べちゃいなさい。今日は春樹くんと一緒に学校行くんでしょ? 待たせちゃダメでしょ?」
「え、竜胆くん……?」
俺と遥をなだめる母さんの口から出てきた名前に、俺は箸を止めた。
竜胆春樹くんは近くに住んでる6年生で、賢くて、足早くて、めっちゃカッコいい人だ。4年生の俺からしたら、めっちゃお兄さんって感じがする。
俺たちが4年生になってから仲良くなった竜胆くんは、何かと俺たちの面倒を見てくれる。一緒に下校することはあっても、一緒に登校するのは初めてだ。
「俺……聞いてないんだけど?」
ただ、問題は竜胆くんと一緒に登校するっていうのを、当の本人である俺が知らないことだ。
「え? 昨日遥から聞いたけど」
「……遥さーん?」
「……え、えへへ〜」
俺と母さんに見つめられた遥は、その場を誤魔化すように笑った。
「……いつもより早く俺のこと起こしたと思ったら、そういうことか」
「遥も女の子ね〜」
「2人ともニヤニヤしないで!」
顔を真っ赤にして照れる遥を見ると、遥が竜胆くんのことをどう思っているかはすぐ分かる。今まで恋愛漫画を見るたびに、散々『恋愛したーい』と嘆いていた遥がこういう風になったと思うと、なんだか兄としてはしみじみとした感覚になる。
「いいから早く顔洗って寝癖直してこい。っ、これは食べといてやるから」
俺は遥が朝の支度を急げるように、遥の苦手なブロッコリーを、遥の皿から取り上げて口に入れた。
「むぅ〜……お兄ちゃんのくせに生意気」
さっきから残り最後のブロッコリーを恨めしそうに見つめては、箸を持ったり置いたりしてた遥は、あいつなりの感謝の言葉を言った後に、洗面台へと向かっていった。
「遥が生意気なんて、よく言ったもんだな~」
「あっ、父さんおはよう」
そんな遥とすれ違いでリビングにやってきた父さんは、もう既にカッターシャツ姿で、髪の毛もセットされていて、朝の用意がばっちり終わっている。
「おはよう。もう行かないといけないから、行ってくるよ」
「今日は帰ってこれるの?」
「今日は当直だから無理かな〜。明日の朝には帰ってくるよ」
普段は夕方過ぎには帰ってくる父さんだけど、たまに丸一日帰ってこない時がある。どうやら、それが今日らしい。当直っていうのを母さんに伝える父さんの苦い顔を見ると、当直がどんなことをするのかは知らないけど、中々疲れるものなんだろう。その証拠に、父さんは当直から帰ってくると、びっくりするぐらい爆睡する。
「分かった。これお弁当、今日はそぼろ丼だから。行ってらっしゃい」
「ありがとう」
「父さん、明後日の遊園地忘れないでね?」
だけど、日曜日に行く遊園地では、そんなことお構いなしに俺と遥は楽しむつもりだ。
「忘れるわけないだろ。じゃあ、行ってくるよ」
「行ってらっしゃーい」
俺の頭を撫でて、母さんにハグをすると、父さんは家を出た。結婚して結構たっても仲の良い2人を見ていると、なんだか気持ちが軽やかになる。
「あの子が春樹くんの前で緊張して、変なことしないように見といてあげてね」
「まあ、そのために俺がいるんだし大丈夫じゃない?」
「あら、頼れるお兄ちゃんね。ほっぺたにご飯粒つけてなかったらもう少しカッコよかったんだけど」
「なっ!!」
決め顔を作ったのに恥ずかしい。俺のほっぺたについた米粒を手で取った母さんは、父さんと同じように、俺の頭を撫でた。
「幸人も、食べたら早く用意するのよ?」
「分かった〜」
そう言われた俺は、最後の一口を口に運んだ。
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「お兄ちゃん、これおかしくないよね?」
家の前で竜胆くんを待っていると、隣で遥がずっとそわそわしている。
「大丈夫、ちゃんとかわいいぞ」
普段は学校に着けて行かないリボンで髪をツインテールにしている遥は、贔屓目無しにしても可愛くて、ありきたりな言葉にはなるけどお人形みたいだ。
「ありがと。あ〜、緊張する……」
「そんなにそわそわされると、こっちまで緊張してくるんだけど……あ、来た」
「え!? まだ心の準備が……!」
遥の緊張が俺に伝わってきたタイミングで、向こうの方から竜胆くんが見えた。遥は慌てて前髪を整えている。
「幸人くん、遥ちゃんおはよう」
今日も眼鏡が似合っている竜胆くんは、少しだけニコッとして俺たちに話しかけてきた。そう、いつも通りに。




